第10話 後輩ちゃんは、鬱憤ゲージが溜まると小悪魔になる

 西暦2134年、5月19日。16時21分。

 4限の授業が終わって天文サークルの部室に行くと、2人の女子学生が本を読んでいた。

 片方は、高校時代からの後輩にして、俺の事を好きだと言い続けている後輩、早坂美来。もう1人は、早坂の同級生で同じ文学部に所属しているという大久保伽耶おおくぼかやさん。黒髪ロングの、スレンダーな美人さんだ。

 結構盛り上がってますけど、いったいなんの話をしているんだろうか?

 私、気になります! 

 ――男がやっても気持ち悪いだけだな、これ。


 「お疲れ様。大久保さんに早坂」

 「あ、先輩じゃないですか! お疲れ様です」

 「楠木先輩、お疲れ様です。ちょうどいいタイミングで来ましたね」


 俺が挨拶をすると、早坂は心底嬉しそうに、大久保さんは落ち着いた声で返事が返って来る。


 「えへへー。先輩、今日はバイトないんですか?」

 「ああ。今日はそんなに忙しくないって、プトレマイオスに連絡が入っていたからな」

 「じゃあ、今日は一緒にサークルできますね!」


 早坂はそう言うと、心底嬉しそうに笑った。お前は犬か。

 それに、だ。あの可愛い笑顔、心臓に悪いからやめて欲しいんだよなぁ。いや、やめて欲しくないけれど。


 しかし、大久保さんのタイミングがいいとは、どういう事だろう?

 俺が首を傾げていると、大久保さんはは笑って一冊の本を目の前に俺に手渡してきた。

 大久保さんが持っていたのは、電〇文庫出版のライトノベル。ははあ。これが、早坂が寝る直前に必ず読むといっていた、あの有名な。早坂いわく、電撃〇庫は期待を裏切らないんです、なのだそうで。

 尤も、俺も朝起きた後の読書でお世話になっているんだけれども。早坂の気持ち、とっても良く分かるなぁ。〇撃文庫限らず、ラノベっていうのは通学時の電車の中とかのお供に最高だよね。

 大久保さんの持っている本に目を向けると、表紙には『晄と翳のフロンティア』という題名が記されていた。作者は、『御伽の國のアグリダス』で一躍有名になった美少女作家の氷室希望さん。


 (……ははあ、これがかの有名な)


 航空自衛隊こうくうじえいたい第3地球警備大隊だいさんちきゅういけいびだいたいの一佐を父に持つという彼女は、自衛隊に入るのを拒否してラノベ作家の道を選んだのだという。

 その選択が正解なのか、間違っているのかは俺には定かではないが、しかし移り変わりの激しい業界で"注目しているラノベ作家"1位を6ヶ月連続で維持し続けているのだから、大したものだと思う。

 そうだ、忘れる所だった。

 俺は、早坂が昨日読みたいと言っていた小説をバッグから取り出す。タイトルは、《勇敢ドレッドノート》。


 「ほら、早坂」

 「あー、その本! 昨日、私が読みたいって言ってた小説! ……え、でもその本、たしか昨日発売されたばかりじゃ?」

 「おう。だから昨日、サークル帰りに本屋に寄って買ったんだって」


 いやー、大変だったよ。

 昨日は、19時にサークル活動が終わったんだ。大学前で解散した後、早坂と一緒に歩いて大学から続く道を真っ直ぐ行った先にある雲雀ヶ崎ひばりがさき駅まで行って、4駅先の《新昴駅》で降りる。

 俺と早坂の借りているマンションは、方向は同じだけれども結構離れていて、俺はは早坂を必ず送り届けてから帰る。

 で、昨日は早坂と別れた後、近くのアニメイトに寄って買ってきた。残り数冊とかだったから、凄く焦ったよ。同じ本好きの為に、執念を燃やした甲斐があった。

 しかし、早坂は何故か俺を不満げな顔で睨んでいる。


 「先輩、1人で本屋さんに行ったんですか?」

 「い、いや。あんまり遅くなると、早坂の親御さんに申し訳ないというか」


 あまりの気迫についどもってしまう。後ろに1歩下がると、早坂は俺に向かって4歩も近づいてきた。

 あれれ、おかしいぞ?


