第20話 後輩ちゃんは、天体観測の経験がある
西暦2134年、6月21日。18時30分。
既に日は西に沈み、東から月が顔を出している。そんな黄昏時に、俺たち天文サークルの面々は東京都内にある浅間山のふもとに集合していた。
今日はこれから、天体観測をする。自宅から持ってきた天体望遠鏡をよっこいしょと担いで緩やかな斜面を登りながら、後ろを振り返る。先輩たちや俺と早坂は慣れているから良いけれど、そうでない人達は山を登るのにも一苦労だろう。
望遠鏡に双眼鏡、カメラに三脚。折り畳み式の椅子やレジャーシートなど、持っていくものが色々あるからな。しかも今の時期は虫が出るので、虫よけスプレーも欠かせない。
「三笠、ちょい」
「ん? どうした努」
「後ろ」
隣を歩いていた三笠に声を掛ける。三笠は重たいはずの天体望遠鏡を表情を変えずに担ぎながら俺を見る。
俺は後ろを振り返るよう指さすと、三笠は納得がいったように頷いた。
「あー……。なるほどな、これは失念してた」
「手伝ってくれ」
「おう、分かった」
前を歩く先輩に声を掛け、後ろの状況を伝えると俺と三笠は登って来た道を下る。
すれ違う登山客も俺たちの活動を知っている人が多いので、「先輩さん頑張れ」だとか、「大変だねぇ」とか声を掛けてくる。
会釈をしながらも止まらずに、しかしゆっくりと下ると、ちょうど早坂が手を貸そうとしてる所だった。
「早坂、ストップだ。俺たちが手助けするから」
「先輩? どうしたんですか?」
同級生に手を貸そうとしていた早坂が驚いた顔で振り返る。
「後輩たちに手を貸そうと思って。内田、その三脚持つから。あとバッグも寄越して」
「は、はい。ありがとうございます」
俺が声を掛けたのは、同じ法学部の後輩で1年生の
少しぽっちゃりした体型だけれど、同時期に入った新入生の中では一番の力持ち。難点は、スタミナが無い事。直ぐにバテてしまうのが玉に瑕だ。彼もそれを気にしているのか、毎日30分筋トレをしているらしい。
そう言えば、入会した後に比べてちょっとだけ痩せてきて、しかし肩幅はがっしりしてきている。
彼の今後が楽しみだ。
「ほら、東藤も。自分の望遠鏡だけ持って、後は持つから」
「すいません。うう、三笠先輩に助けられるなんて、一生の不覚です」
「そんな元気があるなら大丈夫そうだな。やっぱり1人で頑張るか?」
「ごめんなさい無理です助けて下さい。本当に謝りますから」
三笠と夫婦漫才をしているのが、同じく1年生の
早坂と同級生の一さんと同じく教育学部の人で、派手な服装に金に染めた髪と誤解を受けそうな外見だが、中身は至って真面目ないい子だ。
将来は認定こども園の先生になりたいそうで、都内で一番新しいこの大学に入学したと言っていた。
三笠とは幼馴染とのことで、よく三笠の家に遊びに行ったりしているらしい。
本人は「だらしのない兄貴分を世話してるだけ」って言ってるんですけど、ホントの所はどうなのか分からない。
「早坂は、大丈夫か?」
「私ですか?」
「結構重いだろ、それ。途中でバテそうなら俺が持っていくぞ?」
そう言いながら俺は、早坂が右肩に掛けているバッグに視線を向ける。
この中に入っているのは、俺が出発前に手渡した資料と早坂が作って来たという夜食と水筒、それにカメラと懐中電灯。左に背負っているケースの中には昔から使っている天体望遠鏡が入っている。
だが、早坂は俺の申し出に笑いながら首を振った。
「あはは、大丈夫ですよ。そんなに重くありませんし」
「無理はせんでもいいんだぞ? 山を登り切った後も、やる事はいろいろとあるんだし」
「分かってますって。でも、これだけは自分で持っていきたいんです」
「そっか。辛くなったら言ってくれ。いつでも手を貸すから」
そこまで言うなら、任せても大丈夫だろう。高校にいた頃は天文部に居たし、そこまで体力が無い訳じゃあないからな。
俺はすぐに引き下がると内田君のバッグと三脚を担ぎ、三笠先と共に再び山を登る。
目的の山頂まで、もうひと頑張りするとしますか。
# # #
「ふー、とうちゃーく。じゃあ、準備を始めようかー」
