第28話 夏が終わるのが、僕は怖かった。

 春が過ぎて、夏が通り抜けて行った。

 実家には相変わらず戻らず、ただ毎日を、バイトとバンドで過ごしていた。

 バイト先の厨房では、フロアに出たらどうだ、というマネージャーの勧めをいつも丁重に断っている。時給が100円上がると言われても、それはできない。

 変わってるね、と彼は言った。

 だけど厨房での就業態度は良かったし、休暇を取るにしても、ちゃんとあらかじめ日にちを指定して、急に休むということは滅多にないから、僕は結構重宝がられていた。

 僕自身としても、白いお仕着せのばりっとした調理服を着て、教えられた手順を、きちんきちんとこなしていく「仕事」は結構気楽で、気に入っていた。

 マニュアルには理屈もついてくる。そういうのをきちんと説明できるのが、マネージャーらしい。

 まあ正直言って、普段のバンド活動の反動もあった。今でこそ、ステージであんなこともこんなこともやっても平気になっているし、メイクするのは当然だし、まず普通の昼ひなたには恥ずかしくて絶対着られないだろう衣装を身につけて大声張り上げてるんだから。

 昼ひなたの「仕事」の時には、できるだけ地味に、じっとしていたい、という気持ちが沸いてくる。埋もれていたい。

 だけど何故そんなことを思ってしまうのかは、僕にも判らなかった。

 ただ、バンドに一生懸命になればなるほど、こういう「仕事」の時間をどうしてもとっておきたい自分が居るのに気付いたのも確かだ。

 ケンショーに聞いても、何でそんなこと考える訳? と一蹴されそうで、言えない。

 奴だったら、「そんな仕事」など綺麗さっぱり辞めてしまって、音楽一筋で食えたらそれが一番で、万々歳なのだ。

 だけど僕は、それでいいんだろうか、という気持ちがいつも心の底にあった。バンドは大切だ。確かにメジャーデビウできる程の、そんな人気も実力も欲しい、とは思う。

 だけどその一方で、それでいいのんだろうか、と思う自分が……時間を追うごとに大きくなって来るのも確かなのだ。

 夏が終わるのが、僕は怖かった。暑い夏のうちは、そんなことを考えていても、部屋の中がうだる程に暑いから、それだけで僕は大丈夫だった。人に構われるのもうざったく感じる程、この夏は暑かった。

 だけど、夏が終わる。



 あれ?

 ぽろん、とピアノの音がしたので、僕は引き寄せられるように、店の中に入っていった。

 小雨の降る九月のある日、僕はケンショーと、ASID-JAMに来ていた。ここのところ、夏の他の行きつけのライヴハウスのイベントの出演とかでご無沙汰していたから、秋からのスケジュールを組む関係だった。

 やることは色々あった。単純に練習もあったし、曲出しもあった。僕は、と言えば、ケンショーが部屋の中でぽろぽろと作る曲に、ふらふらと歌詞をつけることが多くなった。

 言葉をつけていくという作業は、僕にとっては決して簡単なものじゃなかったけれど、何となく、パズルみたいな感覚もあって、面白い。今までやったことの無い作業だっただけに、面白さを見つけてしまうと、ついはまりこんでしまう。

 そしてそのはめ込んだ言葉を、奴がぽろぽろと弾くギターに合わせて、メロディらしくしていく。何となく、ああ音楽を作ってるんだなあ、という気にはなる。


「おーいケンショー、ちょっと」


 はいよっ、と奴は元気良く答えて、事務所の方へと消えていった。つまりは「面倒くさい事務的なあれこれ」だ。僕はそういうことにはノータッチだった。

 じゃあ何で僕がついてきたか、と言えば。

 暇だった、ということもある。バイトもバンドの練習も無い日。そんな日に、僕はどうしていいのか判らなくなる。

 そうすると、つい奴が行こうというところにはふらふらとついてきてしまう。それでどうするということではない。だけどそれで一人で部屋の中にいるというのは、それも嫌だった。

 僕は何かをしたがっている。だけど、それが何であるのか、よく判らない。

 ピアノの音に誘われるようにして、僕は奥へと入っていった。ステージの方。近づいていくうちに、本物のピアノの音ではないことに気付く。キーボードの音を、ピアノの様にしている。

 だけどそれを弾く誰かの腕は、ピアノをみっちりとやった様な。よくその辺りで見る、基礎も何もせずに、自己流で覚えてキーボーディストのそれではなかった。

 何だったろう、と僕は思う。何処かで聞いたことのあるような曲だった。クラシックの、僕が聞き覚えのあるくらいだから、ひどくポピュラーな曲なのだろう。

 ただその曲を、ひどくゆっくりめに弾いている。そんなことができるのかあ。

 ……ふと、その音が止まった。


「誰?」


 ピアニストが問いかけてきた。

 姿を現そうと、一歩、ステージの方へと足を踏み出した時。

 背後から、ぐっ、と誰かの手が、僕を引き寄せた。そしてもう片方の手が、口を塞いだ。

 何いったい。

 僕は思わずもがいた。だがびくともしない。僕より大きい、男だった。

 そしてその男が、ややかすれた声で囁く。


「黙っててくれ」


 何のことやらさっぱり判らない。僕はむーむー、と塞がれた口から声にならない声を上げながら、もがく。


「頼むから、今日だけは、奴に思う存分、ここでピアノを弾かせてやってくれよ」


 え、と僕は動きを止めた。

 判った? とその声がつぶやく。もがくのを止めたのに気付いたのか、背後の男は、ゆっくりと手を離した。

 ずいぶん大きい、と思っていたが、そうでもない。僕よりは大きいけれど、ケンショーよりは小さい。それに、ずいぶん若い。薄暗い、こんな場所でもそれは判る。


「……ピアノ」

「うん、ピアノじゃなくてキーボード、だけど、でも、どうしてもここじゃないと駄目なんだ。今日は、命日だから」

「……命日?」

「奴の、大切なひとが、去年の今日、亡くなったんだ。このライヴハウスで、ずっと、演ってた人だから」


 それって、もしかして、あのひとだろうか。去年の今頃、ケンショーから聞いた、BELL-FIRSTのベーシスト。


「上手いね」

「そうだね。奴は、ずっとピアノを弾いていたから」

「今は、違うの?」

「今は、ベースだよ。俺達のバンドの、とびきりの」


 僕ははっとして、そういう男の方を改めて、見る。まさか、……ね。


「……ここから、どいた方が、いいかな?」


 僕はおそるおそる、相手にそう語りかける。この薄暗がりでは、相手の姿がはっきりしない。それが、僕の知っているひとであるかどうかも。

 ありがと、と相手は言った。僕は機材の横をすり抜けて、通路の方へと向かった。蛍光灯の明かりが、その時ようやく、相手の姿をはっきりと見ることができた。

 確かに若い。僕より、ずっと。高校生?


「あんたも、何かバンドやってるの?」


 相手はそう僕に訊ねる。うん、と僕は答える。


「ちょっとね。あんたは、何のパートやってるの?」

「俺? ヴォーカル。楽器できないし」


 あははは、と相手は笑う。


「へえ。何ってバンド?」

「SS」


 短く、彼は言った。


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