第8話 先輩は、昔から星が好きです

 西暦2134年、5月6日。16時20分。

 私と楠木先輩は、科学館の入り口前に居ました。今日来る予定の方達は、努先輩を含む上級生が5人、私達新入部員が4人。総勢10名になるらしく、先に来ていた私達が入館者の邪魔にならない場所で他の方々が来るのを待ちます。

 14時過ぎにまわって来たメールには、予定していた天体観測を中止する旨と共に、プラネタリウムがある科学館のURLと道順が添付されていました。

 外は冷たい雨がしとしとと降っていました。流石に朝ほどの激しさは無いものの、空は相変わらず灰色の雲に覆われています。


 「はあ、結局雨は止まなかったか。天気予報も外れるとは、ついてないな」

 「そうですね。でも私、プラネタリウムも楽しみですよ」


 つまらなそうに外を見る先輩を励ますべく笑いかけると、先輩はそうか、と言って小さく笑いました。

 その笑顔が、あんまり他の人には見せないような優しい笑顔で。私の胸はきゅんと高鳴ります。

 ちなみに、なぜ私が先輩と一緒に居るのか。それは、今日一日ずっと先輩の部屋に居たからなんです。

 朝起きたら、先輩から朝ごはんの画像が送られてきていたんです。

 それも、すっごく美味しいそうな。一度見ちゃったら、起きるしかないじゃないですか。すぐさまベッドから飛び起きて、先輩の家に行く準備をして、借りているアパートから出たのが7時ちょうど。

 一緒にご飯を食べた後は、本当は今日見れる予定だった星の勉強をしたり、先輩の部屋に置いてある本を読んだり、ゲームをしたり。

 お昼ご飯はラーメン屋さんで一緒に食べて、午後は集合時間になるまでずっとお喋りしていました。

 こんなに先輩と一緒に居たのは、高校の時以来かもしれません。


 「あれ、早いな。俺が一番最初だと思ったのに」

 「よう、三笠。お先」

 「お疲れ様です、三笠先輩」


 暫く先輩と取り留めも無い話を続けていると、都営バスから降りてきた男性の中の一人が声を掛けてきました。深緑色のセーターに白のズボン、金色に染めた髪に、左耳には白と黒のイヤリング。

 一見チャラそうに見えるこの先輩は、三笠晃美みかさあけみ先輩。名前から女性と勘違いされるんですけど、れっきとした男性で努先輩と同学年。

 先輩いわく、告白した回数は数知れず、振られた回数は数知れず。だけど決して諦めないポジティブな思考の持ち主だそうです。


 「早坂さん、今日も可愛いね。僕と付き合わない?」

 「ごめんなさい、お断りします」

 「秒で断られたっ!?」


 三笠先輩と私の茶番を横目で受け流しながら、努先輩は誰かと連絡を取っています。

 むー。

 そこは先輩、焼きもちをやいてくれたりしても良いのに。私は先輩の事をこんなに好きでいるのに、先輩はちっとも振り向いてくれません。

 もやもやとした感情を抱えていると、三笠先輩が私に耳打ちをしました。


 「早坂さん。あいつの事、あんまり嫌わないでやってくれな?」

 「へっ? い、いきなりなんですか?」

 「あいつ、凄く不愛想だけど、お酒の席になったら凄いんだから」


 な、なにが凄いんでしょう。普段の先輩とは考えられないほど、思いっきりはっちゃけるんでしょうか。それとも、泣き上戸にでもなるんでしょうか?

