第25話 後輩ちゃんは、なかなかに主婦力が高い
西暦2134年、7月8日。午前6時32分。
いつもより遅く起きてしまった俺は、枕元に置いておいた眼鏡をかけて、欠伸をかみ殺しながらベッドから起き上がる。
いつもだったら6時ちょうどにプトレマイオスがアラームを鳴らすはずなんだが、今日はうんともすんとも言わない。というか、肝心のプトレマイオスが見当たらない。
ベッドや机の周りを探すこと5分。自分の鞄の中に入れっぱなしにしていたことに気付いた俺は、鞄からプトレマイオスを引っ張り出して充電器を挿す。
(――ああ、そうだ。昨日は確か、石橋の誕生日だったな)
我らが天文サークルに所属する、教育学部2年の
サークル活動が終わった後、居酒屋に集合して飲み会になった。新入部員も参加できる人達だけ参加ししてもらって、ソフトドリンクで乾杯だけ。後は、料理を食べるのも良し、そのまま帰るのも自由にした。
まあ、なんだかんだ言って全員集まったんだけど。
飲み会が終わったら2次会と称してカラオケで熱唱会を開いた。全員がヲタクなので、必然的にアニソンばかりになる。楽しかったが三笠よ、キーの高い曲だけ入れてくるのは止せ。
おかげで喉がガラガラになってしまったじゃないか。
(こりゃ二日酔いだな)
ガンガンと痛む頭を押さえながら、風呂場へ向かった。この季節、熱い風呂には入りたくないのでシャワーで済ませる。ややぬるいお湯を浴びているうちに、ぼんやりと靄がかかった思考がクリアになっていった。
シャワーを済ませ、着替えたり髭を剃ったりしてリビングに戻ると、プトレマイオスがチカチカと光っていた。
恐らく、後輩ちゃんからのメールだろう。左腕に付けてメールの受信箱を開くと、メールが7件入っていた。
「7件!?」
思わず声に出して、すぐに口を押える。今の時間帯、お隣さんはまだ寝ている。このマンションは防音設備は充実しているけれど、あまり大声を出すと聞こえてしまいかねない。
1件目はいつもどおり、今日の朝食を食べたか否か確認する内容。2件目からは、生存確認と返信の催促。
4、5、6、とだんだん内容が怪しくなっていき、そして最後の7件目。
《分かりました。先輩、今から家に行きますね》
メールが届いたのは、15分前。俺がシャワーを浴びようとした辺りだ。早坂の住んでいるマンションから俺のマンションまで自転車で20分。途中で開かずの踏切があるから、そこに引っかかれば25分。
さて、どうするか。起きてシャワー浴びて着替えただけで、朝食の準備は何も出来てない。これから何を作るかも決めてない。
きっと早坂のことだ、俺の殆ど何も入っていない冷蔵庫を見て苦言を呈するはず。だってしょうがないじゃないか、外に出るのも面倒だし、冷凍食品が凄く便利だし。
というか、こうしている間にも早坂は自転車を走らせている訳で。
待てよ? そもそも何で俺はこんなに慌てているんだ? と、ふと我に返ったところでチャイムが鳴った。
死刑宣告にも等しいチャイムの音に、思わず緊張が走る。が、爆睡していてメールに気付かなかったうえ、返信もしなかったのは俺が悪い。
脳内で謝罪の文言を十数パターン用意しながら恐る恐るドアを開けると、ものの見事に膨れっ面の早坂が立っていた。
「……おはよう、早坂」
「おはようございます先輩。なんでメール出てくれないんですか?」
「シャワー浴びててメール気付かなかった。すまん」
「ふーん、まあ良いですけど」
早坂は俺の予想に反してあっさりと引き下がると、手にしたコンビニの袋を俺に押しつける。中を覗いてみると、スポーツドリンクとインスタント味噌汁、おにぎりが入っていた。
なにこれ?
「なにこれ?」
「え、先輩の朝ごはんですけど」
早坂は俺の問いに、さも当然の如く答える。朝ごはん、朝食、Breakfast。
「俺の?」
「そうですよ。先輩、昨日はたくさんお酒飲んでましたから。絶対二日酔いになって、朝ごはん食べないんじゃないかなーって思って、ここに来るついでに買って来たんです」
「う……。まあ、確かに朝食をとりたい気分じゃないけどさ」
「だと思いました。キッチン借りますね、お邪魔しまーす」
そう言うや否や、早坂は靴を脱いですたこらさっさと部屋に上がってしまう。制止する間も無かったよ。ていうかこの子、人の家に上がり過ぎじゃない?
前にも思ったけど、朝っぱらから人の――それも男性の家に上がり込むんじゃありません、というのは何故か言えなかった。
それが、2日酔いの所為なのか俺が心の底では何かを期待してるのかは分からなかったが。
「うわ、相変わらず何にも入っていないですね、この冷蔵庫」
「勝手に人の冷蔵庫を漁るのは止せ。お前は俺の母親か」
「違いますー。寝坊すけ先輩の、可愛い可愛い後輩ちゃんですよー」
「可愛いとか(笑)」
「ぶっとばしますよ?」
ワントーン下がった早坂の声色に、慌ててリビングへと退散する。
早坂はお湯を沸かしながら、ふんふんと鼻歌を歌っている。
何かやる事はあるかと聞いたら、特にないのでじっとしててくださいとの事で。しかし、家主が何もせずにいるというのもあれなので、ビニール袋の中身を取り出す。
鮭とおかかのおにぎりが2つづつ。インスタント味噌汁はシジミが入っているやつと、豆腐と葱、それと豚汁の3種類。
たしか、シジミの味噌汁は二日酔いにいいとか言っていたから、これは多分俺が飲むやつだな。
「はい、どうぞ」
「ん?」
ことり、とテーブルの上に湯呑が置かれる。顔を上げると、髪をポニーテールに纏めた後輩ちゃんがいた。目を下ろすと、ゆらりと湯気を立てる緑茶。
はて、これは?
「これは?」
「見れば分かるでしょうに。お茶ですよ」
「……おお。ありがとう」
俺の口から出たのは、何とも中途半端なお礼の言葉だった。だが、それに後輩ちゃんは気を悪くした様子もなく、「お湯沸いたので、お味噌汁の具入れといてください」とだけ言ってキッチンに戻っていく。
言われるがまま、3つあるインスタント味噌汁全ての封を開け、中に入っていた具材と味噌の封を切る。
(なーんか。こうしてると、本当に付き合ってるみたいだよな)
何故か楽しそうな後輩ちゃんがやかんのお湯を注ぎ入れる間、俺は二日酔いの頭でそんな事を考えていた。
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