第7話 付きまとう唄
はっきりと断言できるが、ここの長屋は口伝えで人は訪ねて来ても自分で探し当ててこられるような場所ではない。
しかし、今日はある意図の作用で一人の女がわたしの元に導かれてきた。
不思議なこともあるものだ。
頭を抱えたまま、自分の家のまでうずくまっていれば誰だって声をかける。
「どうしたんですか?」
「唄が・・・・。」
辺りをうかがってもそんな唄は聞こえない。
「唄が?」
不思議には慣れているわたしにとっても、この女の言葉の意味が拾い集められなかった。
「止まらないんです!」
その一言があまりに大きな声だったので、一瞬飛びのいてしまった。
「まあ、どうぞ中へ・・・。」
水を一口飲ませて落ち着かせ、話を組み立てることにする。
「頭の中でず~っと唄が止まらなくて・・・。」
自分の声の大きさが掴めず戸惑いながらも、大きな声でしゃべるその女の頭の中では、朝から同じ唄が鳴り響いているという。
いつものように魚の干物を売ろうとかごを担いでやってきたが、いつもの方に向かおうとすると音が大きくなり方向を変えると、小さくなる。
仕方なく、耳をつんざくような音がしない道を選び、そっちに行くな!と言うように、唄が道を指示したそうだ。
そんなことを繰り返しているうちに、ここの長屋のわたしの家の前から動けなくなったというのだ。
「朝からずっとこの唄がしていて、気がおかしくなりそうで・・・。」
失礼を承知で耳をふさいでいたが、それでもまだ十分に大きな声だ。
少しでも場所がずれると音がするそうで、その女は戸口から動けない。
「どんな唄でしょうか?」
紙を出して来て、その唄を女の調子に合わせて写し取る。
「峠の地蔵さん、かしらをさすれば米たわわ~、峠の地蔵さん、おててをたたけば戸ではさみ~、膝をさすれば力持ち~。峠の地蔵さん、赤眼になったら大水だ~、青眼になったら閻魔(えんま)さ~ん、黒眼になったら地が開く~」
女が唄うのを書きうつした途端、その唄はぴたりと止んだ。
「唄が・・・・やっと止みました。」
普通の音の大きさになって、わたしもやっと紙から目をあげると、女は嬉しさのあまり涙をこぼした。
「どこかの数え唄とか・・・わらべ唄でしょうか?聞き覚えは?」
「初めて聞く唄です。」
「そうですか・・・。峠の地蔵さんは知っていますか?」
「いえ、ここ辺りは特にありませんし・・・。」
「まあ、とにかくこの紙に書き写したので、唄は収まったのでしょう。何か思いだしたらいつでも来て下さい。」
唄を書き写した途端に収まる・・・ということは、この唄は意思を持ってわたしのところの来たということ。
これは新たな謎解きの始まりである。
その女は体操喜んで、見料の代わりに・・・と魚の干物を置いて行った。
さっそく隣のお清の所に干物を持って行く。
「あらまあ、ありがたいねぇ~。」
お清は素直な性格ゆえ、嬉しいものは嬉しいと言葉よりも先に顔に出てしまう。
「日頃の感謝の印さ。」
そういって戻ってきて、例の書き写した唄をながめた。
しかし、この唄の意味は特に難しいわけではないが、何か引っかかって仕方ない。
(峠の地蔵さんに、感謝して頭を優しく撫でるようにしていれば米がたわわに実るだろう・・・まあ、それはわかる。手を叩けば戸口で手をはさむような災難に遭うぞ・・・という戒め。膝をさすって力を所望すれば応えてやろう・・・そういう意味だろう。その次の赤眼、青眼、黒眼が気にかかる・・・。)
その日の夕餉は魚の干物をかじりながら、久々の謎ときに酒がすすんだ。
案の上、その夜・・・恐ろしい夢を見た。
大水、火事、地割れが次々に襲ってきた。
(まさか・・・予知か?)
そういう悪い予感こそは、わたしの場合は実によく当るものなのだ。
(あの唄はわたしに天変地異を知らせるための唄だったのか?)
そう思い始めると昼間に訪ねてきた女の存在が気にかかり始め、考えれば考えるほど寒気がした。
ここに来ると音が小さくなるという意図は何か?
