第15話 後輩ちゃんは、夏が苦手

 西暦2134年、6月9日。午前7時52分。

 家からの最寄り駅である鷺ノ宮駅でお茶を買っていると、真っ白のシャツに黄色のスカート姿の後輩ちゃんが駅の階段を上っていくのが見えた。

 つい先日まで伸ばしていた髪を首のあたりまでに短くして、大きなバッグ片手に歩く姿は、女子大生そのものだ。昔の後輩ちゃんを知っている身としては、どんどん綺麗になっていく彼女に少しだけドキリとする。


 (……いやいや。自分から振ったくせに、何様のつもりだよ)


 身勝手な自分に呆れながら、俺は後輩ちゃんの後を追う。

 それにしても。いつもの登校スタイルだが、今日の後輩ちゃんは些か元気が無いように思える。

 はて、どうしたんだろう?

 俺は、バッグから出した水筒を傾けている後輩ちゃんに声を掛けた。


 「早坂」

 「あ、先輩。おはようございます」


 返って来たのは、普段とは真逆の、覇気のない挨拶。うわ、これは相当だな。

 しかし、元気が無いわりに血色は良いし、徹夜した後に必ず出る目元の隈も無い。ボブカットの髪もしっかり手入れをしているらしく、つやつやとしているし、どこも悪い所は無いように見えるんだが。

 後輩ちゃんの体を全身くまなく観察していると(決していやらしい意味ではない)、後輩ちゃんが額に浮かんだ汗を拭った。

 そう言えば、今日の天気予報では真夏並みの気温だって言っていたな。

 ……ん、汗?

 そこで、俺は早坂の元気が無い理由にようやく思い当たった。


 「ああ、そうか。今日は暑いもんな、6月にしては」


 今日の最高気温は、34℃。真夏並みである。

 次の瞬間、さっきまでしょんぼりしていた早坂が急に顔を上げて詰め寄って来た。その勢いたるや、真夏のホラー番組もびっくりなレベル。


 「そう、そうなんです先輩。今日は暑いじゃないですか! 私、夏、苦手!」

 「お、おう……」


 知っていますとも。

 今は懐かしき高校時代、早坂は夏になると今みたいにすっかり元気が無くなっていた。何を隠そう、後輩ちゃんは夏が大の苦手なのだ。

 本人曰く、汗を大量にかくし、そのくせ蒸れるし、夜は寝苦しいし、紫外線は強いし、パリピが量産されるしとのこと。

 最後の方は恨み節の様な気もしないでもないが、まあ気持ちは分かる。

 室内は空調が利いていて涼しいのに、外に出ると猛烈に暑い。寒暖の差で胃がびっくりするし、本を読むと汗でページがよれて変な皺が出来るんだよ。

 じゃなくて。今はそれどころじゃない。

 後輩ちゃんの顔の近さだったりとか、花のような甘い匂いとか、うっすらと透けたシャツからほんのり見える桃色のブラだったりとか。

 彼女いない歴=年齢の純情男子には色々と辛い。


 「夏なんて、滅びてしまえばいいのに。先輩もそう思いません?」

 「思わないっすね、これっぽっちも」

 「うー、先輩のいじわる。とーへんぼく」

 

 誰が意地悪だ。唐変木でもないわ、はったおすよ?

