第4話 蛇の悪夢

「眠れないんです・・・。」

ぽつりと出た言葉をはく男の青白い顔に張り付いた目は、暗く、重たく、底なしの沼のように不気味だった。

ただ、張り付いているだけ・・・という生命観の無さ。

重くべったりと張り付くような疲労感はその男の体だけでは物足りないらしく、体の毛穴という毛穴から染み出し、辺りのものを貪欲に侵略するかの様に広がり、すべての生気を吸い上げていく。

同じ空間にいるだけで、ここだけ漆黒の闇にむりつぶしたようだ。

今すぐにでも逃げ出したくなるような重苦しい空気の発生源となっているこの男は、もう既に半身はこの世の者ではないであろうか・・・。

「いつ頃からです?」

やっと出た言葉は相手の男にはどうでもいいことかもしれないが。

「いつだったかも思い出せないほど・・・。」

その言葉が終わると男の顔がグルグルととぐろを巻くかのように不気味に歪み、わたしははっとして身を起こす。

 

(はぁ・・・またこの夢か・・・。)

干上がった喉が悲鳴を上げるが、その反対に体はぐっしょりと寝汗をかいていた。

最近、明け方に決まってこの男の夢の、この場面を見る。

わたしの夢に強引に割り込んでくるのだ。

その寝起きの悪さといったら、べっとりと張り付く寝汗が、自分の身体から出たとは言いたくもないような、ねっとりとしたなめくじの粘液さながら。

ひしゃくで水を汲み、悲鳴をかき消すかのように焼けつくような喉に流し込む。

まだひっそりとしたほの暗い雰囲気から夜明けは遠いものと察し、戸口から青白い靄のかかった外の景色を一瞥した。

あの世とこの世の境目が、もうすぐ潮が引くように消え去るだろう・・・。

(誰なんだ‥あの男は…。)

わたしのこの夢の後味が、この男の不眠へとつながるとは思いもしなかった。


 「竹さん!大変、大変!」

体を揺り起こすのは、決まってこの言葉だ。

それも、隣の長屋のお清さんだ。

ゆっくりと体を起こしながら、朝日のまぶしさに目をやられる。

また眠ったのか・・・と頭の中の整理の時間はない。

「何が・・・大変なんだい?」

ゆっくり背伸びをしながら、わたしもお決まりの言葉を吐く。

(朝くらいは、おはようさん・・・という、ありきたりな挨拶をしてほしいもんだ。)

身支度を整えながらお清をみると、勝手に人の家のひしゃくで水を飲んでいる。

きっと一目散に走ってきたに違いない。

「この前のあの死神みたいな人、川に浮かんでんだってさ。」

「えっ!」

お清が言う“死神みたいな人”というのは、明け方にわたしの夢に割り込んできたあの男のこと。

以前、訪ねてきたこの男を見たとき、お清は本当の“死神”だと思ったらしい。

落ちくぼんで充血したその目は真っ赤で、体は枯れ木のようだったという。

お清さんに、「死神はどんな風体なんだい?見たことあるのかい?」と聞くと、

「生きた感じがしない人・・・のこと。」と決めつけていた。

その男の風体が、生きた感じがしないから、お清さんは【死神】と言ったのだ。

生きた感じがしない存在は全て死神という、お清さんの発想も今は論ずるつもりはない。

お清さんのいう、死神(あの男)が浮かんでいた・・・というなら、

“その日”がとうとう来たことを認めぜるを得なかった。

 

 今思えば・・・その男が訪ねてきたのは、ほんのひと月ほど前だ。

その日は修理を終えた小鼓を届けに行った帰りのことだったので覚えている。

戻ると戸口の前をこの男がうろうろしていて、長屋あたりでは見かけない顔であることがわたしの気を引いた。

「あの・・・申し・・・。」

「はい・・・。」

「夢解き屋の竹風さんというのは・・・。」

「はい、わたしです。」

そう答えると小さく安堵のため息を漏らし、深くお辞儀をした。

「夢解きをお願いしたく・・・嵯峨からやってまいりました。」

愛想笑いを浮かべようとするが故に、逆にその笑顔が不気味にうつってしまう。

窪んでうつろでありながら真っ赤な眼、生気のない表情でありながらぎょろっと動く視線、こけた頬、白髪交じりの荒れ野のような髪、手の皮は骨の上に薄く張り付いているようで血管が不気味な筋をえがいていた。

