第13話 返せ・・・の話
いつもは、客がわたしの元を訪ねてくるが、その娘とは春の風が
心地よい川岸の土手で会った。
修理の楽器を収め、川岸の土手に腰掛け、景色を眺めているうちに、何となく瞼を閉じてみた。
(実に気持ちがいい・・・)
ごろんと横になり、春の草木の青臭いような、それでいて土臭い匂いもして、蜂が耳元に“ぶうん”と言う羽音を置いていった。
春はいい。
穏やかな日差しは昼寝にはもってこいだ。
しかし、目を閉じた世界の片隅で、女のすすり泣くような声がする。
気のせいか・・・?と思ったが、気のせいではなかった。
しばらく泣いている。
どうしたのか?と声をかけるべきか…相当悩んだが根負けした。
体を起こして、薄目で辺りを見ると、やはり一人の娘が泣いていた。
(やはりな・・・。)
という事実を受け入れる前まで、気のせいであってほしいと願ってしまう。
「どうされたのですか?」
その声に驚いた娘は、年端の頃は十三,四というところ。
肩から楽器を下げている。
琵琶のようだった。
楽器の修理をするわたしにとっては、その娘よりも楽器の方に目が行ってしまう。
「何か訳でもあるのでしょう。わたしでよければ聞く事ぐらいはできますよ。」
そういうと、娘は言っても無駄だ・・・と言わんばかりに、前を向いて遠くを無言で眺めている。
話す気が無いのなら、立ち去ろうとしたとき、その娘はぽつりと言った。
「私の何を返せばいいのか・・・。」
話のつながりもなく、こういわれても謎が増すだけだ。
「多分、命なんだろうな・・・とは思うけど。」
その娘は続けて唐突に言った。
「どういうことですか?」(身売りか?)
という疑問が先走ってしまい、思わず近寄ってしまった。
隣に座り、涙でぐちゃぐちゃになった顔をぬぐう布を渡すと、受け取ってその布に顔をうずめる。
「言ってみない事には始まらない。何かいい方法でもみつかるかもしれない。さあ、話してごらん。」
いつにない優しい物の言い方に自分でも驚く。
その娘は意を決したように顔を上げて話を始めた。
「小さいころからずっと、“返せ~、返せ~”っていう声が聞こえていた。何のことかさっぱりわからず、何かをもらうと“返せ~”っていう声がするから、その度にもらったものを返してきた。村で採れた野菜でも、芋でも、食べようと思うと、“返せ~”って聞こえる。でも、その声は今もずっと離れない。私は何も持っていないのに・・・。これ以上、何を返せばいいんだろう、わからない。」
娘の話を聞いて、心の奥からじわじわとしみてくる孤独感が言いようのない寂しさをわたしに伝えてきた。
いつも手に入れたものを手放さなければならない娘の心は、秋の夕暮れのような郷愁と人恋しさを混ぜたような、なんとも言えないものもの悲しさが漂う。
「お父もお母も返したのに・・・。誰もいなくなって、村を出てきた。これ以上、何を返したらいい?」
「名前は何というんだい?」
「志乃。」
「お志乃さんか・・・。お志乃さんには、親からもらった志乃っていう前があるだろ?それは誰も奪えないし、誰にも返さなくていいからね。この名は、お志乃さんのものだから。」
そういうと、お志乃は妙に喜んだ。
「そうだね、名前は返さなくていいんだね・・・。」
返して・・・と言う声の呪縛で、お志乃は自分を縛り付けて生きてきた。
そして、素直に全てを返して生きて生きた。
しかし、もうその呪縛を解かねばならない。
わたしの役目だ。
「お志乃さん、今日はわたしのところで休むといい。お世話をしてくれる人もいるから大丈夫だ。ゆっくり話をきかせておくれ。」
そうして、わたしはお志乃を長屋に連れてきた。
早速その姿をみたお清さんは、
「どうしたんだい、こんなに痩せてしまって。たんと食べな。」
そういって桶で顔や足を洗い、おなかいっぱい粥を食べさせてから、わたしのところに連れてきた。
小さな囲炉裏のような所で、座を囲み、三人で話すうちに志乃は自分の琵琶をつま弾き始めた。
そして、その節に合わせた即興の唄をつけて奏でた。
今までに聞いたことのない、独特の調子で、なんとも心が穏やかになる調べ。
すっかり聴き惚れたのは、その独特な調子だけでなく、お志乃のつややかで、優しい、しっとりとした歌声だった。
唄が一段落した後、お志乃は言った。
「この琵琶は木の根元で休んでいたら、お坊様がくれたの。何も案ずることはない。御仏はいつも見ている・・・と言って。」
「どういうことだい、竹さん・・・。」
お清さんは首をかしげながら言う。
「それは今夜わかることだ。今晩はここで夜を明かすといい。」
お清は、お志乃の肩をゆっくり撫で、
「こう見えても腕はいいし、頼りになるからね。安心してお休み」
(こう見えても・・・が正直気になる)
お清は家に戻り、夜が更けるのを待ちながら、わたしはお志乃の夢解きをする。
わたしは人の夢にも入ることができる夢解き屋。
