第14話 先輩は、女心というものを理解していません
西暦2134年、6月1日。午後1時37分。
先輩と学食で別れてから、私は借りているマンションに戻ってきました。
目的はただ一つ。この、散らかりまくった部屋を掃除します!
漫画が読んだまま床に放置されていたり、脱いだ服がそのままになっていたり、とても誰かを部屋に呼べるなんて状態じゃありません。
しかし、どこから片付けていいものか。こんな時は、1人暮らしを始めた時の、お母さんの助言を思い出します。
《その➀、大きいものから片付けるべし》
クワっと目を見開いた私は、畳む時間が無くてそのままにしていたお布団を畳みます。敷布団、タオルケットの順に畳んだら、掛け布団はベランダに干します。あとは、夕方ごろまで放っておけば、お日さまの光を浴びてふっかふかになったお布団の出来上がりです。
次に、洗濯物。散乱したシャツやらズボンやらを回収し、洗濯機に放り込みます。
おっと、色物は分けなければなりませんね。
水道代と洗剤代がもったいないので、その2つさえ分けてあとは液体洗剤と柔軟剤を入れて回します。先輩は洗濯の時、どうしているんでしょうか。
いつか一緒になった時、喧嘩になったりしたら大変ですから。こういうことは知っておかなければ。
って。私、何を想像しているんでしょうか。まだ付き合ってもない先輩とだなんて。しかも、過去に振られた男性と。
……はぁ。
思わず暗い雰囲気になりかけた自分を頬を叩いて打ち消し、次の工程に入ります。
洗濯物を回している間に、小物を片付けます。
本は本棚に、タイトルと刊行順に並べます。ここに並んでいるのは少女漫画が主ですけど、実家にいけばお爺ちゃんから貰った歴史書だとか、古い文学作品とかいろいろあるんですよね。
先輩の影響で、最近はライトノベルにも手を出しているんです。あと、星に関する本も。サークルに居る方々が星に詳しい方々ばっかりなので、私も会話に参加できるよう勉強中なのです。
とは言っても、高校時代にそれなりの知識を先輩から受け継いだので、今読んでいるのはより専門的な本ですけどね。
はー、あの頃は楽しかったなー。先輩と一緒に高尾山に登ったり、放課後は星の逸話を教えてもらったり。私は当時アルバイトをしていたので、部活動自体にはあんまり参加していなかったんですけどね。
先輩が卒業してから、アルバイトを辞めて、毎日必死で勉強して、この大学に受かった時は本当に嬉しかったなぁ。また先輩と一緒にいられる、なんて思ってたのに。
せんぱいのばか、あほ、あんぽんたん、おたんこなす、すかたんぽん。
ちょくちょく脱線しかける自分を律しながら部屋を片付ける事1時間半。洗濯物も干し終え、なんとか、それなりに綺麗になりました。
あとは、フローリングと掃除機をかければお終いです。最後のひと踏ん張り、と気合を入れた所で、左腕のプトレマイオスがプルプルと震動しました。
あれ、メールですね。
《よーっす、後輩ちゃん》
《あ、先輩じゃないですか。どうしたんですか?》
《いや、部屋の片づけするって言ってたから、どんなもんかと思ってな》
《ふふーん。もう殆ど終わりましたよ!》
得意げにメールすると、可愛い犬が『よくやった!』と言って尻尾を振っているスタンプが送られてきました。
……もー。なんなんですか、この先輩は。普段は見せない癖に、こういう時だけ可愛い所を見せるんですから。
私の身にもなってくださいよ。文句を言いたい気持ちを堪え、床にフローリングをかけながらメールを続けます。
《で、本当にどうしたんですか?》
《いや、バイト先に寄ったら、売れ残ったドーナツを押し付けられちゃって》
《ちなみに、種類は?》
《美味いやつと、チョコの美味いやつと、ふわっとした美味いやつと、砂糖掛けのふわっとした美味いやつ》
なるほど、わからん。
せめて何かしらの名称は出してもらえないんですかね。オールドファッションとか、ハニーディップとか。
