第5話 人魚の伝説
巷(ちまた)とは、何と愉快なものだろう。
やはり、自分の生きる世界はこういう場所のような気がしてくる。
怪しの世界有り、妖魔や魑魅魍魎あり、人間以外の存在も入り乱れての何でもありの世界は、退屈な閉鎖世界では味わえない醍醐味がある。
今日も雅楽で使う“三の鼓”の修理を頼まれたので、皮の調達に山師のもとを訪ねた帰りに街中で面白いものを見た。
すれ違った旅姿の女は、この世のものでなかった。
その独特な感じは言葉には表わしにくいのだが・・・
人形のように生きている感じがしないくせに人のように動くから、
どんなに化けが上手い九尾の狐であっても、完全なる人間の真似が難しいのと等しい。
どこかに違和感が残る。
まあ・・・周りの人間たちは何の疑いもなくすれ違っているのでそのままにしておいた。
旅笠を少しあげ、視線が合ったわたしに意味深な笑みを浮かべる。
(山の生き物だな・・・。)
という直感が働いた時、足もとにふわりと尻尾が見えた。
(おい!尻尾がでてるぞ!)
心の中でそう注意してやると、シュルっと引っ込めるところなど妙に可愛らしい。
戻ってみるとわたしの留守の間に、訪ねてきていたであろう人が戸口の前に立っていた。
「お留守中に失礼いたした。夢解きをお願いしたい。」
「それでは、中へどうぞ・・・。」
そのお方は壮年のお侍であった。
「実は・・・拙者の家に伝わるあるいわくつきの物を処分することになりまして。」
「それと夢の関係をお聞かせ下さい。」
「はい・・・。蔵を整理しておりまして、代々の家宝という古い箱が出てまいりました。箱の文字もよく読めないので開けてみましたところ、世にも恐ろしいものが入っておったのでございます。」
「その物の正体は・・・?」
「何かはよくわかりませぬ。とても直視などできませぬ。ただ・・・その顔といったら地獄の底で釜ゆでにされた者のように歪んで何かを叫んでおるようでございました。その恐ろしい顔が夜ごと夢に出てまいりまして。もう、恐ろしくて、恐ろしくて・・・。」
「まあ・・・それは興味深いものでございますなぁ~。」
「興味深いなどと滅相も無い・・・。」
軽く身震いまでするような代物を、処分するならば、夢も一緒に処分されるだろうと思ったわたしは、少し興味が出てきた。
「あなた様が恐ろしい・・・と申され、処分するというならば、わたくしにはそれを止めるすべはありませんが、処分される前に一度拝見できませんか?」
「とてもお見せできるようなものではございませんし、何しろ父が家から持ち出してはならぬ・・・そう申しております。わが家門に傷をつけてはならぬといい、その箱を開けて以来父は体を崩しまして伏せっておりまする。竹風様のためにもそれは止めた方が・・・。」
この侍はわたしに親切で言っているのだろうか?
(笑わせる・・・)
ここまで話を聞いて、一見せずにおられようか?
(絶対見てやる!)
「夢に出てくる・・・ということ自体、何かを訴えているのかもしれません。それを解かないことには、末代までの障りになるやもしれませんぞ。」
人間とは未知のものに対して、必要以上に警戒心が湧くものだ。
「門外不出ゆえ、おいでいただくしか・・・。」
「はい、参ります。」
待ってました!とばかり、嬉嬉としたわたしとは裏腹に、道中、この侍は何度も何度も慎重にわたしに口止めを要求した。
その重々しい扱い方からして、この家の者は真剣に祟りを信じているのかもしれない。
いよいよその箱を開けた。
侍は顔をそむけている。
(魚? 人? 言うなれば、人魚というより乾燥半魚人)
その怪しの物はとにかくカサカサに干からびた妖怪風・・・しかも船乗りを迷わす美しい女だと噂される人魚とはほど遠い黒い木の根のような半魚人だった。
(これを家宝にするなんて、正気の沙汰ではない・・・。)
半ばあきれていたが、夢解きという見地からすればそれなりに意味はある。
「どんな姿にせよ、この世に命を授かって生まれたものです。手厚く葬ることが一番でしょう。家宝などというつまらぬ固執は取り払い、寺で荼毘(だび)に付すのが賢明かと。無事に執り行えば悪夢も滅却致すでしょう。」
「仰せの通りに・・・。」
帰り際、ずしりと重い見料(口止め料)を握らされ、
「くれぐれも他言なきよう・・・。」
「たとえ何がしかの噂がたっても実物が無い限り、誰も信じないでしょう。ご心配されますな。」
そういうと、侍の一族は心なしか安心したような表情を見せた。
帰りの道すがら、懐の重さが妙な違和感を醸し出す。
その夜・・・
大きな商船にはたくさんの積み荷が積まれ、たくさんの人足が太い腕にちからをこめて縄を押さえていた。
荒波は容赦なく人足たちに潮の波をあびせる。
このままでは転覆かと思われる中、誰かが叫んだ。
「あれは・・・何だ?」
波のしぶきの間に間に、大きな魚のひれが光る。
舵取りは何人かの人足に捕まえるように命じ、荒波と謎の魚と死闘を繰り広げた。
やっとの思いで捕まえた謎の魚は下半身が魚であるのは間違いないが、その上半身に鱗はなく人間の子供のような大きさだった。
ただ・・・その顔は紛れもなく魚のようで、口が耳のあたりまで裂けていて、目は両側に離れている。
耳はもちろん無い。
生きている時のこの“乾燥半人魚”の生き生きと水面を跳ねる姿をみると哀れでならなくなった。
乾燥していた今日の様子からは想像できないぐらい、無邪気で生き生きと、海を楽しそうに泳いでいたからだ。
その半魚人を捕まえたとき、不思議と波は収まり船は悠々と港に入った。
人魚の肉は不老不死だと言う一方で人を惑わすとも言われ、船が遭難するのは船乗りが沖で人魚の美しさに惑わされたのだと噂され恐れる人もいたが、半魚人は嵐を収めると言い伝えられ、船の運航を守ると勝手に信じられ、代々の家宝としてこの家の蔵に眠ることになった。
(そう言うことか・・・。)
家宝にするならそのいきさつくらい、記しておいてほしいものだ。
人魚にしたって半魚人にしたって、突然違う世界に連れてこられ永遠に暗い所に置き去りにされるとは、なんとも哀れではないか?
代々の家宝を守ることだけしか考えていない頭が固い人間には期待できないから、一番優しい心持の侍の夢に出て訴えたのだろう。
家宝とは、長い年月の間に様々な人々の業(ごう)や雑念を吸い寄せてしまう。
海の守り神として祀るなら正しく祀るべきだった。
それが暗い蔵に置き去りとなれば、どんなものだって“出してくれ~”と叫びたくもなろう。
人魚の肉を食せば不老不死を得られるとか、人魚が人心を惑わす美しい存在などと、巷の人魚伝説はいかに身勝手につくりあげられたものであろうか。
その後・・・馴染みのある僧から噂を聞いた。
「うちの寺には内緒の話ですが・・・不老不死の人魚が安置されておりまして・・・。」
(ひょっとして・・・あの半魚人ではあるまいな?)
世の中、不思議なことの種は尽きない。
異形のものとて生命に変わりなし・・・竹風
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