お志乃と昼間に出会ってから、わたしにも“返せ~”という声は聞こえていた。
しかし、その“返せ~”の声にも何か、理由がありそうなので、わたしが両者に会って、実際に理(ことわり)をつけなければならないだろう…と、うすうす感じていた。
一人の男が、大勢の前に座らされている。何かを咎められていた。
必死に懇願するが聞き入れられず、男は首をはねられた。
無実の罪をかぶったらしい。
その男の無念が大きな黒い獣となって、真っ赤に燃え滾(たぎ)る赤い目で
「お前は何者だ~!」
と掴みかかてくる。
「・・・・・。」(答えない)
するとさらに威嚇するかのように、顔をわたしに近づけ、臭い獣の息を吹きかけた。
「お前が何を返してほしいのか聞いてからな。なぜ、この娘に付きまとう?」
大きな獣は臭い獣の吐息だけなく、気味の悪いよだれを垂らしながら言った。
「この女の祖先の悪事を見たか!無実の身の我を嵌(は)めた恨みは、末代まで呪う。いつか・・・いつか・・・と狙っておったわ、無垢なる魂の、一族の因果を一心に受けるべく御霊の持ち主をなぁ~!」
「この娘の命が欲しいか?」
荒れ狂う怒りの嵐が、獣と化した男の周りをとぐろを巻くようにうねる。
「命が欲しくばととっくに奪っておるわ!」
「ならば、何を求める?」
「その娘が得たものは全て奪ってやったわ!これからもそうしてやる。しかし、正体があらわになった今、娘の一番大切なものをもらおう。・・・声だ!声をよこせ!」
荒れ狂う怒りが、黒い竜巻のようにうねる。
わたしと魔物の対決を後ろで見ていた志乃は、目の前の光景に驚いて声が出ず、立ち尽くしていた。
振り返ったわたしに、お志乃は涙をいっぱいに溜めた目で、思いつめた声で力強く言った。
「私の先祖の罪は私が償う。しかし、できることなら私から声を奪わないでほしい。これから一生、琵琶を弾くときは、貴方様の無念のお心に届くように唄いましょう。その唄声で貴方様の無念が癒されるなら・・・。」
怒りの化身となった男の中に、長い月日、ただ人を恨むだけの長い長い時間と、癒されぬ深い傷だけが、ジュクジュクとうずいていたことを知った。
怨念の正体に打ち勝つには、唯一の方法しかない。
相手を想う愛と癒しはこの世の最強。
「これからの長い人生を、そなたの魂の癒しに捧げるという、この娘の意思を汲み取り、深い傷を癒して天へ昇られることを願う。
今、この娘の声を奪ったところで、その声に愛も癒しも生まれない。ならば、この娘を生かし、先祖の償いと、そなたへの弔いと、愛と癒しに溢れた歌声をききながら、その優しさに包まれて天界に行くのも悪くない。そなたとて、自分の家族や子孫と会いたいのであろう?」
男はがっくりと膝をつき、涙を流しながら獣の姿からすっかり人の姿へと変わっていた。
無念の涙は人を浄化へと促し、その男は新たな運命を与えられるようだ。
今まで荒れ狂っていた暗闇の世界に、一筋の金色の道が差し込む。
積念の想いのまま何年も過ごした怒りと孤独の魂が、先祖の因縁を一心に受けてその罪を贖おうとする娘の姿を見て、赦すことを学んだ。
永い永い恨みの呪縛の鎖(くさり)が解け、男はゆっくりと光の道を進んで行った。
お志乃もまた、美しい声を失うことなく先祖の因縁を償い、また新たな人生を生きることができるであろう。
翌朝、お志乃は、自分に差し込む朝日の眩しさに起こされた。
生まれたてのような清々しい感覚は、まさに夢から覚めた気分。
「朝日がこんなに気持ちがいいものだと初めて知った~。」
日の光を浴びて、これほどまでに感謝する人間を見たことがなかった。
二人で和尚の居る寺へと向かう。
琵琶を抱えた娘が寺に行くと、物珍しさに子供たちが周りを取り囲む。
「それ、何?」
「聴かせて、聴かせて~」
とせがまれ、お志乃は昨夜の美しい調べを披露した。
和尚はその様子を見て
「美しき歌声と琵琶の音色をこうして聞いていると、まるで弁財天かと見間違うほどですな。」
わたしが目を閉じると涅槃の世界が広がった。
ここから先は、わたしが垣間見たその後の娘の余生である。
時々、琵琶を披露に寺に来ていたお志乃は、寺に立ち寄った若い行商人の男と出会い、その男に見初められて夫婦になる。その男とは、あの先祖の因縁の魂の子孫であった。お志乃は琵琶を奏でるときは、必ずあの男の事を想いながら成仏を祈り、その祈りは子孫の男の先祖への弔いとなり、この縁にて二つの因縁が昇華する。
琵琶が取り持つ縁・・・。
悪い因縁が転じて良縁となり、永い永い時間を経た悠久の愛の物語となっていく。
人の縁とは、良縁・悪縁あれど、紡ぎ方一つで大いなる因縁昇華なることを心に刻んだ。
二人の末永い幸せを祈る。
人の縁とは、いかに不思議な事・・・ 竹風
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