「そうだね。おーい楠木、レジャーシート広げてくれ。1年生は望遠鏡のセットを始めて。分からなければ俺たちにじゃんじゃん聞いていいからね」
サークル長のほんわかした声に癒されながら、俺達は活動の準備に取り掛かる。
3年と4年の先輩が率先してレジャーシートを広げ、その間に俺たちと1年生が観測の準備を進める。
登山客は他にもいたものの、天体観測をしようとしている人は流石に居なかったので、俺たちは山頂をのびのびと使うことができた。
「みんな、準備できたね。じゃあ、これよりサークル活動を開始しまーす」
「今日の活動内容は、木星の観測。それと、春の大曲線を実際に見てみようか」
サークル長の号令に続いて、山田さんが今日の活動内容を伝える。
今月は、木星が地球に接近する。確か、去年も同じような観測をしたと、活動日誌には記されていた。木星に見える大赤斑は、今年はどんな風に見えるんだろうか。
そして、春の大曲線。
北斗七星のひしゃくの方から南の方角にあるオレンジ色の恒星、うしかい座の1等星である『アークトゥルス』へ、そこからさらに延ばしておとめ座の1等星である青白い恒星『スピカ』。この星を結んだ曲線を『春の大曲線』と呼ぶ。
高校にいた頃、早坂に教えた記憶がある。俺にとっては今も忘れられない思い出の1つだ。
「あ、春の大曲線が見えます」
「うお。早坂、いつのまに」
いつの間にか、後輩ちゃんが俺の隣で天体望遠鏡を覗いていた。こちらを一切見ないまま、後輩ちゃんはは独り言のように呟く。
「思い出しますね。昔、先輩に教えてもらったこと」
……憶えてたのか。早坂の事だから、忘れてしまってもおかしくないと思っていたのだけれど。
「あの時の俺、気持ち悪かっただろう?」
「はい。無駄に熱量が籠っていましたし。ぐいぐい近づいて来るし」
「せめて否定をしろよ。そこは」
「いい意味で、ですよ。普段は読書するばかりであんまり喋らなかった人が、あそこまで熱を込めて解説してくれるなんて思ってなかったですから」
「それ、褒めてるか? コミュ障がいきなり饒舌になってなんかキモいって思ったって言ってない」
「言ってませんってば」
俺の自嘲に早坂は大きなため息を吐くと、よっこいしょと言っていきなり俺の天体望遠鏡をどかした。このやろう、いきなり何をするんだ?
宇宙に向けた自分の望遠鏡の角度と位置を微調整すると、満足したのかむふんと小さな鼻息を出す。そうして俺の方に向き直ると、後輩ちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべて、口を開く。
「先輩」
「なんだ、後輩ちゃん」
「春の大曲線って、なんですか。それ、確実に天文部に必要な知識ですよね?」
……このやろう、やりやがったな?
今の台詞は、俺と早坂が都立青豊高校の天文部に居た頃に交わした会話そのままだ。まったく、悪戯がすぎるだろうが。だが、悪くない。
俺は思わず漏れてしまった苦笑に、後輩ちゃんもぺろりと舌を出しておどける。そっちがその気なら、乗ってやろうじゃないか。
「――知らないのか? 中間試験学年1位の天才美少女が?」
「それはやめてください。私、別に天才なんかじゃないです。勉強は毎日してますけどね」
「毎日しなくてもいい勉強を続けている時点で、十分天才だろう。つまり、努力の天才ってやつだ。しかたない、ここは俺が一肌脱いで――」
「いいから教えてください」
「はい」
俺は後輩ちゃんの天体望遠鏡を一度覗き込み、星の見え具合と角度を確認する。
……上手くなったな、早坂。
早坂を手招きし、自分で覗くよう促すと、後輩ちゃんは素直に望遠鏡を覗いた。彼女の瞳は夜空に瞬く星のように、あるいは眼前に広がる都会の光の様に。ただただ優しく、そして眩しく輝いていた。
その光は、昔と変わらないままで。
その後、俺たちはサークル長から活動終了のお呼び出しがかかるまで、一緒に望遠鏡を覗き続けていた。
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