夏の草原で逢いましょう
ゴサク
Youth meets girl
茹だるような夏の日差し。
俺は故郷の町に帰ってきた。
都会から遠く離れた田舎町。
ろくに舗装もされていない畦道を歩き続ける。
親父が倒れたとの報を受け、やむ無く実家に帰るハメになった。
そうでもなければこんな田舎町、帰ってくるもんか。
幸い親父の具合はそう悪いものではなく、わざわざ帰ってくる程のものではなかったようだ。
とはいえ、久しぶりの帰省、しばらく実家で過ごすことにした。
この町は何も無いが空気だけは旨い。
しばし都会の喧騒を忘れて、ゆっくりと休暇を楽しもう。
俺は宛もなく散歩へと繰り出す。
そういえば、昔子供の頃よく遊んだあの場所は今どうなっているだろうか。
俺の足は思い出の場所へと向かう。
…………
何も無い草原。
そこにはただ草が生い茂っているだけ。
の、はずだった。
草原に佇む一人のショートヘアーの少女。
草の緑に白のワンピースがよく映える。
その少女がこちらに気付いた。
少女はそのままこちらへと駆けてくる。
その肌は快活な小麦色をしていて、ワンピースの肩口からは、少女本来の白い日焼け
整った顔のパーツに、大きな鳶色の瞳。街中を歩いていれば誰もが振り向くであろうかわいい女の子だ。
「もしかして……お兄ちゃん?」
少女が俺の顔をまじまじと見る。
すると少女は弾けるような笑顔を浮かべながら俺に抱き付いてきた。
「やっぱりお兄ちゃんだ! お帰り! お兄ちゃん!」
いきなりの展開に頭が付いていかない。
俺はただ困惑するばかりだった。
「わたしのこと、忘れちゃった? わたしだよぉ!」
「もしかして……
そうだ、思い出した。
昔、よく勉強を見てあげていた女の子だ。
「そうだよ! 夏海だよ!」
夏海ちゃんは俺を抱き締めたまま放さない。
すぐ人に抱きつく癖は昔のままだ。
「えへへ……お兄ちゃんだぁ……」
夏海ちゃんの体が俺に密着する。
癖とは裏腹にその体つきは昔とは大きく変わっていた。
年に不相応なふくよかな膨らみが俺の胸板に押し当てられる。
さすがにこの体勢はマズイ。
「ちょっと……夏海ちゃん……苦しいよ」
「あっ! ゴメンね! つい嬉しくって……」
夏海ちゃんは慌てて俺を解放する。
「久しぶりだね、夏海ちゃん」
「うん! お兄ちゃんこそ、久しぶり!」
俺は夏海ちゃんに今回この町に帰ってきた経緯を話した。
「そっか……それじゃあしばらくこっちに居られるんだよね?」
「そうだね」
「それじゃあ、また昔みたいに勉強教えてよ! いいでしょ?」
参ったな。
昔勉強を教えてた頃は夏海ちゃんはまだ小さかったからな。
今の夏海ちゃんのレベルになると教えてあげられるか解らない。
まぁ……一度は俺も勉強したはずの内容だ。
それくらい出来なければ俺の学力も怪しいものか。
「解ったよ、俺で良ければ見てあげるよ」
「本当に!? やったぁ!」
ひょんな事から決まった夏海ちゃんとの勉強会。
場所は昔と同じ、俺の実家。
俺の束の間の夏休みはこうして始まった。
…………
俺の実家での勉強会が始まった。
俺の実家にはクーラーが無い。
都会の生活に慣れた俺には少々辛い。
俺も夏海ちゃんも汗だくだ。
「う~ん……」
夏海ちゃんはテーブルに勉強道具を広げ唸っている。
俺は対面に座り、夏海ちゃんの方を見る。
時々足を組み替えるときに短パンの間からチラチラ見える下着に目が行ってしまう。
いかん、何を考えているんだ俺は。
俺はあらぬ煩悩を押さえるために冷たい麦茶を一気にあおる。
「お兄ちゃん、ちょっと解らないところがあるんだけど……教えてくれない?」
「どこかな? 見せてごらん」
夏海ちゃんが俺の方にノートを向けてこちらに身を乗り出す。
「ここなんだけど……」
乗り出した夏海ちゃんのゆったりとしたTシャツの間からは溢れんばかりの谷間が覗き、髪からは仄かにシャンプーの香りがする。
夏海ちゃんの谷間から滴る汗がテーブルに落ちる。