 「私今、1人暮らしです。先輩もよく知っていますよね?」

 「ええと。本屋を出たのが20時過ぎだったし、そんな時間に女性を遅い時間に出歩かせるわけにはと思ったので……」


 そう言うと、早坂は物凄く長い溜息を吐いた。正論を言ったつもりだったのだけれど、俺が悪いみたいじゃないか。

 確かに、早坂だってもう子供じゃない。遅い時間に帰るぐらいは普通だし、なんだったらつい最近はサークルの女子メンバーでお泊り会を開いたと言っていた。

 しかし、しかしだ。

 俺の中では、早坂は女性で俺の後輩な訳で。だが、それを伝えると早坂どころか大久保さんまでも渋い顔をした。


 「いやー、楠木先輩。それは流石に無いと思うよ?」

 「はあっ!? 待て待て、後輩を危険な目に合わせたくないというのは、先輩として当然の考えでは」

 「先輩、私のこと全然理解してないじゃないですか」


 先ほどの表情とは一転、今度は悲し気な顔になる早坂に、俺は言葉が詰まる。

 そんな顔をされたら、俺は何も言えない。後輩を悲しませたくて、1人で本屋に行ったんじゃないんだ。後輩に喜んでほしいと、ただそれだけだったのに。


 (まったく、どうしてこうなる?)


 俺がこんなに頑なになるのは、理由がある。

 今から5・60年ほど前、2076年にとある怪事件が発生した。その事件の名は、"全国数かず失踪事件"。名前に一~十までの数が入っている人達が行方不明になって、数年後にたった1人だけ見つかった。

 全国を騒がせた事件で、警察も自衛隊もお手上げだったらしいんだけど。未解決事件として処理された今でも、時折行方不明者の捜索が行われている。

 もう下火になっていますし、早坂の名前は『美来』だから、事件に巻き込まれる可能性は限りなく低いんだけれど。

 それでも、何かしらの犯罪に巻き込まれる可能性は0じゃない。ここ最近はプトレマイオスを使った犯罪も急増しているというし、大学も注意を促している。

 例え恋愛的な意味はなくとも、心配位はしても良いと思うんだが。

 それを伝えようか悩んでいると、早坂の方から折れた。


 「分かりました。先輩の考えは、よーっく分かりましたよ」

 「そうか。分かってくれたか」

 「納得はしませんし、絶対に理解なんかしてあげないんですけど」


 俺が胸を撫で下ろしたのもつかの間、早坂は一気に俺に歩み寄ると、俺の手から本をかっさらって顔を近づけてきた。

 シャンプーの匂いとも違う、女子特有の甘い匂いがする。これが後輩ちゃんの匂いなんだろうか。

 じゃなくて。後輩ちゃんを引きはがそうとすると、それよりも強い力で俺の腕を抑え込んで来る。あれ、こんなに強かったっけ?


 「ふふ。先輩、ぜんぜん力入ってないですよ?」

 「嘘つけこのやろう。大久保さんの見てる前でなんてことするんだ、このアホめ」

 「――ね、先輩」


 大久保さんが耳まで真っ赤にして顔を覆っている。これ以上の悪ふざけを許す気は無いと、早坂を本気で睨みつけると、早坂は俺の耳元で囁いてきた。

 後輩ちゃんの吐息が耳にかかって背中がぞくぞくとする。甘い匂いが一気に強くなって、頭がぼうっとしてきた。


 「……なんだよ?」

 「私、もう子供じゃないんですよ? そりゃ、先輩にはそう見えないのかもしれないですけど、夜に買い物ぐらい普通に出来るんですから」

 「そ、そうですか。それで、いったい何が言いたいんだ?」

 「先輩と一緒にお買い物したかったなって。それだけです」


 そう言って、早坂は悪戯っぽい表情を浮かべて俺からスッと離れていった。時間にして1分もみたない時間だった思うが、体感時間は5分以上だった。

 俺たちのやり取りを見ていた大久保さんが、小声で早坂に感想を伝えている。早坂は隠すこともせずに「お昼にやられたから。その仕返し」とのたまっていた。


 ――このやろう、やりやがったな?


 俺は心の中で毒づきながら、次は後輩ちゃんと一緒に行ってやるかと、そんな事を考えていた。

 決して、断じて、早坂に屈したわけじゃないし!

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