第26話 後輩ちゃんは、試験勉強をする。ついでにお昼も食べる
西暦2134年、7月11日。午前11時23分。
この日、俺と早坂は南キャンパス内にある図書室でノートを広げていた。理由は明白。一週間後に中間試験が迫っているからだ。
俺と早坂は学部こそ違うものの、ここには学部を問わず様々な資料や本があるし、なにより本キャンパスの図書室にはない個室スペースがある。
誰にも邪魔されずに勉強したいならもってこいだ。
《先輩、ちょっといいですか?》
《どうした?》
刑法各論のレジュメを整理しながら復習していると、早坂がプトレマイオスの量子通信で話しかけてきた。これならわざわざ喋る必要も無いし、他人の目を気にする必要も無い。
《今、政治学の復習をしているんですけど、ちょっと確認してもらいたいところがあるんです》
《わかった。ちょっと見せてみ》
《ありがとうございます。えっと、ここの”規模の経済”って所なんですけど》
ああ、そこか。俺は過去に保存したデータの中から、写真にとっておいた経済学のレジュメのファイルを引っ張り出して早坂のトレミーに転送する。
受け取った早坂は目の動きでファイルをダウンロードし、開く。
《あ、受け取りました。これ、先輩のレジュメのデータですか》
《そう。去年までは、プトレマイオスに直接レジュメが転送されていたんだ。教授の講義を聞きながら、それに直接書きこんだりしてな》
《……先輩って、結構字が綺麗ですよね》
《残念だけど、注目してほしい所はそこじゃないんだよなぁ》
羨ましそうな視線を向けてくる早坂にツッコミを入れる。別に、早坂だって字が汚い訳じゃないんだよな。ちょっと丸っこいというか、女性らしい字を書くけれども。早坂は常日頃から、何時か始まる社会人生活に向けて、かっこいい綺麗な字を習得したいと言っている。
昔と違って、今はプトレマイオスを使えばいつでもどこでも通信教育で文字が習えるし、探せばそこら中にペン字教室を開いている場所だってある。
どうしても必要ならば、それらを薦めてみるのもいいかもしれない。
だが、今は目の前の勉強に集中しよう。"規模の経済"について簡単な説明をしようと口を開きかけたその時。俺のプトレマイオスから、小さく電子音が鳴った。
そういえば、集中して勉強できるようにタイマーを設定していたのを忘れていた。腕に手を翳して電子音と止めると、時計を確認する。時刻は、正午になろうとしていた。
(……腹減ったな)
集中している時には気にならなかったが、気が抜けた途端に体が空腹を訴えてくる。今日は学食もやってないから、後輩ちゃんとどこか外に食べに行こうか――、なんてことを考えていたら、対面に座る後輩ちゃんから小さくお腹の音が鳴った。
ぱっとお腹を押さえて恥ずかしそうにした後輩ちゃんだったが、時すでに遅し。くぅ、という可愛い音は、確実に俺の耳に届いていた。
早坂は顔を真っ赤にして、恨めし気に俺を睨みつける。はっはっは、全くこれっぽっちも怖くない。
「……聞きましたね?」
「聞いてますん」
「いや、絶対聞こえてるじゃないですか。先輩のえっち!」
その理屈はおかしい。
一体なぜ、俺が早坂のお腹の音を聞いただけでエッチだなんだと言われなければならんのか。甚だ理解できん。
後輩ちゃんの羞恥が怒りに変わってしまう前に、さっさと昼食を食べに行くとしよう。
「早坂、何か食べたい物あるか?」
「ええー、そんな露骨に話逸らさなくても」
「あのまま続けてたら、お互いにダメージ喰らうだろうが。そんなことはまっぴらご免だし、俺も腹減ったしな。次は俺のお腹が鳴りそうだよ」
「そうですか、ならいいんですけど。いや、ちっとも良くないんですけど。ええっと、食べたいものですかー。先輩は、何か無いんですか?」
と、早坂は勉強道具を鞄の中に仕舞いながら俺に質問してくる。俺かー。まあ、候補はあるにはあるけれども。女性を連れて行くには、些かどうなんだろう。
