第8話 眠りたがらない子供

「竹さん、いる?」

長屋のお清さんは、時々そういって夕餉(ゆうげ)のおかずを差し入れてくれる大きな心の優しい人間だ。

今日は大根の煮物だそうだ。

実にありがたい。

独り者の男は、この手のことが一番面倒くさいのだ。

そして、お清は黙って帰るような人ではない。

差し入れをしながらも、その日仕入れた巷の噂話や人の悩みなどをひとしきり話していく。

「五軒先の長屋の次男坊がさぁ、毎晩なかなか寝付けないんだと。付き合ってる母さんの方が疲れちまって・・・。この前も立ち話の最中に眠りこけてねぇ。」

「いくつになったんだい?」

「もう二歳になるって言ったっけ?それも寝るときに大騒ぎするらしいよ。親は寝かせよう・・寝かせようとすればするほどぐずって近所迷惑もいいところだって、噂になってるんだよ。母さんの話じゃ、寝るのを怖がってるみたいだって・・・。竹さん、一回見てやんなよ。」

「お清さんが見料払ってくれるのかい?」

「やだよ~。何で私が!」

「あははは・・・・。夕餉と交換ならみてもいいけどな。」

軽い気持ちで言ったことが、翌日にはその話が通っている風通しの良さ。

人情厚いと言うべきか? お節介というべきか?

その子供は、ふらふらな母親に負ぶわれてやってきた。

極度の睡眠不足だと人間は、生気までもが削がれる。

この母も寝付かないわが子を背負って、うつろな表情のまま、わたしの前に座した。

「生も根も・・・乳も枯れ果てました。上は全くそういうことも無くきたのに、どうしてこの子だけが・・・。」

子供は寝るのが仕事というだけあって寝ない子は四六時中いつも機嫌が悪い。

わたしからすれば・・・子供らしく無いの一言。

こういう、ものを言わない子供の夢解きは苦労する。

しかし、解けないこともない。

小さな眼をのぞき込み、じっと見つめながら深い深いその子供の意識の中に入り込む。

そして、母親に言った。

「この子は難産でしたか?」

「ええ・・・。途中で止まってしまって、何度も引いたり、押したりしてやっと・・・。」

「なるほど。怖かったんですよ。」

「えっ?」

「産道は真っ暗で闇と同じです。そこで人の声や、押したり引いたりする感触や気持が伝わってきてとても苦しく怖かったんですよ。だから、それを思い出してしまう暗い夜の闇が怖いんです。眠る時、目を閉じるのが怖いんですよ。あのお産の時の苦しみがまた襲ってくるようで。」

「そんなこと・・・覚えとるもんですかねぇ。」

お清とその母は不思議そうに顔を見合せた。

「わたしたちだって覚えていたはずです。ただもう忘れただけで・・・。忘れた方が都合がいいから忘れるんですよ。お産は苦しいものでしょう?子供だって苦しいもんです。」

子供を産んだことも無いわたしの話を、神妙な顔をして聞いているお清とその母が妙に微笑ましかった。

「どうしたら?」

「そうですねえ・・・。お産をやり直しますか?幸い今夜は満月だ。」

「・・・?」

夜の帳が降り始めるころから、大きなたらいをよういして、かまどで湯を沸かす。

本当に今からお産が始まるかのような騒ぎで、長屋はおお仕事になった。

「お松さんとこ、また産まれるのかい?」

という話声が飛び交う中、大きなたらいを足で抱えるようにして母親を座らせ、ちょうど股の間の中央で湯につかっている子は穏やかな表情になっていた。

子供はかつての母の胎内にいる心地良い時を思い出しているかのように、うつらうつらしている。

そして頃合いを見計らって、わたしはその子供を一度湯の中に沈めた。

「ちょっと、竹さん!」

慌てるお清を制しながらも、バタつく子供の手足が収まるのを見届ける。

静かになった水面を見守り、湯の中でカッと目を見開いた子供の目を確認した。

わたしと目が合った。

一瞬の間の後、引き上げたと同時に大きな産声(鳴き声)を上げた。

文字どおり二度目のお産だ。

大きな二度目の産声をあげている我が子を抱きしめ、涙でぐちゃぐちゃになったお松と、もらい泣きしているお清が、2人して私をみつめている。

実際のお産には立ち会ったことはないが、生命が誕生する瞬間というのは、このような神聖な・・・どこかこの世を離れた世界感が漂うのだろう。

これを言葉にするのはとても難しいが、来世、もし生まれ変わることがあれば、ぜひ出産というものに立ち会いたいものだ。

いい加減泣いた後、同じく長屋の乳母をしている女から、乳をたっぷりと飲ませてもらい、その日は乳母のもとに預けられた。

子供の大泣きする声を聞いて、母親のお松は私の勧める温かい薬湯を飲みながら段々と気を取り直していた。

何とも言えない感動的なお産が終わり、子供は乳母の元へ、母親はが一晩預かることになり、お清も自分の長屋へと戻っていった。

母はわたしの長屋でこれまでの睡眠を取り戻すかのように眠った。

丸二日眠ったのには、実は訳があるのだが・・・それは後に記すことにしよう。

三日目にようやく親子は、感動の対面をした。

子供はあれからすっかり寝つきがよくなり、母親もぐっすり眠れるようになったという。

こうして毎晩、この家から夕餉の差し入れが届くようになった。

わたしとしては実にありがたい事だ。


さて、母親をぐっすり眠らせるために使った秘策とは?

これはある薬草であり、軽い幻覚作用、鎮静作用がある。

時と場合によっては、こんな処方も必要。

全ての人が安眠できるように手を尽くすのも、夢解き屋の仕事かもしれない。


お産とは、親も子も人生の一大事なり・・・竹風

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