第16話 予感の正体

 今日は朝から、小鳥がさえずっている。

春のうららかな気候は、いつまでもわたしを夢の世界から開放したがらない。

小鳥のさえずりで目覚める・・・などという幸せな日は、もうここ何年もなかった。

 少しづつ目をあけると、土間で小鳥と亀がしゃべっている。

(ありえない光景だ・・・。)

と、自分の思考を正常な状態に戻そうとするが、目の前で起こっている光景をそう易々と受け入れられはしない。

楽しそうな様子に、意外な事に嫉妬の気持ちも湧く。

「今朝は何事ですか?」

二人(?)に聞くと、一匹と一羽はこっちを不思議そうに眺めた。

≪あの人間は私たちの言葉がわかるのかしら?≫

鳥が訝(いぶか)しんで言う。

すると、なぜか・・・なぜか、亀が申し訳なさそうに言った。

≪何故か、あの人間は少しばかり怪異ところがありまして・・・。≫

なぜ申し訳なさそうにいうのか?納得できない。

怪異というなら、そっちの方だ!・・・と心の中で反撃しながらも、身支度を整える。

≪空から見たこの世の様子をうかがっていたのだ。我々よりはるかに色んな物事を知っておられるのでな。≫

「そうでしたか・・・。何か良いお話でも?」

≪まぁ、色々とな・・・。≫

亀と小鳥が意味深にこっちを見つめている不思議。

(人間は蚊帳の外か・・・。)

人間のつまらないつぶやきなど、きっと興味もないだろう。

鳥は一声鳴いて飛び立ち、亀はわたしに言った。

≪今日は和尚のところに出向くのであろう?≫

「そうです。貴重な経典をお返ししなくてはいけませんので、よろしければご一緒にどうぞ。」

この亀がまた、わたしの心を当然のように読んだのだ。

(分かっているのなら、いちいち言わなくても・・・。)

と、密かに毒づくわたしに、亀は一瞬目を向けてから目をそらした。

この時、何かいつもと違う空気を感じたが、いつの間にか忘れてしまった。

いつものように、亀様には袂(たもと)に入ってもらう。

そして和尚のもとに向かう。

言わずと知れたことだが、寺の山門の手前の階段のところには、和尚の結界が張ってある。

釣りで言う所の、魚が餌に食いついた時のびくんとした感じが和尚に伝わるのだ。

だから、いつも和尚は絶妙な頃あいを見計らったように門でわたしたちを出迎える。

大体の結界は分かるわたしでさえも、それに気付いたのは最近のこと。

この和尚はやはり・・・ただものではない。

「御機嫌はいかがですか?」

懐かしい友と再会したかのように、満面の笑みで和尚が言う。

すると、懐の亀様はいう。

≪まずまずですな。和尚はいかがですか?≫」

「良くも悪くもないのが一番ですな、お互いに。」

そんな挨拶に、わたしは入れてもらえない。

本堂でありがたい経典をお返しすると、和尚は一瞥しただけで淡々と言った。

「何かのお役にお立てれば幸いでした。」

「はい。万が一のために・・・と思いましたが、大事に至らず幸いでした。」

普通の人間では、到底見る事すらできないような貴重な経典である。

わたしのようなものが今回手にしたのは奇跡だ。

「鞘(さや)から抜かずば、剣とて暴れますまい。抜かぬが一番。」

和尚の言葉はいつも深い。

自分の能力は自分が一番分かっているはずだが、時にその自惚れが見誤らせる。。

「それで・・・何かいい知らせはございましたかな?」

亀様にむかって聞く和尚。

≪今朝ほどメジロから眷属の鷺(さぎ)の言伝を聞いたのですが、一族の者たちはある世界に向かっているらしいのです。≫

「ほう・・・。ある世界とは?」

≪そうですな、言うなればこの世とあの世とも違う、何とも理解し難い世界でございます。≫

「幽界・・・でしょうか?」

≪多分、そのような世界でしょう。境目がはっきりしないようなので。≫

「そうなると・・・竹風殿、もはやわたくし達の領域ではございませんな。」

ここでようやく人間として話の仲間にいれてもらえそうだ。

「わたしには、理解できませんが・・・。」

せっかく輪の中に入れてもらえたのに、もう自分で出てきてしまう、情けない自分。

そんな自分でも、解からないものは解からないとしか言えない。

≪己がこの世で一族の無念を・・・などと言って時を無駄に過ごしている間に、一族の者たちは転生を繰り返していたようです。そしてもう、別の世界へと旅立ってしまい、己の無念だけが取り残された。この世に生きながらえても結局は囚われていたのは、わたしでしたよ。一族の無念も果たせず、一体何をしてきたのか・・・悔やまれて仕方ないのです。≫

亀が目の前でむせび泣く姿を、人間の一体誰が信じるだろうか?