(なんとかせねば・・・。)
夜中であろう暗闇を無我夢中で走った。
以前に、わたしを助けてくれた寺のお尚のもとに駆け付けた。
修行の身なれば、朝は早い。
まだ暗い朝のお勤めの最中であったが、お尚に飛びかかるようにしてまくし立てた。
「天変地異のお告げだ!」
和尚はいたって冷静に言った。
「知っておる。」
その冷静な声で、わたしは自分をやっと取り戻した。
「今朝は石の眼じゃった。うろたえんでもよい。」
「・・・?」
和尚は朝のお勤めが終わるまで待て…と言い放って、と今日に励んだ。
朝のお勤めのあと、重湯のようなものを一緒にすすり、一息ついて和尚はわたしを案内した。
本堂の奥を抜け、小さな植え込みを過ぎ、荷物置き場のような小屋の扉をよっ!と力を入れて開ける。
“峠の地蔵”は、その寺の裏庭の久野小さな小屋にひっそりと隠されるようにあった。
「少し前は、本当に峠にあったものじゃ。しかし・・・いろんな噂がたってのう。それ、その唄にあるように、頭を撫でれば米たわわだの、本当に手をぶつけた人がおっただの・・・それでも大切にしておったうちはよい。ある時、いたずらに目を赤く塗った者がおってな、それこそ村の者は大慌てじゃ。大水は起こらないで幸いじゃったが、そのいたずらも二度三度となると誰も信じなくなってなぁ。ある時本当に大水が押し寄せて村は全滅じゃ。そんなことがあって、わしの元へ来よった。そんなで毎日、わしは見守っておるんじゃ。」
「そうでしたか・・・。しかし、どうしてわたしのところにその女が・・・。」
「どうして?と聞かれれば御心の成せる技としか言いようがないが、意味のないことは起こらない・・・ということくらい、竹風殿たるものならわかるはずじゃがのう~。」
「理由なくして、わたくし共も出会えませんね。そういうことですか・・・。」
「さよう・・・。」
「先ほど石の眼…とお作用はおっしゃいましたが・・・。」
「うむ、石の眼は本来の眼。何事も起こるまい。ここに来てからは石の眼のままじゃ。安心するがいい。」
「そうでしたか・・・。」
ほっと安心した私は、和尚がやけに落ち着いている理由が分かってホッとした。
寺の和尚がひっそりと隠すように守っている地蔵の小屋には、他の誰もが見えぬだろう結界が張ってあった。
和尚は青の地蔵がここに安置されて以来、毎日地蔵の様子を確認しているそうだ。
地蔵菩薩が心休まる居場所に安置されたことは、何より仏の意思だと感じた。
そんなことがあったことを忘れかけようとしていた頃、月に決まって開かれる都の市へ生活品のこまごまとしたものを買い求めに出かけた。
そこにあの唄を運んできた干物を売る女の姿を見つけ、客との掛け合いも元気にしている様子を見て小さく安堵する。
「この干物をくれないか?」
そういってその女の顔を見る。
「あ・・・あの時は、お世話になりました。」
「それは安心しました。」
「いつか言おうと思っておりましたが・・・私の母は水に沈んだに村の出だったらしく、その村には守り神のような地蔵さんがあったという話を人伝手(ひとづて)に聞きました。」
「ああ・・・それで。」
(お地蔵様を大事に崇めた村の子孫が、地蔵を案じてわたしにその存在を知らしめたということか・・・。)
一人でうなずくわたしにその女は不思議そうな顔をむけたが、
「この干物、持って行ってください。」
と、あの時と同じ干物をわたしに差しだした。
「あの唄にあったお地蔵さんは、今は良いお寺に安置されているから、安心するがいい。」
それを聞くと、女はホッとしたようだった。
「どこのお寺ですか?」
女はそのお地蔵様にお参りしたいと言った。
「それはいい。お地蔵様が唄を通してあなたに託した思いですからね。仏様との縁は大事にすることですね。」
女に干物のお礼を言い、わたしは道すがら他の事を考えていた。
水没した村の生き残りの女、私の元に運ばれてきた唄、その地蔵の所在を知らされる大いなる意図、今はまだ意思の眼という和尚の言葉・・・
今はその破片はちらばったままである。
何人たりとも大いなる役割の元に生まれけり・・・竹風
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