というか、全部美味しいんじゃないですか、まったくもう。
《持ってくから、一緒に食べてくれない?》
はあ。食べるのは別に構いませんけど。もう15時を過ぎてますし。あ、という事は今から来るんですね。先輩のバイト先である清水ベーカリーからここまで、自転車で10分ぐらいでしょうか。
これは、急いで終わらさないといけません。
《じゃあ、ゆっくり来てください》
《分かった。ゆっくりだな》
なるべく急いで掃除機をかけ終え、ふうと一息つく。うん、見た目はばっちり、綺麗になった。あとは、ええっと。
布団叩きでぱんぱんと叩き、埃を追い出します。お日さまの匂いのする布団を室内にえっちらおっちら取り込みます。洗濯物は外に干したままで良いでしょう。下着類が干してあるものは、布をかぶせて外から見えないようにしてありますし。
外は暑いし、先輩はきっと汗を掻いているでしょうから、冷たい飲み物を。あ、紅茶のパックがあります。せっかくだから、使いましょうか。
ぱたぱたとお茶の準備をしていると、呼び鈴が鳴りました。電話をしてから、ちょうど15分。
「はーい。こんにちは、先輩」
「よう、早坂。言われた通り、遅めに来てやったぞ」
「さすが、私の先輩です。分かってるじゃないですか」
「だろ? お邪魔します」
扉を開けると、少しだけ汗をかいた先輩が立っていました。ご丁寧に断りの挨拶をしてから部屋に入る先輩に、洗面所から綺麗なタオルを持ってきます。
汗の匂いは気になりませんし割と好きですけれど、部屋は冷房かけてますし、そのままだと風邪引いちゃいそうですから。
「先輩、これ使ってください」
「ああ、悪いな。うわ、ふわっふわ」
ふふん、そうでしょう。
なにせ、新品ですからね。お父さんから送られてきた仕送りの中に、新品のタオルが入っていたので、使って貰いました。
私の後に続いて先輩がリビングに足を踏み入れ、「おおっ」と小さく言って目を丸くします。
朝にとことん弱く、二度寝してしまう私をほぼ毎朝起こしに来る先輩は、部屋が汚くなる過程を知っていますから。乙女としてはどうなんだと言われなくもない気がしますが。
「綺麗になってるな」
「そりゃ、頑張りましたから」
「だろうな。ご褒美に、このドーナツを進呈しよう」
「わーい!」
いつものじゃれ合いの後、腰を下ろします。流石に、じかに座らせる訳にもいかないので、クッションを敷いてもらって、と。私がお茶を淹れている間、先輩は手に持っていた白い箱を開封します。
中身は、ええと。オールドファッションに、チョコリングに、エンゼルフレンチに、ハニーディップの4種類ですか。
「わあ、美味しそう!」
「これが売れ残っちゃうんだもんなぁ。勿体ないよな」
「ですです。でもこうして、私達の胃の中に納まるんですから」
「言い方。まあ、間違っちゃいないけど。ま、こいつらも可愛い後輩に食べられるんなら、幸せだろう」
ふぁっ!?
先輩の口から出た可愛いという単語に思わず動揺してしまいました。一気に体温が上がって、頬もかあっと熱くなっています。うう、悟られてないと良いのですけれど。
私と先輩は適当に2つ取り、半分こにします。これが、昔から続いてきた私たちのルール。美味しいものは2人で半分こしよう、です。
いつ決めたのは、はっきりと覚えてはいませんけどね。
「んじゃ、食うか」
「はい。いただきまーす」
「頂きます。ん、甘!」
「美味しーい! このドーナツ、すっごく美味しいですよ!」
6月の始まり、天気のいい日に先輩と食べるスイーツは、とても美味しくて。
図らずもお家デートという形にはなりましたけど、向かいに座ってドーナツを頬張る先輩は、私の事をどう思っているんでしょう?
そんな事を考えてしまう、幸せな午後でした。
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