第39話 アハネは課題を突きつける。
残された僕らは、とりあえず何から話したものか、少し迷った。
沈黙を破ったのは、やっぱりアハネの方だった。
「……えーと…… お前さあ、あの時の写真、まだ持ってる?」
「え?」
「あの時の、写真。お前持って帰ったろ」
「あ? うん。一応」
今でもあの写真は、バッグの底に入っている。
「出そうと思えば、今でも出せるけど…… 返してってこと?」
「ばーか、違うよ。そうじゃなくて、お前はお前のすべきことをしたか、ってんの」
「僕の?」
「お前、俺にあんだけ写真撮らせといて、それを使った作品を結局見せないままじゃないの」
ざり、と音を立てて、アスファルトの上の小石を奴は蹴った。ぽん、と鈍い音を立てて、それは近くに駐車してあった車のタイヤに当たった。
「作品」
「あれは、CDジャケット用だったんだろ?」
「ああ…… うん、でもあの時は、結局、別のデザインでカセットに」
「見せろよ」
僕が最後まで答えないうちに、彼は言った。え? と僕は問い返す。
「俺にはそれを見たいという権利があるぜ?」
「……そ…… うかもしれないけど、……でも結局その時は作らなかった訳だから、新しく作らなくちゃならない訳だし、機材とか何も今は」
「学校のがあるだろ」
「僕は休学中で」
「だったら休学なんてやめればいい」
どき、と心臓が跳ねた。
「お前、バンドやりたくて休学してたんだろ? でもバンドは辞めたんだろ? だったら戻ってくればいいじゃないか。俺がついててやればそれはそれでいいけど、あいにく俺も、もうあの学校の生徒じゃないからなあ」
「……って、アハネ、今何してんの?」
「あーん?」
そういえば、そういう時間が過ぎていたのだ。専門学校はそう長い時間のカリキュラムの場ではない。僕がバンドをやっているうちに、あの頃一緒に入学した連中は卒業していたという訳だ。
彼はスタジオの名前を出す。聞いたことはない。
「写真?」
「そう」
「ちゃんと、目指す方向へ行ってるんだ」
「そりゃそうだろ、好きなんだから。したいんだから」
「僕とは違うから」
「お前ねえ」
そう言うと、彼は手をやや上に伸ばして、僕の両肩を掴んだ。
「あのなあ、お前まだ、ああいう作業とか、どういうものが好きなのか、掴む前に振り回されたんだよ?」
「……判ってる」
「判ってるんだろ? そしてやってみて、振り回されていたってことに気付いたんだろ?」
「アハネは知っていたんだ。気付いてたんだね、あの時から」
「見れば判る。判らなかったのは、お前だけだよ」
だろうな、と僕は思う。今になっては、そう思う。
「別にあの時、俺は、お前が男とどうとか、ってのはどうでも良かったよ。だいたいこのテのザデインやら写真の世界じゃ、ある程度そういうのがある、ってのは常識だろ。だいたい今の俺のセンセイなんぞ、明らかに両刀だよ。だけどそんなの、彼女のプライヴェートに過ぎないし、それが作品にいい影響与えるならいいことだ」
「……」
「俺が気になってたのは、歌うのが好きなのが、お前の意志なのかどうなのか、ってことだった。だけどお前はさあ」
ふう、とアハネはため息をついた。
「言っても仕方ない、と思ったから、ライヴ見に行ったけど、それ以上はできなかった。俺も俺で、気弱だからさあ」
彼はそう言うと、にやりと笑った。
「アハネ……」
僕は何と言っていいものか、迷った。遠くでからん、と三時の鐘が鳴っていた。三十分だ、と彼は時計を見た。
「俺も仕事行かなくちゃ。途中に抜け出したから」
「……あ……」
「でも作業する気があるなら、今日仕事終わったら、学校に来いよ。俺待ってる」
「お前卒業したんじゃ」
「卒業生ならいいんだよ。どうせ今の時期、皆課題でてんてこまいだ。一人二人増えたって何が変わるかよ。それにノゾエさんに聞いたけど、お前自分の道具、置いてあるんだろ?」
「……ああ」
「いいか? 八時半。一時間待つ。それで来なかったら、もうお前とはすっぱり、会わない」
「アハネそれは脅迫ってものじゃ」
じゃあな、と僕の返事も聞かずに、彼はフードつきの上着を揺らせて背中を向けた。
僕は僕で、三十分が過ぎていることに気付き、慌てて店内に戻った。
*
行こうか行くまいか、少し考えたが、夕食を摂った僕の足は、学校へと向かっていた。時計は約束より十五分過ぎていた。アハネは入り口の段差に座って、ポケットに手を突っ込んでいた。
「来たな」
「来たよ」
じゃ行こうや、と彼はすっと立ち上がると、中へと入って行った。久しぶりの校内だった。ここに居た日々より、居なかった日々のほうがずっと多い。
それでも確かに、居た記憶は僕の身体に染みついていて、何処に何があるのかは、忘れていなかったようだった。
彼は灯りの消えたPCの部屋に僕を連れて行った。
「……ずいぶんこの部屋、機材が増えたね」
「まあな。お前がいなかった一年半のうちに、ずいぶんと新製品も出たしな」
そういうものなのか。確かにPCの変化は無茶苦茶早いと聞くけれど。
「でも基本は大して変わらない。と思う。俺はあまり詳しくはないけど、それでも何とかこの科目もパスできたからさ」
「……」
僕は適当にPCの机の間をうろうろしていたが、その中の一台のスイッチを入れた。
「スキャナはそっち。電源入れたか?」
僕は慌ててそちらの電源も入れる。
「で、向こうにカラープリンタがある。紙は……」
「たぶんそれは、判るよ」
「ああ。まあ一枚二枚いろーんな種類やったそこで、ばれやしねーとは思うけど、無駄づかいはするなよ」
とんだ卒業生だ。僕は肩をすくめた。
「で、期限はいつまで?」
「別に決めてないけどさ」
アハネはそこで一度言葉を切った。
「ただ俺としては、ずっと待ってたのよ」
彼はそう言って、苦笑する。
「俺としては、お前の、こうゆう構成とかって好きだったから、実際に使うもので、お前が本気出したら、どういうものができるかな、ってのは結構楽しみだったんだぜ?」
「僕の?」
「そ。お前の作品」
「……」
何か、そういうこと言われたのはすごく久しぶりの様な気がする。
「だから、できるだけ早く見られたら、うれしいな、ってとこかな」
「……そう……」
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