「ここでは何ですので・・・中へ・・・。」

入口に目印の板を掲げる。

これは看板であり、来客中を意味していて、わたしは鼓などの楽器の修理などをする一方で夢解きをしていているのだ。

夢解きとは・・・人の夢を判断し、どんな意味があるか、どんな将来を暗示しているかを判断・解説することである。

この長屋に居つくようになった頃から、隣のお清という女が“竹風”と呼んだのが始まりで、“竹さん”というのがここでの通称になった。

わたしはここに来る前のことを、誰にも話していないし、一切話すつもりも無い。

誰もわたしの本当の名前を知らないが、かえってその方がいい。

“竹風”という名は、竹林の中をさわやかに流れる風のごとく、爽や

かに通り抜けていくような雰囲気からとったそうで、とても気に入っている。

所詮、名前など大きな意味はない・・・が。

竹林の中を駆け抜ける風はどこから来て、どこへ行くのかわからないのだから、気にする方が野暮というものだ。

夢解きをしてほしくて…と居より、助けてほしくて…と言った方がいいだろう。

目の前の男の観察をしながら、ぽつりぽつりと話をする。

「ずいぶんかかったでしょう・・・嵯峨からでは。」

「はい・・・体もこんな風ですので、3日かけてやっとまいりました。」

「それは、それは・・・。で、どこでわたしのことを?」

「はい。嵯峨あたりで山菜を取っては細々と売り歩いておりました。そのお客の方がお話になっておられまして・・・。ここ半月ばかり嫌な夢を見るようになり、眠れないのもあって段々と体の方が参ってきまして・・・。このままでは、いつ逝ってしまうかと思うようになり、ますます怖くなりました。」

(人はこんな風になっても…死ぬことが怖いのだな。)

冷酷なようだが、わたしは生きることにそこまで興味がない。

「そうでしたか・・・。その夢のことを詳しくお話いただけませんか?」

「いつもいつも足の方から段々と重くなってくるのです。冷たくて…なめらかな感じがするモノです。そのうちその重さが胸や首にまで這い上がってきて、そのうちに息も絶え絶えになってまいります。黒い何か太い縄のようなものが体を締め上げ、闇の底から、許さぬ・・・許さぬ・・・という声が頭の中までしみ込んでまいりまして・・・。」

その言葉が始まると同時に男の体の周りから湧き上がった得体の知れない黒いものがとぐろを巻きながら天上のあたりまで持ち上がった。

地の底から湧く、許さぬ・・・許さぬ・・・という声がわたしの耳にも届いてきた。

腕組みをしてその男の話を聞いていたものの、実のところ懐の数珠を探り当てギュッと握りしめるしかなかった。

「そうですか・・・。怖い夢を見るから眠るのが怖いのでしょうか?その許さぬ・・・という辛い思いがひしひしと伝わってくるのが辛いのでしょうか?」

一瞬、私の言っている意味が分からなかったのか、間があった。

「さあ・・・多分両方だと思いますが・・・。」

「そうでしょうね。一見するとあなた様は言葉使いもそれなりで、大層お優しい方だとお見受けいたしました。そんなお方に失礼かとは思いますが、何か思い当たる節はございませんか?それも女に関して・・・。」

「女・・・ですか。わたくしは独り身でございまして・・・。元々は大問屋に奉公しておりました。奉公先ではとても良くしていただいたのですが、ある不祥事から商が傾きまして、一家の皆様は心中をされたのでございます。それ以来、嵯峨に移り住みまして、細々と山菜を取っては売るという暮らしですので、女と言われましても・・・。」

「そうですか・・・。許さぬ・・・という声がどうも女の声に聞こえたものですから・・・。」

「あの声が聞こえたのですか?」

「ええ・・・まぁ・・・。」

肩を落とす男の様子を観察しながら黒くとぐろで男を締め付ける正体を見極めていた。

その時、男の口元に何か赤いものがちらっと見えたような気がした。

“トントン・・・”

誰かが戸口をたたく音がした。

「少々お待ちを・・・。」

戸口に対応にでると、次の来客が中の様子を覗き込んでいるので

「もう半時(一時間)ほどしたら、いらしてください。」

と丁寧にお断り申し上げた。

やつれた男はそれが催促だと感じたらしく、籠(かご)に今日の見料を入れて帰り支度をはじめた。

なぜか嫌な予感のするわたしは、次回の約束を取り付けるまでは返さないつもりでいたのだが・・・。

「なにか釈然としませんし、何よりあなた様の様子が気になります。近々もう一度足を運んで頂けませんか?」

「そうでございますか・・・。では、またの機会に。今日はありがとうございました。」

深々と頭を下げて帰って行かれたのと同時に、長屋のお清が野菜を持って飛び込んできた。

「今のもお客さんかい?」

「ああ、そうだ。」

塩を撒いているわたしに、お清は言った。

「この前もうろうろしていたよ、あの人。今もすれ違っただけで寒気がしたわ。」

その男のすわっていた所に何かがキラッと光った。

(何だろう・・・?)

