第33話 「すごかったんだよ」
逃げるようにして、その場から立ち去った。
無論今まで、他のバンドを見たことが無い訳じゃない。だけど、こんな気持ちになったことはなかった。あれは何?
違うのだ。僕のやっているものと、彼のやっているものではまるで。
確かに曲調も違えば、声質もスタンスも違う。
だけど、声の持つ、その力。それは。
胸が、どきどきしている。息が詰まりそうだった。
いきなり駆けだしたから、だけではない。
頭の中で、ぱあん、とオレンジ色の液体が流れ出したような錯覚が起きる。その液体が、ゆっくりと僕の頭の中から流れ出し、首の後ろにゆるりと染みだす。背中が、ぞくぞくする。
ライヴハウスの入り口の石段に僕は座り込む。中の音が、かすかに漏れてくる。女の子達が少し中から出てきた。
用はないとばかりに、合理的でたくましい彼女達は、SSが終わったので出てきたのだろう。僕はそんな彼女達が横を過ぎていくのを見る気も起きず、火照った頬を冷まそうと、柵を握って少し冷えた手を当てたりしていた。
「あれ、めぐみやないか?」
どのくらいそうしていただろう。扉を開ける気配、降りてくる気配、そんなものをぼんやり感じ取っていたら、そんな声が耳に入ってきた。聞き覚えのある声に、僕は顔を上げる。まだ頭の芯はふらふらしている。
「……コンノさん」
「どぉしたんや? 気分悪いんか?」
黒いジーンズのポケットに手を突っ込んだまま、関西人バンド
「気分……」
良くはない。だけどそれをあからさまに言ってしまうのもためらわれた。
「……コンノさん何で、ここに居るの?」
「俺か? 俺は今日のバンドを見に来たんや」
「何?」
「や、ギャリアっーバンドにツレが居るんでな」
そういえば、最初のバンドの名だ。そんな名前だった気がする。
「……コンノさん、二つ目のバンド、見た?」
「あん?」
「すごく、なかった?」
「ああ~ 何や、結構あそこ目当てかい! って感じやったけど。おいめぐみ?」
僕は抱えたひざに、顔をつっ伏せる。
どうしたんや、とコンノさんの声が聞こえる。このひとはいつもは僕らのバンドに何かと鋭い突っ込みを入れてくるのに、今日はそうでもなかった。
「おいめぐみ、泣いてるんか?」
急に声が近くなる。いつの間にか彼はしゃがみ込んでいた。
「……泣いてない」
「かあいい顔が台無しや。何や、ケンショーがまた何処かに女作ったとかしたんか?」
僕は頭を大きく振る。
「そらそうやな。今はお前おるから、奴はそぉゆうことはせんよな」
今は。コンノさんは軽くそう言った。
「さっきのバンド…… 何か、すごかったんだ」
「そぉか? 俺良く見てなんだけど」
「すごかったんだよ」
僕は決めつける様に、言った。
*
「何か最近、すごくない? めぐみちゃん」
秋も後半に差し掛かった頃、ライヴの出番を終えた時、オズさんは言った。
そぉ? と僕は軽く答える。
「つまりはこいつもヴォーカリストとしての自覚が出てきたってことじゃないの?」
くしゃくしゃ、とケンショーはもういいだろとばかりに頭をかき回す。ライヴ中に乱れた頭が余計にぐちゃぐちゃになる。
何すんだよ、と突っかかって拳を出しても、あはは、と笑うケンショーのでかい手にそれはすっぽり包み込まれてしまう。僕はそれに笑い返す。顔だけは、そうすることができる。
ナカヤマさんはそれに対して何も言わない。前より余計に彼は僕のすることに何も言わなくなった。
その無言が、僕の中でざわめきだす。
すごい、とオズさんが言うのは、僕がステージで、これでもかとばかりに声を張り上げて歌うことや、感情込めまくりの動きを見せることとか、上手から下手にかけて、せわしなく動き回ることとか、ケンショーにわざとらしいほど絡まることとか、そんなことを言っているのだと思う。
別に意識してそうしている訳じゃない。ただ、一度ステージに上がると、そうせずには居られないのだ。
あの時の、SSのヴォーカルが、今でも目に耳に残っている。彼はステージパフォーマンス、なんて意識もなかったろう。だけど、その声と、その声の中にある何か、で、その場を制圧した。
だけど僕には、そんなものが、無い。
どうしてなのか、判らない。だけど気付いてしまった。僕にはそれは無いのだ。
無いから、無いなりに、それでも、あの時の、彼が動いた様に、とにかく、一生懸命、ひたすら、僕は僕のできるなりのことをしようと思った。出せる声の音域ぎりぎりまで上げてみたり、急に落としたり、叫んでみたり……
それを見てオズさんは、気合いが入ってるね、とほめる。優しいこのひとはいつもそうだ。ナカヤマさんは前以上に何も言わなくなった。
そして、ケンショーは。
さすが自分のヴォーカルだ、と人気もはばからず僕を抱え込む。髪をかき回す。肩を抱き込む。
ねえさすがって何。それはあんたが求めていたものなの?
僕は時々ケンショーに聞きたくなる。その手を振り払って、大声で聞きたくなる。
……だけどその手の温かさに、僕はどうしても、聞くことができないのだ。
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