第2話 突きささる針の話
【突きささる針】
今日の来客は、巷で有名な繊維問屋・桔梗屋の若女将である。
有名な理由は二つ。
器量良しと、その商いの栄華ぶり。
(なるほど・・・。噂も無下にはできんな。)
わたしも息を呑むほどの器量であったが、あえて、いつものように半眼でいる。
[仏眼ともいい、中庸で物事を見るという考え方による]
美しさの定義は人それぞれ、特にわたしは美しさの質にこだわる。
人を惑わすほどの美しさも、あの世界の妖魔たちがよく使う手だが、わたしならその辺りは嗅ぎ分けられる。
しかし、目の前に居るこの若女将は、生粋の人間から匂い立つ
独特な香り・・・言葉にするなら“ほのかな品”というものがあった。
楚々としながらも内側から溢れてしまう色気というものは、本人の意思とは関係なく勝手に放たれる。
居ず前を丁寧に整えてから、礼儀正しくお辞儀をした。
「よろしくお願いいたします。」
整っているものを目の前にすると壊したくなる・・・
清楚としていると汚したくなる・・・
ふいに湧き上がってきたこの衝動は、わたしの性からか?
これも人間の持つ一つの業。(それも仕方なし!)
人間の本質であり、相対する二つの概念である。
美しき花にも棘があり、若葉の下には地面を這う醜き根が存在する。
美しきものには、醜きものが付きまとう・・・と言うこと。
この若女将も例外なく、その美しさゆえ、醜きものの洗礼を受けている一人。
「こちらこそ。」
礼に対しては礼で応える。(無礼には無礼で応える)
「いかがされましたか?」
いつもこんな調子で、のらりくらりとはじめる。
何もなければここには来ないことを百も承知でいう、わたしなりの“罠”なのだ。
「このところ、よく夢でうなされまして・・・。」
「なるほど。詳しくお聞かせください。」
真っすぐ見つめる瞳の奥には、何かがひっきりなしに飛んでいた。
「この夢を見始めたのは、おそらく2年ぐらい前からです。はっきり覚えていませんが。時々、疲れたりすると見ていた夢が、このところ頻繁に・・・。それも最近は痛みもあって。」
「痛み?」
「はい・・・。その夢はいきなり始まり、身構える隙も無く四方八方から針が飛んでくるのです。逃げても逃げても針が追ってきて、痛みは全身に付き刺さり大声を上げて叫んでいるうちに、夫に起こされるのです。激痛は残るものの血一つ付いておりません。」
「その痛みはとても夢で済まされるようなものではない・・・ということですね。」
「はい。」
しばらくの沈黙の後、わたしはこんな質問をした。
「ところで・・・商の方はいかがですか?」
「商でございますか・・・?」
脈絡もない話に、少し驚きながらも、
「私が嫁いでまいった頃は大変な思いも致しましたが、今はお陰様でつつがなくいっております。」
大きな商家となっても、この謙虚さとは恐れ入る。
「それは・・・貴女のご尽力も随分とあったでしょうな。」
若女将というのは、いわば店の看板。
その美人女将という看板見たさに・・・という人の興味本位の心情もずいぶん働いたであろう。
店が傾いていた頃には皆が必死であったが、跡取りの息子が嫁をもらい、その嫁である若女将の尽力で店が持ち直すどころか、大きく繁盛したことで人の嫉妬もずいぶんと溜めこんでしまったらしい。
「人は生きているだけで、無意識に他人の恨みを買うということもあるんですよ。」
「私が恨まれているとおっしゃるのですか?」
「貴女だけではない。大なり小なり人は皆そうです。
ただ・・・貴女はそれが人一倍多い、強いということです。器量よしもそれなりの代償を払うものなのです。」
自分に非があるというような言い草に、若女将は戸惑っていた。
「どうすれば・・・どうすればよろしいのでしょう。」
「どうしようもありませんね。貴女の人生ですから・・・。」
助けを求めているのに突っぱねるような言い方をされ、若女将は少し怒りの気持ちが湧き上がった。
「店を立て直すことに一生懸命だったのです。義母も夫も寝る間を惜しんで働き、誰もが貧しい思いをしました。そして何とか商いを・・・と必死で耐えてきました。なのに私が恨まれるなんて。」
「一生懸命がいつでも正しいとは限りませんよ。」
ここにきても厳しい言い方に、若女将も言葉を返す。
「私が尽くしたのが間違いだということでしょうか?」
「間違いではありません。しかし、それゆえに招いてしまったことだということです。
耳に入っているかどうかはわかりませんが、貴女が器量良しであることで評判が立つ。その評判が更に人を呼んできて、商が上手くいくのです。その呼んできた人がいい人ばかりとは限らない。貴女の器量を妬む者、商売を横取りされたと思う者もいる。