(おそらく、ここにいる二人の人間だけであろう・・・。)

「わたし達は所詮、肉体と言う殻を持っている身。この体すら借りものでございます。脱ぎ捨てた後に残ったもの、それがわたし達の本当の正体でしょう。その時にこそ、行きたい世界に行けるでしょう。悲しむ事はありませんよ。亀様も皆のいるその世界に向かわれるといい。おそらく・・・皆さまは亀様の事をお待ちになっているのでしょう。」

亀は何も言わず、大人しくその言葉の深い意味を咀嚼しているようだった。


その夜・・・

なぜか寝つけず、ぼんやりと空を眺めていた。

星が・・・月が・・・などという気分でもない。

なんだか今日の不思議な会話の意味を考えてしまう。

≪眠れないのか?≫

亀に気遣われる人間のわたし・・・。

「はい。今日の和尚の言った事が深すぎて、正直よく解かりません。」

≪竹風、そなたには詳しく言ってはいないが、実は大津の浦で鯰(なまず)の主に会った時に散り散りになった一族の数人が琵琶湖で身を投げたと聞いた。その哀れな魂たちは、寄り添い一つになって湖の底へと吸い込まれた。主の鯰は心配になって後を追って行ったが、強い流れに押し戻された。その時、水の神が現れ、“もう追うでない。この者たちの魂はわたしが導く”とおっしゃって、その渦とともに湖の奥深くに消えたそうじゃ。≫

「そうでしたか・・・。その先は、人間などが入れるような場所ではないということですね。」

≪人間どころか・・・崇高な大いなる光だけの世界じゃろう。≫

(主や眷属とて進めぬ世界もあるというのか・・・・?)

≪明日、わしを大津の浦まで連れて行ってくれるか?もう、ここに居る意味はないじゃろう。≫

それは、亀の大いなる決断だった。

「はい。どうせ眠れぬ身ゆえ、今から支度に取り掛かります。」

≪世話をかけるな。≫

「いいえ。この役目のために、わたしを選ばれたのでしょう?」

亀様は無言のまま、目を閉じていた。


早朝、都を出発する。

そして、大津の浦についた。

「ここですか・・・。」

腰のあたりまで水につかり、亀をゆっくり水中に離す。

辺りの水を全身で感じてすいすいと体を慣らしている亀を、迎えに来たように水中から大きな鯰(なまず)がやってきた。

≪お迎えがいらしたようじゃ。達者でな、竹風よ。≫

「亀様も・・・。」

鯰は少し時間をくれるように、その場をゆっくり回って時間を稼ぐ。

≪あまり無茶をするな。≫

「はい、仰せの通りに・・・。」

≪いつか・・・そなたにこちらの様子を見せてやる。楽しみにしておれ。≫

ふっと笑みを漏らすわたしに鯰は言った。

『そなたの役目、これにて終わりじゃ。御苦労であった。』

「恐縮でございます。くれぐれも亀様をよろしくお願い致します。」

深く頭を下げると、

≪人間に世話をかけるような眷属はおらん!≫

大きな鯰と、最後の憎まれ口を叩いた眷属の亀様は、水の中をあっという間に泳いで行ってしまった。

(あっけない最後だった・・・。)

そう思った瞬間、腰までつかっていた水は見る見るうちに大きな渦を巻き、その渦の中央は七色に輝きながらやがて、最後に太陽のような強烈な光を放って元の穏やかな水に戻った。

今、大いなる結界が開き、亀様を飲み込んで、静かに閉じたのだろう。

それだけが、わたしの心に伝わってきた。


その夜・・・

昨夜の寝不足と今日の信じられないような出来事が入り混じったおかげで、意識を失うかのように深い眠りについた。

数か月、ともに暮らしただけで特別な情も無いと思っていたが、何かと関わり合いを避けて来たわたしにとっては、初めての人でない同居人で、生活のなかに唯一、ほのぼのとした温もりを感じた居る存在だったかもしれない。

家に戻ると亀様の姿を探していたり、器の水を変えたり、寝床の藁を取り換えたりもした自分に、自分で驚く。

一応、眷属だから・・・と言う大義名分のもとしていたことだが、今となってはそれが日常になっていた不思議。

時折見せる寂し気な表情や、色んな生き物と話す姿が目に焼き付いていた。

本当のところ、自分でさえも気が付かない寂しがりの部分があったのか?

深い眠りにつきながらも、今は亀様の事ばかりが頭に浮かんでくるのだから・・・。

和尚の元に行くなど、本来だったら亀様にとってはたやすい事。

ならば、何故かわたしと一緒に行く意味とは?

何か言いたげだったあの一瞬の眼差しは、これからの自分の行く先を和尚の口を借りて、わたしに伝えたかったのだと今更ながら気づく。

≪自分で言うのが小恥ずかしい事もあるな。何故か、竹風殿との生活も楽しいものじゃった。色んな人間が来て、色んな魔に遭遇して、人の悩みの多きことや、人の抱く美しい愛や情、醜い嫉妬や執着や恨みもな。人はかくも複雑な生物で、それはそれで趣深いものだとたくさん味合わせてもらったぞ。まだまだ見たい!とも思ったが、一族の御霊には世話になった故、わしの居場所はそこじゃ。だから、時々遊びに来ることにしたぞ。≫


亀様は早速、別れたその夜に会いに来たのだった。

亀様の照れ隠しもよく分かったし、自分との生活を少なからず楽しんだという事が、夢の中のわたしは素直に嬉しかった。

≪また会おう!≫

という亀様は甲羅に少しの水苔をなびかせ、風格を増した様子だった。

(眷属が神上がりしたか?)



袖すり合うも他生の縁・・・竹風

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