俺の体はますます火照ってしまう。
「どうしたの? お兄ちゃん、顔赤いよ?」
「いや……やっぱりクーラーが無いと暑いね……」
「そうかな? これくらい普通だよ」
夏海ちゃんはそのままテーブルへと目を落とす。
正直、俺の精神状態はもう勉強を教えるどころではなかった。
…………
夏海ちゃんとの勉強会も回数を重ね、もう教えられることも無くなってきた。
すると夏海ちゃんから意外なお願いをされた。
「お兄ちゃん、よかったら今日は川原にでも遊びに行かない? 毎日勉強で疲れちゃったよ」
確かに最近は夏海ちゃんの勉強に付きっきりだった。
夏海ちゃんの疲労は大分溜まっているだろう。
もっとも、俺にはそれに見合うだけの役得はあったのだが。
「そうだね……そうしようか。それじゃあ、準備するよ」
「ありがとう! お兄ちゃん!」
たまには川釣りもいいもんだ。
俺は夏海ちゃんと河原で落ち合う約束をし、物置に釣竿を取りに行った。
…………
この川原も昔と変わらない。
澄んだ川の流れは束の間の涼を与えてくれる。
俺は早速適当なポイントを見繕い、釣糸を垂らす。
釣りはとにかく忍耐勝負、俺は浮きの動きに集中する。
…………
ダメだ、釣りにならない。
釣りをしようにも夏海ちゃんが川の中でバシャバシャと水と戯れているのだからしょうがない。
「お兄ちゃんもおいでよ! 冷たくて気持ちいいよ!」
「あんまりはしゃぐと転んじゃうよ」
「大丈夫大丈夫! 平気へい……わあっ!」
バシャーン!
案の定転んでしまった。
川の水位はそこまでないとはいえ、放っておくわけにはいかないか。
俺は夏海ちゃんの元へ駆け寄り、川から引き上げる。
「いたたた……ありがとう、お兄ちゃん」
「言わんこっちゃない……気を付けなよ」
夏海ちゃんの体はずぶ濡れになってしまった。
濡れたワンピース越しに下着が透けて見えてしまっている。
「ゴメンね、せっかく心配してくれたのに……お兄ちゃん?」
俺は思わず夏海ちゃんに見いってしまっていたようだ。
夏海ちゃんが不思議そうに俺の方を見る。
「どうかした? お兄ちゃん」
「いや……何でもないよ」
夏海ちゃんは自分か今どんな格好なのか気づいていないのだろうか。
いや、そんなはずはないんだけどな……まさかな。
俺達は夏海ちゃんのワンピースが乾くまで釣りをしながら時間を潰すことにした。
…………
俺がこの町に帰ってきてから二週間。
明日にはもう帰らなくてはならない。
今日が夏海ちゃんとの最後の勉強会だ。
「お兄ちゃん、明日帰っちゃうんだね」
「うん、そうだね」
「そっか……そうだよね……お兄ちゃん?」
「何だい? 夏海ちゃん」
「えっと……聞きたいことがあるんだけど……お兄ちゃん、わたしとの約束、覚えてる?」
約束?
何のことだろうか。
解らない、思い出せない。
これは正直に言うしかないな。
「ゴメン……何だったっけ?」
それを聞いた夏海ちゃんの表情が一瞬曇る。
「そうだよね……ゴメンね! お兄ちゃん! 何でもない! それより、今日まで勉強教えてくれてありがとうね!」
夏海ちゃんは誤魔化すように俺にお礼を言った。
「よかったら……あっちに戻っても連絡くれると嬉しいな」
「うん、必ず連絡するよ」
「ありがとう……待ってるからね、お兄ちゃん」
夏海ちゃんの帰り際の表情は何か思いに耽っているようだった。
そんな夏海ちゃんを見送りながら、俺は夏休みの終わりを惜しんでいた。
…………
勉強会も終わり、俺は実家で荷造りを終えた。
これでもう後は帰るだけ、何も思い残すことはない、そのはずだった。
しかし何かが引っ掛かる。
俺は得体の知れないモヤモヤを抱えたまま床についた。
…………
なかなか寝付けない。
やはり胸のうちにこびりつくモヤモヤのせいだろうか。
そんなことを考えているとふと気がついた。
人の気配がする、それもすぐ近くだ。
シュルッ……
衣擦れのような音がする。
まさか、この寝室に誰かいるのか?