 頬を膨らませる後輩に心の中でツッコミを入れる。

 後輩ちゃんは言いたいことを言ってせいせいしたのか、すっと離れてくれた。そのおかげで助かったけれども。パーソナルスペースが狭いのも問題だな。

 お兄さん、心配になっちゃう。


 「そう言えば、高校生の頃はよく天文部室に入り浸ってたもんな」

 「はい。あそこ、年がら年中涼しかったじゃないですか。窓が西側にしかないですし」

 「夏は過ごしやすいけど、冬はちょっと厳しかったな」

 「あはは、まったくです」


 昔話に花を咲かせていると、電車がホームに入って来た。

 乗り込んだのは良いものの、いつも通りの混み具合で座れる場所がない。仕方が無いので、後輩ちゃんと2人で出入りの邪魔にならない場所に移動する。

 バッグに入れた本を取り出していると、唐突に早坂がこんなことを言い出した。


 「先輩の好きな季節ってなんでしたっけ?」

 「ん?」


 好きな季節、ときたか。苦手な季節は直ぐに出てくるんだけどなー。

 ここは、正直に答えるとしよう。


 「好きな季節かー。あんまり意識したことは無いかな」

 「え、そうなんですか。春は?」

 「花粉が多いから苦手。花粉症辛い」

 「夏は?」

 「暑いから苦手。あと、サーファーとかマジで無理」

 「秋は?」

 「パッとしない季節だから苦手。服が選びづらい」

 「冬は?」

 「寒いから苦手。道路とか凍るし怖い」

 「……」


 ちょっと、無言になるのやめてくれる?

 早坂は『イワナに一言ひとこと言わなあかん』って駄洒落を聞かされたメバルみたいな顔をしている。

 女性がしてはいけない顔になっているぞ、隠せ隠せ。

 目の前に座っているOLの人も、『そりゃないだろ』って顔でこっちをチラチラと見ているし。申し訳ない気分になってきてしまう。


 「はあ。先輩に聞いた私が馬鹿でした」

 「すまんな、正直で」

 「本当です。反省してくださいね?」

 「はいはい」


 軽い返事で返すと、早坂は面白くないのか俺の肩をちょんちょんと小突いて来る。

 全く痛くも痒くもないのだが、周囲の視線が刺さって少しだけ恥ずかしい。

 そういえば、早坂の好きな季節を聞いてなかった。隣で水筒を傾ける早坂に同様の質問をしようとして、止めた。

 彼女の好きな季節なんて、決まっている。冬だ。

 暑くない季節、お洒落に気を遣わなくてもいい季節、自分の誕生日がある季節、夜に降る雪が綺麗な季節。

 後輩ちゃんにとって、冬というのは素晴らしく過ごしやすい季節なのだそうだ。

 それを聞いた時は、雪女じゃないかと疑ったものだが、言うと怒られるので心の内に仕舞っておく。


 「そういえば。後輩ちゃん」

 「なんですか、先輩さん?」

 「その水筒、何が入ってるんだ?」


 俺は、後輩ちゃんの手に握られている明るい黄色の水筒を指さす。さっきから美味しそうに飲んでいるし、きっと中身はミルクティーとかなんだろうけど。


 「ただのスポドリですよ?」

 「え、そうなの? なんか意外だな。あの粉末状のやつ?」

 「ですです。あれ、1パック丸ごと入れると物凄く甘くなっちゃうんですけど、半分ぐらいにして水を多めに入れると、ちょうどいいんですよ」

 「おお、スポーツ選手みたい」

 「ふふーん」


 どや顔をする早坂の顔は、はやり可愛い。なんだろうな、美女はあちこちに居るんだが、なんか違うというか。

 そんな事を考えていると、早坂が蓋を開けた水筒を差し出してきた。

 ん? 飲めという事か?


 「飲みます?」 


 確信犯めいた、蠱惑的に微笑むその顔は、周囲の視線なんか一切気にしてなくて。

 ……飲まんわ!

 俺は心の中でそう叫びながら、ふいっと目を逸らす。そんな俺を見て早坂がコロコロと笑うものだから、負けた気分になって余計に面白くない。

 結局、仏頂面の男とその隣で笑い転げる美少女というなんとも奇妙な二人の姿は、駅のホームに電車が来るまで続いた。

 その後も、大学に着いた後で同じ電車に乗っていたという友人たちに煽られるわ、怨嗟の視線を向けられた挙句に昼飯をたかられそうになるわで大変な一日になったことを報告しておく。


 おのれ、後輩ちゃん!

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