拾い上げて見ると、それは何かの鱗(うろこ)だった。

その鱗を紙に包んで、お清にみられないようにそっと封印をする。

その鱗は“俺の獲物に手は出させない”という無言の威嚇をしているようだった。

動物には人間にはない縄張り意識や、自分の獲物だという強い所有欲がある。

その夜・・・

 わたしは昼間の男が言っていたのとまったく同じ感覚の夢をみた。

何かひんやりとしたモノが重く足に乗っかり、段々と胸やのどのあたりまで攻め上がってきた。

そして大きな縄のようなものが全身を締め上げ、許さぬ・・・許さぬ・・・という声が響いてきたのだ。

こんな恐怖を味わったら、当然寝るのが恐ろしくなるだろう。

わたしは首元を締め付けられながらも、一心に語りかけた。

(何を恨んでおる?何者だ?)

<お前には関係ない!>

(関係ないなら言うても構うまい!申してみよ。)

<夫を奪われたわが身の無念がわかるものか!>

(夫はどうして奪われたのか?)

<あの男は夫を殺した。夫の毒で苦しむがいい。あの男を道連れにしてやる~>

その途端、怒りの炎が燃え上がり声の主が現れた。

大きな蛇がとぐろをまいてチロチロと赤い舌を出していた。

(この蛇の鱗か・・・。)

謎が解けたからには、やるべきことがある。

(そなたの苦しみを軽くする手伝いはできる。あの男にそなたと夫を供養させるように説得する。どうだ?)

<それでは足らぬわ!命をもらう!>

(もはやあの男の命は風前のともしび。男を道連れにする前に懺悔させる機会はないか?)

その蛇は答えずに姿を消した。

その夢を見てから、何日待ってもその男は現れなかった。


あの日、あのまま帰さなければ・・・と思う自責の念と、邪魔をするな!という警告か?

夢の中のあの男は、懺悔する機会も与えら得ないまま、本当の死神に連れさられてしまったようだ。

せめて的確に夢解きが出来ていれば、あの蛇もうかばれただろうと思うと心が痛む。

術や封印で相手を縛る(または救う)ことをしても、それは本当の解決ではない。

他人が決して見ることのない夢の世界、不思議なあの世とこの世の架け橋、叡智と戒めの導き、そのかけ橋を生業にする者の使命。

そして今後わたしの夢解きで命救われるであろう人や命あるもののために・・・。


ほの暗い灯りの中で日誌をつけながら、意識は深い深い別の次元へと旅発ち、その一部始終を見た。

在りし日のあのやつれた男は見違えるほどたくましく、元気な姿で山の山菜を摘んでいた。

背負ったかごには、薬草だけでなく、蕨やつくし、ぜんまいに葛、自然薯などがたくさん入っていて、額の汗をぬぐいながら一休みしようと石に腰掛けた時、まむしが出てきて男の足に食らいついた。

引っぱってもなかなか離れないまむしを、とうとうその男は石で殴り殺してしまった。

その毒で足はみるみる腫れ上がったが、即座に毒を吸い出し薬草を揉んで傷の手当をしたことが幸いし、しばらくの後、痛みと毒気は収まり男もそのことを忘れてしまっていた。

しかし、忘れられないのはまむしのほうで、その怒りは収まらなかったようだ。

呪術などで妨害させないように本性をなかなか現さなかったのは、今にしてみれば自分で最期を見届けたかったのであろう。

なぜなら、あの男を道連れにしたことで恨みは果たされたのだ。

まむしの夫婦はあの山に棲みつき、生物としての生を全うできたであろう。

業というものは根深く息づいて連綿と繋がっていくどこかの時間の裂け目でその業を果たす。

あの男が殺したまむしを弔っていれば・・・と悔やまれてならないが、今となってはあの男が自分の命を差し出すことで、業の果たし合いが出来たのだ。

命あるものはすべて、その命を全うするために生まれ、その役割を果たす。


それが例え人であろうと、獣や虫の類であろうと・・・。


【命ある存在のいと尊きかな】

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