第11話 後輩ちゃんは、家族想いのいい子

 西暦2134年。5月23日。10時17分。

 バイト先のパン屋で仕入れ先からの荷物を整理していると、ドアに付けている小さな鈴が入店を知らせる音を鳴らした。

 今日は開店すぐからお客さんは来ていたのだけれど、こんな中途半端な時間に来るお客さんはあまりいない。

 ともかく、来てくれたことには変わりないので、軍手を外してお客さんを迎える。


 「いらっしゃいませー。って、後輩ちゃんか」

 「おはようございます先輩。なんか小腹が空いたので、来ちゃいました」


 お店に居たのは、白のシャツに薄緑色のフレアロングスカート姿の後輩ちゃんだった。

 ツーサイドアップの髪型といい、清楚な服装といい、見た目はどこかのお嬢様そのものだ。

 昔から変わらぬ恵まれた容姿に嫉妬する女性は多いと愚痴っていたが、俺としては後輩に醜い感情を向ける輩なんぞより、目の前にいる早坂の方がずっと綺麗に見える。

 そんな早坂は、白いプレートを持って店のあちこちで良い香りのするパンを選んでいる。


 「今日は何を買いに来たんだ?」

 「んー、適当に総菜パンと、あと食パンと角砂糖を。実家のお母さんに送ってあげようかなーって思いまして」

 「ほう、いい心がけじゃないか」


 俺のバイト先であるパン屋・《清水ベーカリー》は、ここら一帯では人気のある店だ。全国までとは行かないが、主に関東地方から美味しいパンを求めてお客さんがやって来る。

 一番人気なのは、食パンの生地の中に、メイプルシロップを練りこんだマーブル食パン。水分量を多くすることでふっくらもちもちに仕上げた食パンの食感と、優しい甘さのメイプルとの相性は抜群に良い。

 これだけを求めて遠方からはるばるやって来たというお客さんもいる位で、当店の看板商品の一つだ。

 そして、早坂が言った角砂糖。この店では、砂糖も売っている。元々は、商品の開発に使うものを瓶詰めして撃っていたのだが、案外評判が良かったらしい。

 今では、箱詰めされた数十個入りの角砂糖や、瓶詰めされたメープルシロップやらジャムやら、果てはコーヒー豆まで売っている。


 「ふふーん、でしょう? お母さん、前にこっちに来た時にここ寄ったらしいんですけど、それからすっかり虜みたいです」

 「あー、そっちもか。俺の母親もそんな感じでさ、偶にあれとこれ送ってくれって催促が来るんだよ」


 そう言うと、早坂は「お揃いですね」なんて言っておかしそうに笑った。つられて俺も笑えば、外の電柱に留まっていた雀がちゅんちゅんと鳴いた。それを聞いたらさらに笑いが止まらなくなって、2人してパン屋の中で笑っていた。


 「おーい、努くん。お客さんの相手をするのも良いけど、そろそろパンが焼きあがるから、準備してね」

 「あ、すみません。今向かいます」

 「店長さん、おはようございます」

 「ああ、美来ちゃんか。おはよう、今日も可愛いね」


 店の厨房から出てきたのは、この店の店主にして清水ベーカリーのパン職人、清水慶一郎さん。奥さんの初音さんと、息子さんで現在中学生の慶司君の3人でお店を切り盛りしていて、俺は週3~4日の頻度でアルバイトをさせてもらっている。

