第15話 魂の約束

 毎朝、一日の始まりを無事に迎えられることを、心から有難いと思う。

生きていることをあたり前のように感じる傲慢さを、改心することは必要だ。

夢解きに来る人々はいつも小さな吉凶にこだわるが、生きていること自体、今が幸せ。


 この日、不思議な夢を見た・・・という女が駆け込んできた。

夢に故人が出てきたら…それも家族全員大集合となれば、心穏やかではいられないであろう。

「不思議な夢とはどんな夢でしょう?」

いつもの、のらりくらりとした言い方で始まる。

「私が霧の中を歩いておりますと、足元から光の筋がでてまいりまして、ちょうど雨上がりに出る、あの光の筋のような・・・。その色とりどりの光の筋のようなものが彼方まで続いておりました。」

「瑞兆ですな。それは“虹”というものですね。錦の様な光の帯というようなものでしょう?」

「はい。虹・・・というのですか。」

「ええ。脅かすつもりはありませんが、“あの世”との架け橋と言われています。」

「どうしましょう、私大変なことを・・・。」

「まずは続きを、お聞きしましょう。」

動揺したその表情は、気の毒なほど青白い。

「はい。その虹の橋を歩いて行くと、いろんな懐かしい人々に会いました。

可愛がってくれた祖父母、兄、里子に出された妹、父に母・・・それに、去年亡くなった私の許婚(いいなずけ)だったや康輔(やすすけ)様。」

「まさしく・・・あの世ですね。出てきた人は皆、亡くなっているのでしょう?」

「はい。私を迎えにきたのでしょうか?」

ここで、素直に“はい”・・・というべきか悩んだが、とりあえず今はよそう。

「一概にはいえませんね。とりあえず貴女がここにいて、今も生きているのですから・・・。」

「そうですか・・・。でも、私、あちらに行ってもいいような気がして。はっきり申し上げますと、康輔様のもとに参りたいと思いました。」

「許婚を亡くされて、心もとないのは重々承知いたしますが、人の寿命は自分では決められません。貴女はお見受けしたところ、まだ人生を投げてしまう必要はないように思いますが・・・。」

話しているうちに、この女のこれからの人生が突然見えた。

高貴な身分のような装束がみえるし、その様子はおそらく宮中だろうと察しが付く。

そこに身を置いていた者ならすぐわかる、あの閉鎖的な異空間だ。

(いずれ、宮中に召されるということか・・・。)

「私の身の回りの人々が次々とあの世へと旅立ち、あちらの世界が幸せそうで、私は温かい空気に導かれるような気がして、約束をしたのでございます。」

「何を約束したのです?」

「・・・・・。」

その女は口ごもったまま、言うべきかどうかを悩んでいた。

しかし、私には丸わかりだ。

(決して渡しはしない・・・。)

男のはっきりとした言葉が、わたしに絡みつく。

「何を約束したかによっては、貴女だけでなく、他の人の人生をも奪ってしてしまうかも知れないということを覚悟していますか?」

毅然としたものの言い方に、女は我に返った。

「つい・・・もうすぐ康輔様のもとへ参りますから、と約束してしまいました。他の人?」

「虹の架け橋で貴女が会った懐かしい人々のうち、許婚の康輔様以外の人は、貴女にこちらに来てはいけない・・・と、必死に引きとめていたのですよ。」

「そんな・・・。」

「貴女の許婚にしてみれば、貴女を残してこの世を去るのはずいぶんと名残惜しかったでしょう。しかし、だからといって、貴女が許婚の人生に寄り添う必要はありません。貴女は貴女のこれからの人生がある。」

「でも、約束を・・・。」

「許婚の康輔様にしてみれば心細く、貴女と結ばれなかったという無念しか今はないのでしょう。だから、貴女を道連れにしたいのです。」

「道連れだなんて・・・。」

「考えてみてください。もし逆の立場だったら貴女はどうしますか?愛しい人の余生の幸せを祈るのが愛ではありませんか?」

「しかし・・・これから私が幸せになるとは思えませんし、今はただ、康輔様のもとに参りたいのです。」

「そうですか・・・。では、貴女の妹も、確か亡くなっているとおっしゃいましたね?」

「はい。その虹の橋の途中で会いました。幼くして亡なっていたので、赤子の姿しか覚えていないのですが、あちらでは三歳位になっていて、会った途端に妹だとすぐにわかりました。とっても可愛らしくて・・・。」

「その妹にもう一度、会いたくありませんか?妹のほうは貴女にもう一度会いたいようですよ。」

「もちろん。会いたいに決まっています。でも、あの世でも会えるのでは?」

「いいえ。妹は貴女の子供として、今世にもう一度生まれるはずです。貴女の子供として生まれ変わって、満たされなかった貴方との楽しい人生を望んでいるのですよ。今生で貴女があの世に旅立ってしまったら、妹は転生できないでしょうね。」

「・・・・。」

「さっきわたしが言ったことの意味が、これで十分分かったはずですが・・・。」

人生の種明かしをすることほどお節介なことはないのだが、今回は論外であろう。

今は亡き許婚の執着は生きている時より強固になっているし、この世に残してきた許婚を道連れにすることが望みで、もはや約束まで取り付けているとなれば、これは厄介である。

この世ではこの世の、あの世ではあの世の約束があり、解決の方法も変わってくる。

望み半ばで命を終えた者の無念は想像を絶するが、わたしはわたしなりの解決法でいくしかなさそうだ。

一番の効果的な方法は、この女の“生きたい”という願望を強固にするしかないだろう。

そして、許婚・康輔との約束をどう納得させようか・・・?


