第42話 そのギターの音はどうしようもなく好きだったのだ。

  夏に差し掛かった頃、僕は客として、ACID-JAMに居た。一人じゃない。アハネとノゾエさんと一緒だった。

 彼女はまだあの学校の生徒をしていた。

 何やら、弟子になりたい「先生」をあの様々な旅行の間で見つけてしまったようで、現在アタック中なのだという。首尾良く弟子入りできそうだったら、卒業する、と彼女は断言していた。

 僕はアハネの部屋にだいたい二ヶ月程居着いていた。

 その間のバイトで、ようやく自分の部屋へ引っ越すだけの資金を貯めることができた。

 今度は学校に通っているから、バイトの時間は夜に限定されるけど、相変わらず僕は給料の良さからフロアに出ている。そしてその隙間を縫って、今度は課題に精を入れている。

 正直言って、色んなことに、迷わない日が無い訳じゃあない。

 確かにデザインの作業も、考えることも、それに関連した資料とか見るのも、好きだ。だけどやればやる程、自分のあらが見えてくるのも事実だ。そして僕は、そのたびにこの性格だから、落ち込むこともある。課題提出のテンポに遅れて、講師からぶつぶつ言われることもある。

 だけどそれでも、そんな時に、ぶつぶつ言われつつも、押しつけるくらいの少しばかりの厚顔さは身につけていた。

 受け取ってもらった方が勝ちだ。そうすべきことなら、しなくては、前には進めない。

 その考え方が、誰のものだったのか、今の僕にはよく判らない。

 僕が元々もっていたものなのか、アハネやケンショーの影響なのか、判らない。

 何はともあれ、今の僕は、そう思うのだから。

 見えない何かが、僕の背中を押すから。


 そんな忙しい日々の中で、新しい、小さい部屋のポストの中に、一通の手紙が入っていたのだ。

 今度の部屋には、ものすごく安く買ってはいるけれど、前よりは設備がある。

 冷蔵庫は一万で買ったし、洗濯機は八千円で買った。TVもそのくらいだ。見えればいいんだ。掃除機は、三千円だ。それでもちゃんとパワーはある。使うには十分だ。

 ぜいたく、ではない。それが必要だと思ったんだ。

 今の僕は。安く手に入れようと本当に思えば、何とか道はある。ただそれを、今までは、まだまだと、押さえ込んでいただけなのだから。

 ポストの中の封筒を開くと、ひらり、と数枚のチケットが入っていた。ACID-JAM特有の、ごわごわした、地味な色の紙のチケットだった。そこにはRINGERの名。差出人は、美咲さんだった。

 来れるなら来てください、と短い言葉だけ書かれたカードがつけられていた。今の友達が居れば、と思ったのだろう。その枚数は。

 お言葉に甘えて、僕は行くことにした。ナカヤマさんにも連絡を取ってみたけど、彼の携帯番号は、もう使われていなかった。


 アハネとノゾエさんを誘って、ライヴハウスに出向いた。

 あの時以上に、僕はもう見分けがつかなくなっているだろう。髪がずいぶんと短くなっているし、格好も…… 

 最近は、年下のクラスメートに混じって、紙の上にデザインする要領で、僕は自分の服を合わせることも覚えた。

 客電が消えて、ステージが明るくなる。

 現れたのは、マイクをむんずと掴んだ、あの時のガキ。そしてその横には、奴が。

 オズさんのスティックがカウントして、音が一気に前に飛び出してきた。知らない曲だ。僕の、全く知らない音がそこにはあった。

 何よりベースが違った。ナカヤマさんの、上手いけどやや大人しいかな、上品かな、という印象の音とは違って、その高校生の片割れの奏でるベースは、見かけによらず、爆裂していた。

 どこからあんな力が出るのだろう、と思うくらいの音を、これでもかとばかりに、地を這うように、広げていく。

 そして奴のギターは。

 ケンショーの音は、変わらない。単品で聞けば、きっとあの頃と変わらないだろう。自己主張ばりばりの、俺の音を聞け、とばかりの音が、飛び出してくる。

 ああよく考えたら、僕は奴の音を、客として聞いたことはなかったんだ。

 ふらりとシャツに包まれた腕が伸びて、カナイがマイクに口を近づける。

 息詰まる様な、声が、そこにはあった。

 ケンショーのあの音と、ぶつかりあって、張り合って、そして、何か一つの曲を形作っていく、そんな強烈な、声。

 こいつは、ついて行きたいのではない、隣に居たいんだ、と言った。

 つまりはこういうことなんだろう。

 僕にはできなかった。僕にはする気がなかった。だから僕は今あの場にはいないのだ。

 当然なのだ。

 でもひとつ、判ったことがある。

 僕は、奴の音が、好きだった。

 たとえ関係なくなっても、奴がどんな奴であろうとも、奴の音は、ケンショーが奏でる、そのギターの音は、どうしようもなく、好きだったのだ。


 それで、十分だ。



 ……ライヴが終わって、アンコールを叫ぶ女の子の声を背中にしながら、僕はドリンクチケットを手に、カウンタへ向かった。にせもののオレンジジュースを手渡しながら、ナナさんは目を大きく開けた。


「……Kちゃん?」


 彼女には、判ってしまうのだろう。だけど僕は、それを受け取りながら、言った。


「人違いですよ」


 おいアトリ、どうしたの、と向こうで僕を呼ぶ声が聞こえた。

 今行くよ、と僕は彼らに答える。「K」ちゃんはもうどこにもいないのだ。


「何話していたの? 前から思ってたけど、綺麗なひとだよな」

「あ、駄目だよ、あのひとはベルファのヴォーカルの彼女」

「あ、ざんねん」


 あはは、とアハネは笑う。僕はつられて笑いながら、にせもののオレンジジュースを飲み干した。


 ―――それは確かに、楽しい日々だったから。

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サンキュー、そしてグッバイ~僕は彼の声ではいられなかった。 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo

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