 この店の常連になった早坂とは何度も顔を合わせていて、俺と早坂が同じ大学に通っていることも知っている。

 焼けたパンをオーブンから出して、バットに移し替える。今焼けたのは、胡桃入りのパンにカレーパン、食パンにベーコンエピの4品。

 耳を澄ますと、店のカウンターの前で話す店長と早坂の声が聞こえてくる。


 「店長さん。今日は慶司くん、手伝いにこないんですか?」

 「ああ、慶司は今、子守りの真最中だよ。僕と妻がこうして店に居なきゃいけないから、とても助かる」

 「ええっ!? お子さんが生まれたんですか!?」

 「あれ、言ってなかったっけ。1月20日にね、産まれたんだ。難産だったけれど、妻が頑張ってくれてね」


 そう話す店長の顔は、とても穏やかで。

 清水夫妻は、今年の1月に2人目のお子さんを出産した。女の子で、名前は初花ういかちゃん。

 胎児が大きく、破水してから丸1日かけて出産したらしい。その時俺はサークル活動の真最中、早坂に至っては全国一斉試験と余裕は無かったのだけれど。

 バイトの身とはいえ、お世話になっている人の助けになりたいという気持ちはある。呼んでくれればいつでもどこでも駆け付けたのにと言ったら、店長は何故か苦笑して1万円をくれた。

 何故だ。


 「わあっ、おめでとうございます!」

 「ありがとう。もう努君は顔合わせを済ませていてね、美来ちゃんも機会があったら会ってみてくれないか。親ばか丸出しだが、可愛いよ」


 うへへ、と締りの無い笑みを浮かべる店長は、それはそれは幸せそうだったが、ここは開店してるパン屋。窓の外にいる若い女性2人が、入って良いものかと顔を覗かせていた。

 俺はお客さんに会釈すると、焼けたパンをちらりと見せた。多分、これで入って来てくれるだろう。


 「店長、焼けたパン、どこに陳列します?」

 「ああ、そうだね。食パンはとカレーパンは、いつもの場所に。胡桃パンは、ハンバーグサンドの隣に入れよう。ベーコンエピ、朝焼いたのを前して、新しいパンを後ろに」

 「分かりました」


 店長の指示どうりに、俺はパンを手早く並べていく。

 防腐剤などの保存料を一切入れていない清水ベーカリーのパンは、あまり日持ちしなものが多い。レシートや持ち帰りの袋に、生野菜等を使う総菜パンは4時間以内に、食パンやその他のパンは1週間以内に食べて下さいと注意書きを書いている。

 最近はどこでクレームが発生するか分からないので、こうしてほんの僅かの配慮も必要になっている。

 生き辛い世の中だなと思わなくも無いが、この時代に生まれてしまった手前、嘆いたところでどうしようもない。

 後輩ちゃんは、暫く店内をうろうろしていたが、納得したのかバットの上に数種類のパンを乗せてレジの前に来た。


 「これ、ください!」

 「コロッケパンとココアマーブル食パン、角砂糖ですね。1140円になります」

 「うわー、先輩が敬語だー。うへへ、レアな体験をしちゃいました」

 「やかましいわ。ニヤニヤするんじゃあないよ、ちくしょうめ」

 「ニヤニヤなんてしてませんよーだ。はい、2000円でお願いします」


 嬉しそうに笑う後輩ちゃんに軽いツッコミを入れながらレジを打ち、おつりを返す。袋詰めして渡すと、俺と店長さんに一礼して出ようとする早坂を呼び止めた。


 「はい? なんですか?」

 「ほら、これ。キャラメルラテ」

 「ええと、見れば分かりますけど。何でですか?」

 「単なるおまけだよ。いいから持って帰れ」


 きょとんとする早坂の手を取って強引にボトル缶を押し付ける。

 他意は無い。他意は無いが、まあ、家族想いの後輩ちゃんにご褒美をあげても罰は当たらないだろう。それに、早坂にはなんだかんだお世話になってるし。なっちゃってるし。

 ボトル缶を手にしたままぼうっとしていた後輩ちゃんは、我に返ると急におかしそうに笑いだした。


 「……なんだ?」

 「ふふ。いいえ、なんでも。先輩も、素直じゃないなーって」

 「いや、別にそんなつもりは無いぞ? ただこれは――」

 「分かってます。


 後輩ちゃんはそう言って満面の笑みを浮かべると、上機嫌で店を後にした。

 あの様子じゃ、絶対にバレてるな。あの勘の良さ、他の所で発揮してくれんかな。

 その後、お客さんと店長の生暖かい視線が刺さる中、俺は黙々と仕事を続けたのだった。

 おのれ、ちくしょうめぇ!

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