まあ、早坂だし大丈夫だと思うが。
「あるけど、怒らないか?」
「へ? あの先輩。まさかとは思いますけど、私を食事に連れて行く振りをしてふしだらな真似を――」
「するわけないだろこの馬鹿。第一、俺がお前を襲う理由が無いだろうに」
「そこはほら、私のグラマラスなボディに魅了されて」
「ぐwらwまwらwす」
「ぶっ飛ばしますよ、こんちくしょうめ」
そう言いながら、早坂はぐっと拳を握りしめて渾身の右ストレートを放つ。俺はそれを難なく受け止めると、カウンターとして後輩ちゃんの脳天に力の込めていない軽いチョップをお見舞いした。早坂はあう、と言って痛がる素振りをする。
くそう、可愛いな。
「先輩のせいで傷を負いました。これは、お昼ご飯を奢ってもらうしか回復しません」
「はいはい。今から行こうとしているのはラーメン屋だけど、それでもいいか?」
「……先輩。私だから良いですけど、デートにそれは禁止ですよ?」
「断じてデートではない。で、行くのか? それとも行かないのか?」
「そりゃ、行きますけれども」
不承不承頷いた早坂を連れて、図書室を出る。
最近新しくできたというラーメン屋は、南キャンパスの西門を出て、歩いて10分ほどの場所にあった。
『とらや』と書かれた暖簾を潜って、店内に入る。カウンター席が数席と4人掛けの席が3、4席あるだけだったが、お昼時とあって殆ど埋まっていた。
「カウンター席でいいか?」
「はい」
後輩ちゃんの了承を得たので、一番奥の空いている席に2人並んで腰かける。目の前にあるメニュー表を早坂にも見せると、自然と身を寄せ合う形になって、早坂から甘い香りがふんわりと鼻腔を擽る。
「先輩のお勧めってどれですか?」
「正直、どれでも。ただ、前に言った時は普通のラーメンを頼んだんだ。美味しかったぞ」
「じゃあ、私はそれにします」
「ん、分かった。すみませーん!」
頼むメニューが決まった俺が店員を呼ぶと、テーブルを拭いていた若い男性の店員が伝票を持ってやって来た。
「ラーメンと、大盛のチャーシュー麺を。あと、唐揚げと半チャーハンもください」
「はい、畏まりました。ラーメンは大盛にしますか?」
「どうする、後輩ちゃん?」
「いえ、普通盛りで結構です」
「では、ラーメンの普通盛りとチャーシュー麺の大盛りが1つ。唐揚げと半チャーハンの単品が1つずつですね」
若い店員は厨房に戻ると威勢のいい声でオーダーを読み上げる。厨房の中にいた、恐らくは夫婦なのだろう年配の男女も復唱すると、手際よく他の客が注文した品を作っていく。
「あんなに注文して、食べきれるんですか?」
店員がテーブルから離れた後、後輩ちゃんが心配そうに尋ねてきた。
「まあ、大丈夫だろう。一般男子大学生並みの食欲はあるし」
「とか言って、残したら私知りませんからね、先輩」
「その時は早坂に手伝ってもらうさ」
「え゛」
ぎょっとして俺を見る早坂に、冗談だよと返す。早坂も女子大生にしては食べるほうとはいえ、運動部やそこら辺に居る大食い女子みたいに食べられるわけじゃない。
それに、このお店は単品で注文した品のみに限るが、食べきれなかったものを持ち帰ることが出来るんだ。
個人経営店でやっている所は珍しいが、常連さんは結構やっているらしい。
それを伝えると、後輩ちゃんは小さくむくれると俺の左腕に頭突きをかましてきた。痛くも無ければかゆくも無かったが、このやり取りが公然といちゃつくカップルみたいに感じてしまって無性に気恥ずかしいうえに居心地が悪いことこの上ない。
「雰囲気のいいお店ですね」
そんな俺の内心を知ってか知らずか、動き回る店員を見ていた早坂が、小声で呟く。その意見には、俺も全くの同意見だった。
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