第10話

 英語の松原先生は幸いにもまだ学校にいた。

 何やら慌ただしく、明日の教材の準備をしている。

「先生、お忙しいところすみません」

「お? どうした? 質問か?」

 葵さんと一緒にいるせいか、私まで三年生と勘違いされたようだ。

「すみません、そうじゃないんです。少しお話をうかがいたくて」

「話?」

 忙しくても、先生は応じてくれた。

「先生って、ここの卒業生ですよね」

「うん? そうだけど?」

「当時、剣道部だったとお聞きしました」

「何で知って……あ、君たち、剣道部?」

「違います。新聞部です」

 反射的にそう答えると、彼は少し嫌そうな顔をした。

 ……何かよろしくない思い出でもあるのか。

「剣道部に伝わる、呪いの竹刀のことはご存知ですか」

「……」

 先生は口をつぐんだ。

 知っているな、これは。

 私と葵さんは互いに顔を見合わせた。

「……新聞部って言ったよな。もしかして、このことを記事にする気か」

 その言い方は、記事にするなと言ってるも同然だった。

 たかが高校生の作る、学校内でしか配られない新聞。

 それがどれだけの影響力を持っているか……身を持って知っているような素振りだ。

「まだわかりません。記事にしたとしても、剣道部のことをメインにするつもりはありません。ただ私たちは、通り魔の関連として調べているだけです」

「通り魔って……月ノ坂のか」

 私は頷く。

「通り魔とどう関係がある?」

「とある生徒が、今の剣道部の主将……中村千代子さんが通り魔の正体だと言うんです。その証拠としてその人は、剣道部に伝わる呪いの竹刀について挙げました。そこで中村さんご本人に聞いたところ、彼女が一年生のときに起きた事件について、お話を伺えました。私には彼女が犯人だとは思えません。それを証明するためにも徹底的にこの件を調べたいんです」

 一気にベラベラと喋ると、先生は圧倒されて「はぁ」と、気の抜けた声を出すだけだった。

「呪いの竹刀は確かに俺が剣道部だった頃からあった……けど……それは顧問が……」

 先生はもごもごと、何やらはっきりしない。

「呪いの竹刀は、我々が学生の時分から存在しています」

 凛とした声が響きわたり、私は思わず背筋を伸ばしてしまう。

 いつの間にか、初老の女性の先生がそこに立っていた。

 ……英語の田野先生。

 私たち二年を担当している、ちょっと厳し目の先生である。

「話は聞こえてきました。私がお話ししましょう。彼が高校生のとき、この話をしたのは当時顧問だった私なのですから」

 ……松原先生がぼやいた顧問っていうのは、田野先生のことだったのね。

「まさか呪いなんてふうに言われるとは……」

 先生は、呆れたように小さくため息をついた。

「先生も剣道部だったんですか?」

 何となくそうなのではないかと思い尋ねると、彼女は小さく頷き、こんな話をしてくれた。

「私が高校一年生だった頃、三年生にとても優秀な先輩がいらっしゃいました。剣道部のエースとも言われた、美人でとても素敵な人でした。彼女は大会でも度々優勝しており、まさに中村千代子さんを彷彿とさせる女性です。しかし……」

 田野先生の表情が暗くなる。

「彼女は、亡くなりました。引退試合を前に……月ノ坂で」

 ……亡くなった。

 それも、あの月ノ坂で。

「一体何があったんですか」

「事故でした。部活動の帰りに……彼女は月ノ坂で、無免許運転のバイクに運悪く轢かれてしまったのです……。運転するのは、当時からあの場所にたむろしていた不良です」

 ……不良。

 バイク事故。

 それって……

「彼女はさぞ無念だったでしょう。誰よりも剣道に熱心な人でした。残された私たち部員は、彼女を悼んで愛用していた竹刀を剣道場に隠しました。ですが、時が経つにつれ、真実を知らない後輩たちが増えていき、このような噂が流れる事態になったのです」

「……あの、先生。二年前にも同じように剣道部の部員が月ノ坂でバイク事故に遭っているのはご存知ですか」

 中村さんから聞いた、呪いの竹刀を使ってしまった人の末路。

 その人は生きているが、先生が今話してくださった内容とよく似ている。

「ええ、もちろん。それが何か関係でも? まさか、呪いがどうとか言うんじゃないでしょうね。あなたはそんなことを言うような人じゃないでしょう、清原さん」

「そ、そうですね……」

 先生に白い目を向けられてしまった。

 私だってそりゃ、呪いだの霊だの言いたくない。

 だけど、それが真実ならば、記事にする。

 それが私のポリシーである。

 これ以上は話しても無駄だろう。

 十分収穫は得た。

 私は先生たちに礼を言って、葵さんと部屋を出た。

「さっきはああ言っていたが、実際のところはどうなんだ」

 職員室を出るなり、葵さんが私にそう言った。

「呪いを信じているかってことですか? ……わかりません。実際目にしたわけではないので」

 私は、自分が目にしたものだけを信じる。

 ――といったところで、私の携帯電話がポケットの中で震えたような気がして、取り出した。

 部長からメッセージがきたようだ。

 しかも、藤原君から不在着信も入っている。

 ……何かあったな、これは。

 “終わったらすぐに戻れ”

 部長からのメッセージはこれだけだった。

「……葵さん。ひとまず部室に戻りましょう」

 何があったのか。

 少しワクワクする。

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