俺は布団から出て辺りを見回す。
するとそこには思ってもいない光景が広がっていた。
俺の目の前には夏海ちゃんが立っていた。
その肢体は月の光に照らされ白く光っている。
「夏海ちゃん!?」
「シーッ! おばさん、起きちゃうよ」
夏海ちゃんが口に指を当てながら小声で話す。
ここは母の寝室からは大分離れているから普通に話しても問題ないだろう。
「何でここにいるの!? 夏海ちゃん」
「知ってる? おばさん、普段は鍵かけてないんだよ? だから、来ちゃった、えへへっ」
夏海ちゃんはイタズラがばれた子供のように舌を出しながら笑った。
「来ちゃったって……それにその格好……」
「聞いて? お兄ちゃん」
夏海ちゃんが俺の話を遮る。
「今日、昔した約束の話したよね? お兄ちゃん、わたしに言ったんだよ? 『将来、夏海ちゃんをお嫁さんにしてあげる』って。わたし、その約束を信じて、待ってた」
夏海ちゃんから伝わる真剣さに声が出ない。
俺は黙って夏海ちゃんの話に聞き入る。
「気付いてるかもしれないけど、わたしがパンツを見せてたのも、おっぱいを見せてたのも、川原で転んだのも、ぜ~んぶ、わざと」
やっぱりそうだったのか。
まさか夏海ちゃんが色仕掛けにでるとはな。
「そうすればお兄ちゃんがわたしのこと、女として見てくれるかなって思った。もうわたし、子供じゃないよ? わたしのこと、見てよ。わたしじゃ、ダメ?」
俺の目は夏海ちゃんに釘付けになる。
確かに夏海ちゃんの肢体は大人と比べても何ら遜色はない。
それでも夏海ちゃんは俺からしたらまだ子供、その事実は変わらない。
「解ってる。今回は偶然帰ってきただけだって。お兄ちゃんが約束を忘れちゃってたって。それでも、お兄ちゃんの顔、見ちゃった。ゴメンね。もうわたし、待てない」
夏海ちゃんの顔が目の前まで迫ってくる。
その距離は息遣いを肌で感じられるほどまで近づいてきた。
「今、ここで、わたしをお兄ちゃんのお嫁さんにして」
夏海ちゃんは俺の目を見つめながら、言った。
真剣に、純粋に、真っ直ぐに。
それなら俺も精一杯、夏海ちゃんに答えよう。
「ゴメン、夏海ちゃん。それは出来ない」
夏海ちゃんの目から涙が溢れ出す。
「どうしてぇ……? わたし、お兄ちゃ」
チュッ
俺は夏海ちゃんの唇を塞ぐ。
これが今、俺に出来る精一杯。
キスの瞬間、夏海ちゃんは目を見開いて驚いていたが、次第にゆっくりと目を閉じ、俺の唇を受け入れた。
それは唇が触れるだけの、長い、長い、キス。
俺は唇を離して夏海ちゃんに言った。
「ゴメンね、今はこれだけで我慢して?」
「嫌だよぉ……! こんなのじゃ全然足りないよぉ……!」
夏海ちゃんの涙は止まらない。
そんな夏海ちゃんをあやすように俺は言った。
「その代わり、夏海ちゃんが待っていてくれるなら、必ず迎えにいくから。今度こそ、約束するよ」
「本当に……?」
「うん、約束」
「絶対だよ……絶対だからね……!」
「うん」
「それと……わたし、まだ聞いてない……」
「え?」
「わたしのこと、好きって、言ってぇ?」
「うん、俺は夏海ちゃんのこと、好きだよ」
「嬉しい……お兄ちゃん……わたしもお兄ちゃんのこと、大好きぃ……! わたし、待ってる……待ってるからねぇ……!」
「うん」
夏海ちゃんに好きだと伝えた途端、心が晴れた。
あぁ、そうだ、やはりこれがモヤモヤの正体だったんだ。
それは俺が夏海ちゃんと一緒に過ごすうちに抱いた恋心。
もしかしたら、心の奥底では約束を覚えていたのかもしれない。
俺は泣き続ける夏海ちゃんの頭を撫でながら何度も頷いた。
…………
俺が都会に戻ってからも夏海ちゃんとは頻繁に連絡を取り合った。
