第一章 再会編

第1話 昔振った後輩ちゃんは、女子大生になった

 「先輩。楠木先輩」

 「げ、早坂」


 ――西暦2134年。4月20日。午前8時2分。

 三葉大学駅前の改札口で、俺こと楠木努は後ろから聞こえてきた声に立ち止まると、思いっきり口をひん曲げた。

 1メートル越しに立っていたのは、白のシャツジャケットの下に桜色のニット、紺のロングスカート姿の後輩、早坂美来はやさかみく

 茶色に染めた長い髪をポニーテールにして、ナチュラルメイクとやらも施している。同じ学部にいる女友達から聞いた話では、メイクには物凄く時間が掛かるらしいのだが、きっと早坂は頑張ったのだろう。

 早起き、相当苦手なはずなのにな。


 「あれ、どうしたんですか? 『鮭に避けられた』、なんて駄洒落を聞かされたマスみたいな顔をして」

 「誰がそんな間抜け面をするかよ……。つかお前、なんで居るんだよ? 確か今日の1限は無かったはずだろ?」

 「先週の6限の補講です。いやー、まさか1限目にやるなんて、増渕ますぶち教授も人が悪いですね」


 口では困ったと言っているのに、表情は全く困っている風には見えない。

 というか。

 そもそも、なぜ早坂が俺と同じ大学に通っているのか?

 理由は単純明快。コイツが猛勉強して、この大学に今年、入学してきたからだ。

 いやー、びっくりした。入学式を終えて、講堂から出てくる新入生の列のなかに、しれっと早坂が混ざっていたんだから。


 大学の入学式と言えば、在校生が花道を作りながらサークルやら部活動の勧誘をするのが一般的だけれど、三葉大学も例に違わずそれを行っている。

 当然、俺の所属している天文サークルも勧誘に加わっている訳で、俺もあの時は先輩と2人一組になって新入生に片っ端から声を掛けていたんだ。

 新入生は緊張してたり恥ずかしがったりで成果は挙げられないのだが、早坂は自分から俺に近づいてきて、「先輩、お久しぶりです。私、このサークル入ります」だって。

 この時ばかりは本当にぶっ飛ばしてやろうかなと思ったね。隣でニヤニヤと笑う2つ上の先輩を。


 というか、さっきから早坂はなぜか嬉しそうにしている。何故だ?


 「……なんか、嬉しそうだな?」

 「え、そう見えます?」

 「ああ。いつもの朝は静かだからかな。なんか、化粧も気合入ってるっぽいし」


 全身を観察しながらそう指摘すると、早坂は何故か顔を赤くして自分の体を抱きしめる格好をする。


 「ちょ、何見てるんですかへんたい。じろじろ見ないで下さいよ」

 「はあ? じろじろなんて見てないだろ?」

 「見てたじゃないですか。私のグラマラスな完璧ぼでぃを」

 「グラマラス(笑)」

 「ぶっとばしますよ?」


 早坂はグッと右手を握りしめ、渾身の右ストレートを繰り出す。あんまり力の入っていない拳を俺は左手で受け止め、右の手で手刀を作って早坂の頭にやんわりと振り下ろした。


 「あべし」

 「いや、そこはひでぶっ、とかだろ」

 「それ以上言うと版権に引っかかりそうなんで」

 「やめろやめろ。あんまりメタな事言うんじゃないよ」


 そんな無駄な会話をしながら俺たちは改札を抜けて、駅の東口から出る。この道を直進していけば、国立三葉大学の東門に辿り着く訳なんだが、俺は空を見上げて溜息をついた。


 「曇ってますね」

 「ものの見事にな。はぁ、まったく気が滅入る」


 早坂の言う通り、空は鈍色の分厚い雲に覆われていた。

 今朝がた確認した今日の天気は、曇りのち雨。最高気温は11℃で、東京は2月並みの寒さだそうだ。所によってはみぞれが降るかもしれないとの事で、寒さが苦手な俺にとってはもはや拷問に近い。

 朝起きた時だって、あまりの寒さに毛根が後退するかと思った。即座にエアコンと電気ストーブを付けて部屋を暖かくしたものの、大学に行く気力を根こそぎ持っていかれてしまった。

 登校しているというのに、今すぐにでも帰って本を読みたい。


 「先輩、寒いの苦手ですもんねー。憶えてます? 先輩が高2の頃、天文部の部室が寒いからって理由で、凄く高いファンヒーター買おうとしてたこと」

 「憶えてねえよ、そんな昔の事。いや憶えてるわ。だってあそこ、むちゃくちゃ寒かっただろ? 窓が西側にしかないから、日差しがあんまり入ってこないし」

 「確かに寒かったですけど。で、結局買えたんでしたっけ?」

 「買えなかった。代わりに予算減らされた」

 「ちょっ! 初耳なんですけど!?」


 まあ、知らないだろうな。あの時、早坂は生徒総会休んでたし。たしか風邪で。

 高校時代の思い出に花を咲かせてながら、俺たちは三葉大学の東門をくぐる。

 三葉大学は、今から10年ほど前に設立された国立大学だ。法学部・文学部・教育学部・経済学部の4つの学科があり、俺は法学部に、早坂は文学部に所属している。

 現在2年生の俺は、本キャンパスのすぐ隣に建てられている南キャンパスで講義を受けている。


 「あれ? 先輩、今日は南キャンパスじゃ無いんですか?」

 「ああ。今日の1限は、薄井教授の刑法各論なんだ。あの人、本キャンでも講義をやっていてさ、2限が心理学だから、こっちの方が良いかなって」

 「なるほど。心理学は本キャンでしかやってませんもんね。合点です」

 「早坂は?」

 「1限が中国古典文学講読で、2限が国語学Bですね。楽しみです」

 「そうか。頑張れよ」


 励ましも込めて頭に手を乗せると、早坂は目に見えて嬉しそうな表情カオになる。

 昔、早坂を振った身としては、そんな顔をされるとむずむずするというか、いたたまれないというか。なぜ俺なんかに惚れてしまったのか、今でもその感情を持ち続けているのか気になるが、俺から聞くべきではないだろう。


 「じゃあ先輩、お昼に食堂で会いましょう」

 「おう。またお昼でな」


 そう言って、俺たちは別々の棟へ向かう。曇天の下、春の訪れを告げる桜がはらはらと舞う中、俺たちの新学期が始まった。

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