第24話 先輩は、単純に人が悪いです!

 「突撃、隣の小林さん! 俺たちの為に、文学教えて☆」

 「帰れバカ」


 西暦2134年、7月2日。午後4時52分。

 大学から少し離れたマンションの3階で、バタンと音を立てて閉じられたドアを前に、先輩が「やっぱ駄目か」と呟きます。

 そりゃだめでしょうに。なに言ってるんですかね、この人。

 朱里ちゃんと文緒ちゃんが絶句する中、私は先輩を押しのけて再びチャイムを鳴らします。


 《まだ何か用?》

 「先輩、美来です。今日は先輩に聞きたいことがあって来ました。扉、開けてもらえますか?」


 ややあって、がちゃりとドアが開きます。そして、黒い髪をロングレイヤーにした美人さんが部屋から出てきました。水色のタンクトップに、紺色のショートパンツ。私だったら絶対に先輩の前には立てないだろう服装をした女性が目の前に立っていました。

 この人は、国立三葉大学文学部の3年生にして我ら天文サークルの会計、こばやし杏奈こばやしあんなさん。そこ、文学部なのに会計とか言ってはいけません。

 最初は経済学部にいたんですけど、つまらないという理由で文学部に転向した変わり者です。


 「美来ちゃん、よく来たね。後ろの子たちは?」

 「ええっと。私、美来と同じ文学部の片岡朱里です」

 「同じく、文学部の森田文緒です」

 「朱里ちゃんに文緒ちゃんね。3人ともどうぞ、入って」


 そう言って、小林先輩は私達を住んでいる部屋に招き入れます。ただし、先輩は除いて。当たり前のように部屋に入ろうとした先輩に、小林先輩が通せんぼします。

 通ろうとする先輩と、絶対に入れさせまいと防ぐ小林先輩。相変わらず、仲悪いですね。どうして2人の中がこんなに悪いのかと言いますと、時は今から2年前まで遡ります。

 

 西暦2132年、晴れて天文部に入部した先輩は、当時副部長だった小林先輩と入部早々部活動の方針のことで対立しました。努先輩や部長さんたちは、それぞれの家庭の事情も鑑みながら余裕のある部活動にすべきと考え、対する小林先輩と顧問の先生は毎日がっつり行うべきだと主張します。

 意見は多数決で決められ、結果は先輩や部長さんたちの意見が通った訳なんですけど、気に食わない小林先輩は天文部を去ってしまったそうです。

 小林先輩が去った天文部はその後、マイナーであることも相まって衰退の一途をたどっていき、決局は私の次の代で途絶えてしまったんですけど。

 今となっては、小林先輩が正しかったのか、それとも先輩が正しかったのか証明できる人は居ません。

 顧問だった大西先生曰く、どちらにせよ天文部は遅かれ早かれ廃部になってしまっただろう、とのことでした。

 ただ、それ以来小林先輩は当時天文部にいた人たちを恨んでいるそうです。


 「小林先輩、今日は俺の用事じゃないんですよ。可愛い後輩の為なんで、そこ通してくれます?」

 「はん、何が可愛い後輩だよ。お前の魂胆は見え透いてるんだ。どうせ部屋に入れたら、あんな事やこんな事をするに決まってる」

 「先輩は俺をどんな目で見てるんですかね……」

 「え、ケダモノだけど?」

 「はあ? 前来た時は除け者って言ってたじゃないですか! 何でランク下がってるんですか?」


 先輩の中で明確な基準があるのか、先輩が思いっきり不満を露わにします。それ、どっちもどっちなんじゃないですかね?

 騒々しい2人のコミュニケーションに呆れていると、玄関で繰り広げられる攻防を見ていた文緒ちゃんが小声で話しかけてきました。


 「ねえ、美来ちゃん。あの人、明らかにヤバそうだけど大丈夫なの?」

 「うん。大丈夫。ああみえて、面倒見いいから」

 「ほんとかなぁ?」

 「私、なんだか不安になって来たよ」


 信用しきれていない文緒ちゃんと朱里ちゃんに、私は「ほら、ノート開いて」と促します。だんだん静かになってきたので、そろそろ決着がつく頃でしょう。

 自分のノートを広げて待機していると、小林先輩に続いて先輩が一緒に入ってきます。努先輩の服が少しよれよれになっているのは、見ないことにします。

 小林先輩は散らかっていた本を押しのけて自分のスペースを作ると、よっこいしょとそこに座ります。先輩は、ああ、部屋の入口の所で立ってるんですね。


 「それで、美来ちゃん。楠木こいつからメール届いたんだけど、中間試験に不安があるんだって?」

 「はい。私じゃなくて、友達もそうですけど」


 そう言って2人に視線を向けると、素早くこくこくと頷きました。


 「対策。対策ねぇ……。私のやり方は合わないかもしれないれど、それでもいい?」

 「勿論です。せっかく学んだのに、試験は不合格で単位も落としましたなんて親に知られたら、怒られちゃいますから」

 「美来ちゃんは真面目だねぇ。どこかの誰かとは大違いだよ」

 「待てや。それは俺の事か」

 「はいはい、それはもういいので。早く教えてください」


 まったく、放置したらすぐに喧嘩になるんですから。

 小林先輩は学習机の棚に置かれていたシラバスとノートを取って来ると、朱里ちゃんに質問します。


 「ええと、朱里ちゃんだっけ? 君は誰の、そして何の講義を受けているんだい?」

 「は、はい。古河達央ふるかわたつひさ教授の宮沢賢治研究学と、大塚澪おおつかみお教授の現代文学概論と――」

 「なるほどね。それじゃあ、先ずは必修の講義から解説しようか」


 小林先輩の解説は、とっても分かりやすく、そして丁寧かつ論理的でした。最初は不安がっていた朱里ちゃんと文緒ちゃんも、小林先輩の解説を聞いているうちにどんどん引き込まれていきます。


 「――ってな感じかな。分からないところはあったかい?」

 「いっ、いえ! 凄く分かり易くて、勉強になります!」

 「なら良かった。」


 結局、私たちは不安要素を全て取り除いてもらいました。先輩が小林先輩を頼るのも、確実に助けになると分かっているからなんですよね。

 帰り際にそれを指摘したら、先輩は心底嫌そうな表情で「絶対にそんなことは無い。あり得ない」ですって。

 まったくもー、そんなに嫌がらなくってもいいのに。

 私の追及をのらりくらりと躱して絶対に頷かない先輩は、本当に人が悪いというか、子供っぽいというか。

 けれども、私は先輩自身ですら気付かない内心を1つだけ覗けたみたいで、ちょっぴり得した気分になったのでした。

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