 ごくりと唾を飲み込むと、三笠先輩は軽くウインクをして笑います。


 「努は酒を飲むと、ずーっと早坂さんの事を自慢しているんだから」

 「え?」

 「もう、ずーっとだよ。早坂さんのここが凄いだとか、あんなところが可愛いだとか。他にも――」

 「ちょっと待て。俺の後輩に変なことを吹き込むの止めろや」


 三笠先輩の話を聞いていると、努先輩が慌てた様子で私たちの会話に割って入りました。快活に笑った三笠先輩は、ひらひらと手を振って私達から離れていきます。どうやら、私と話している間にもう何人か集まっていたようです。

 あ、部長さんと山田先輩もいる。それに、私達と一緒に入った友達も居ますね。


 「まったく、余計な気を回しやがって。あー……、早坂」

 「うぇっ!? は、はい」

 「なんで動揺しているんだよ。ほら、中に入るぞ」


 先ほどの三笠先輩との会話の所為で思わず動揺してしまった私に、努先輩は嘆息すると科学館の中に入っていきます。まだ何人か来ていないみたいなんですけど、良いんでしょうか?

 それを尋ねると、どうやら先輩のプトレマイオスに欠席者から連絡があったそうです。さっき電話していたのは、その人たちだったんですね。


 「まあ、来れないならしょうがない。むしろ、集まってくれただけでも有り難いんだから」


 たった1人で天文部を支えていた過去があるからでしょうか、そう話す先輩の横顔は本当に嬉しそうで、見ているこっちまで嬉しくなっちゃいます。

 旧文化会館を改修したという科学館の中は案外広く、入り口を入ると受付の前に大きな地球儀が飾ってありました。青く美しい地球の周りを、赤や青の小さな点が無数に飛んでいます。

 努先輩によると、赤い点が宇宙ゴミ。それを追いかけるように回る青い点が、

世界各国の掃宙艇なんだそうです。


 「昔に比べたら宇宙ゴミも減っては来たけど、やっぱりまだまだ多いな」

 「そうですね。そういえば最近、種子島で恒星間航行用の探査船が新造されてるってニュースが入りましたね」

 「"ふそう"、だろう? あのニュースにはびっくりしたな。"しなの"、"やましろ"に続いて、3隻目とはね。JAXAが頑張ったんだな」


 先輩は興奮気味に語ります。嘗ては先輩と共に天文学部に身を置いていたので、それがどれだけ凄い事なのかは知っています。

 技術的に不可能とされている有人での太陽系外への旅、それが今では可能になっていると言うんだから、科学の進歩というのは目を見張るものがあります。


 「これで、原始惑星の観測とか、白色矮星の発見とかより進むかもしれないからな。星を追う者としては、期待せずにはいられないよな」

 「ふふ。先輩、本当に星が好きですよね」

 「そりゃ、まあ。昔から関わっていれば、好きにもなる」


 先輩のお母さまが、宇宙大好きなんでしたっけ。先輩の家には大きな天体望遠鏡があって、ほぼ毎日土星や天王星の観測をし続けているんですよね。

 昔、高校の文化祭で一度だけお会いしたことがありましたけど、凄く優しい方だったなぁ。今も元気にされているんでしょうか。

 そのうち、また会いに行けたらいいなぁ。


 「おーい、2人とも。そろそろ、我らが天文サークルの活動を始めようじゃないか」

 「プラネタリウムを観る前に、まずは俺たちが作って来た、5月に見える星の資料を見てもらいます。楠木、配るのを手伝ってくれ」

 「先輩、呼ばれましたよ?」

 「ま、ちょうどいい時間だしな。早坂も、行こうか」

 「はい、先輩」


 部長さんと山田さんの呼ぶ声に2人で戻ると、私達新入部員に先輩方が作ったという資料が配られました。今日観測する予定だった星の名前から、有名な星座、星の名前の由来など、初心者でも興味をそそられる様な内容になっています。

 部長さんが書いたというイラストも可愛いし、上級生の皆さんが私たちの事を想って作ってくださったんだなぁって思うと、胸が温かくなります。

 部長さんのゆるーいトークから始まり、副部長である山田さんが今日の活動内容を説明し、私達が全員頷いたら、サークル活動の開始です。

 これが、発足当時から続いてきた天文サークルのルーチンワークなんだそうです。

 今日の活動内容は、5月に見られる星の観測。実地での観測は叶いませんでしたが、プラネタリウムだってきっと、私達を楽しませてくれることでしょう。

 そんな期待を胸に、私は今日も努先輩が話す星の知識に没頭するのでした。

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