人の成功を面白く思わない者があなたに嫉妬する。その嫉妬の眼が刺さるのです。針のように鋭く突き刺さるのは嫉妬の念ですよ。」
「・・・・。」
その表情は困惑していた。
「まず大切なことは、あなたがそれを認めること。自家の商売が上手くいくという事はお客様あってのことで、他のお店の客を奪っていると認める事。
妬みは当たり前のことだと受け止めることです。あなたの店がうまくいったら、よその店が落ち込むのは当たり前でしょう。
しかし、それで我慢しろと言っているのではない。そして次に大切なことは、飛んでくる嫉妬の針をはねのけること、少なくすることです。それには・・・その役はお姑様にお願いいたしましょう。」
「その役といいますと・・・。」
「何かとお姑さんを矢面に立たせればいいのです。何かあったら・・・お義母さん、お義母さんといって一歩下がればよろしい。
例えば・・・店が忙しくなったら、貴女は奥に引っ込む。客に何かを問われたら義母に聞いてきますと言えば良い。矢面に立たぬことです。」
「はい。」
尊妙な顔つきの若女将は、少しばかりの怒りを吐き出したことで、少し楽になり、小さくため息をもらした。
「そして、貴女にはこれを差し上げましょう。襟元に縫い付けておくといいでしょう。」
そういって小さな布でくるんだものを渡した。
「はい、心掛けてみます。ありがとうございました。」
深く、丁寧にお辞儀をして出て行った。
その姿が消えても、残り香がその辺りを漂う。
美しく生まれた若女将に訪れた試練に、少しばかりの同情を寄せたが、世の中こんな妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、僻み(ひがみ)は至る所に飛び交っている。
いちいち取り合っていてはきりがないが、飛ばすのも、飛ばされるのも喜ばしい事ではない。
その後・・・しばらくしてその若女将がやってきた。
「いつぞやは有難うございました。今日はお礼を申し上げに参りました。」
「それはご丁寧に・・・。」
「わたくしどもの店でお得意様にお配りしております、香袋でございます。お礼と言っては何でございますが、どうぞお納めください。」
「ほう…それは有難い。その後、いかがですか?」
「はい。お義母様ともうまくやっておりますし、あの夢も見なくなりました。」
「それはよかった・・・。」
見るところ、飛び交う針はかなり減っているようだ。
「竹風様のお言葉を胸に刻みまして、うちはうちのやり方でお客様を大切に、お客様に喜んでいただこうということを義母や主人とも話しまして、一から気持ちも新たに地道にやっております。」
「それがよろしいでしょう。お客を大切にする店は、贔屓にされていくでしょう。」
こういう夢解きは私にとっても心温まる時間。
晴れ晴れとした表情の若女将の顔が、また更に、幸せという色香を放つ。
「竹さん、竹さん!」
隣の長屋のお清さんが、若女将と入れ違いに飛び込んできた。
「何だい?お清さん。」
「ねえ、今の桔梗屋の若女将?」
「ああ・・・器量良しで有名なあの若女将さんだよ。」
「へぇ~、あんな器量良しで、大きな店構えの商屋でも色々大変なのかねぇ~。」
「器量良しだからこその悩みってこともあるんだよ。」
「へえ~そういうもんかね。わたしゃ、夢なんて見たことも無いよ~。」
大らかに笑うお清のいびきは、ここでも有名。
「芋がゆ、食べるかい?よかったら、後で持ってくるよ。」
「いつも助かるよ。それと・・・若女将がここに来たことは内密に頼むよ。」
うなずきながら、お清はいつもの笑顔で戻って行った。
人目を引くが故、どこに行こうとも噂になってしまう若女将と、
夢すらもみない、おおらかな人生のお清。
どちらが良いとか、何が幸せで何が不幸などと、人が決めるものではない。
自分が決めればいいのだ。
嫉妬というものは、皆が少なからず受けるもの。
若女将を妬んでいたものの中に、もちろん姑も入っている。
女同志の嫉妬、嫁・姑の問題は永遠の課題。
あえて言わぬも花なり・・・。
嫉妬の炎は地獄の業火、嫉妬の針は地獄の針山なり 竹風
解説:視線が刺さる・・・というように、嫉妬の情念は相手を攻撃します。竹風が若女将に渡した物の中身は・・・小さな鏡の欠片でした。
鏡は魔を跳ね返す力があると同時に、そのものを守ってくれる働きもあります。
跳ね返された情念は、情念を放った身に返ってきますからご用心を。
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