それだけでもお互いの気持ちを確かめ合うことはできた。
夏海ちゃんは俺のことを待っていてくれている。
それだけで俺の気持ちは十分満たされていた。
そして、あの約束から五年が経った。
俺は再び夏海ちゃんを迎えに故郷の町に帰ってきた。
季節は夏、あのときと同じ季節。
逸りで火照る体を、ひんやりとした夜風が撫でる。
俺は真っ直ぐに約束の場所へ向かう。
五年前、夏海ちゃんと再会した草原へ。
草原にたどり着くと、そこには白いワンピースの女性が一人。
月明かりを浴びて、ロングヘアーをなびかせながら佇んでいる。
俺は女性の元へと駆ける。
女性もこちらに気付き駆けてくる。
やがて、二人の距離がゼロになる。
「おまたせ、夏海ちゃん」
「お帰り、お兄ちゃん」
俺達はお互いを強く抱き締める。
そしてそのまま草原へと体を横たえた。
もう俺達を隔てる障害は何もない。
俺は夏海ちゃんの唇を乱暴に奪う。
「んっ……ちゅっ……んんっ……はぁっ……」
あのときとは違う、舌を絡ませる、濃厚なキス。
唇と唇の間に銀色の唾液の橋が掛かる。
ダメだ、こんなんじゃ足りない。
俺は夏海ちゃんの顔の横に手をつき、覆い被さるような体勢で、言った。
「いいよね? 夏海ちゃん」
夏海ちゃんは両手を広げて、あの頃のままの笑顔で答える。
真夏の太陽のような、とびっきりの、眩しい、笑顔で。
夏海ちゃんの目から一筋の涙が伝う。
「うんっ! わたしを、お兄ちゃんのお嫁さんにしてっ!」
その返事を合図に、俺は夏海ちゃんのワンピースに手を掛けた。
…………
こうして俺達は結ばれた。
夏海ちゃんには苦しい思いをさせたが、それでも頑張って俺を受け入れてくれた。
それから俺達はお互いを求め合い、慈しみ合い、融け合った。
俺達を隔てた時間を取り戻すよう、激しく、時に、優しく。
俺達はこの時のために、今日まで待ち続けることが出来た。
愛し合うもの同士で求め合えることが何と幸せなことだろう。
もう離さない、いや、離れることが出来ない。
俺達はもう、一つの生命体として混ざりあってしまった。
俺達は長い時間、ただただお互いの全てを共有しあった。
…………
俺のことを一途に思い続けてくれた女の子。
俺はようやく遠い日の約束を果たすことができた。
満天の星空の下、俺達はお互いに寄り添いあう。
「そうだ……夏海ちゃん」
「なぁに? お兄ちゃん」
「夏海ちゃんに渡したいものがあるんだ」
「あ……」
夏海ちゃんも俺が何を取り出そうとしているか察したようだ。
俺はポケットから小箱を取り出した。
「夏海、俺と、結婚してくれ」
夏海は頬を染めて俺に答える。
その口調はもう少女のものではなく、年相応の大人びたものに変わっていた。
「はい……
もう俺と夏海は今までの間柄ではいられない。
そのことは夏海も理解してくれているようだ。
もう『お兄ちゃん』ではいられない。
もう『夏海ちゃん』ではいられない。
これからは夫婦として共に人生を歩んでいく。
それだけのことだが、なんだか世界が変わって見える。
「忠仁さん」
「何だい? 夏海」
忠仁さん……か。
やっぱり何だかむず
「指輪、付けてみてもいいですか?」
「勿論」
夏海は小箱から指輪を取り出し、左手の薬指にはめた。
そして左手を空にかざす。
「綺麗ですね……」
「あぁ……綺麗だな……」
満天の星空にかざされた夏海の薬指の指輪は、月明かりを反射して輝いている。
その輝きは、まるで俺達の未来を照らしてくれているようだった。
夏の草原で逢いましょう ゴサク @gosaku0407
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