人の夢に踏み込む・・・こんなことまでしている自分に、時々、自問自答したくなる。

人の人生にどこまで踏み込んでよくて、どこからがいけないのか?と。

しかし、許婚とはあくまでも今世の約束で、それも絶対的なものでもなく、ましてやあの世まで有効という約束ではない。

それを間違っている許婚に、まずは納得してもらおう。


その夜、夢の中で女は約束どおりに虹の橋のたもとで待っていた。

わたしと並んで歩いて行くと、祖父母、父母、兄までもが再会を涙ながらに喜んでいた。

可愛らしい三歳の子供にまで成長した妹は、身を案じて女の足元にしがみついて離れようとしない。

見送るしかない家族をあとに、女とわたしは許婚・康輔のもとへと向かう。

現れた許婚はそのいでたちから立派な身分なのであろうと想像される。

凛とした姿で女の到着を待っていたが、わたしの姿を見つけると怪訝な表情を浮かべた。

「菊、そのお方は?」

「竹風と申します。今日はお話があって参りました。」

「菊はもうこちらの人間です。今更何のお話でしょう?」

「菊様には残りの人生をきちんと全うしていただきたく、康輔様にお願いに上がりました。」

「もう契りを交わしましたので、あきらめてください。」

「契りや許婚という約束は生きていた世の話で、死した今はあきらめていただきたいと思います。あの世にはあの世の、前世からの別の約束があります。それに今回、貴方様がおっしゃっている約束というのは、貴方と菊様だけで決めることはできません。」

「前世からの因縁で、この世で許婚となったのですぞ。」

「そうでしょうか?許婚同士が別れることになったのも、すべて前世からの筋書き通りでございます。それに・・・ここはまだあの世ではなく、あの世とこの世の真ん中でございます。たとえ、ここで寄り添いあって虹の架け橋を渡りきったとしても、その先の行くべき世界はお互いまったく違う世界でございますぞ。」

毅然と言う時は言わなければならない。

「こんなに愛し合っている者同士を、神は引き裂くのでしょうか?神はそのように無情とは思えません。」

「現にこの世では引き裂かれたでしょう?決して無情ではなく、人それぞれにやるべきことがり、行くべき世界があるのです。」

こんな言い方をしなくても・・・と思われるかも知れないが、あの世はこの世よりも厳しい厳格な封建社会である。

「一生は自分で決められません。たとえ今世でどんな約束を二人がしようとも、魂の約束は生まれる前に決められていて宿命というのです。貴方様には貴方様の、菊様には菊様の宿命があって、たとえこの世で深く愛し合ったとしても引き裂かれる宿命だったということです。それもあの世で生まれる前にすでに決められていたことです。ですから変えられません。」

「もう菊とは会えないと?」

「いいえ。会いたいと思えば会えます。ただ、菊様とはご自身の人生を全うした後で会うことになるでしょう。もう少しばかり、待っておやりなさい。」

もう一度会えるという希望が、許婚・康輔の無念を救った。

相手を許す瞬間というのは、何とも言えぬ慈悲が辺りに漂う。

許しとは、最高の悟りなのかもしれない。

「菊、そなたともう一度こっちの世界で会えるのを楽しみにしているよ。いつも見守っているからね。」

あの世の理を受け入れた許婚の康輔の頬を、涙がポロポロと珠玉のようにこぼれ落ちると、虹の橋の上で弾けて光を放った。

菊も辛い二度の別れを味わうことになり、うなずくしかできず、見守っていた家族も皆が泣いて、こぼれ落ちたたくさんの涙がまばゆいばかりの光をあたりに放った。

「菊の妹が菊の子供として無事に転生するまで、そちらの世界で康輔様が面倒を見てあげてください。お願いしますよ。」

わたしがそう忠告をすると康輔様はしっかりとうなずき、

可愛い童を抱きあげ、虹の架け橋を彼方へと渡って行った。


翌朝・・・

夜の間に降った雨が草木に水の珠をまき散らしたような、きらきらと煌めく朝。

昨日の虹の端で皆が涙して、はじけた水玉のようだった。

そこには大きな虹の橋が天高く昇っていた。

(まさに瑞兆・・・。)


人生の縁とは、連綿とつなぐ虹の物語・・・竹風

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