第27話 花の中に顔を伏せ、何で僕は泣いてるんだろう。

 どんどんどん、と三回扉が音を立てた。僕ははっとしてノート代わりのスケッチブックから目を離した。


「おーい、ちょっと開けてくれよ」


 僕は2Bの鉛筆ごとスケッチブックを床にぱん、と置いた。


「ケンショー? 何だよあんた、鍵持ってないの?」

「いやそういう訳じゃないけど」


 何だろな、と思いながら、僕は鍵を開けて、扉を開けた。

 確かに両手がふさがっていた。僕はその光景に一瞬呆れた。


「……何それ」

「何って、お前、誕生日とか何とか言わなかったっけ」

「言ったっけ?」


 そう言えば、去年、そんなことを言ったような気がする。ああそうだ、去年は、誕生日が過ぎてから、それを言ったんだ。

 そういう奴の右手には、ケーキ屋の四角い、やわな箱。そして左手には……花束。

 これじゃあ確かに、扉を開けられない。


「ってことは、これ、僕に?」

「他に誰が居るっていうんだ?」


 そりゃあまあ、確かにそうだけど。この男は、こんな、露骨に、……恥ずかしくないんだろうか。

 いや、きっと恥ずかしくないんだろう。それはずっと一緒に居れば、判ることだ。僕が持つためらいがこの男にはさっぱり無い。


「ありがと、でも、女の子じゃないんだし、僕が花、好きでも何でもなかったらどうするつもりだった訳? 高かっただろうに」

「好きじゃねえ?」

「や、好きだけど……」

「綺麗なものは好きだろ、お前」


 僕は花束を両手で抱え込む。奴は空いた片手で扉を閉め、カギをかけた。


「だったら、花は嫌いじゃないだろ」

「単純」

「でも間違ってないだろ?」


 間違ってはいない。女の子みたいな趣味と言われようが、こんな、かすみ草いっぱいの中に、赤やピンクのばらやら黄色いぽんぽんした花、青い小さな花が散りばめられている花束は、綺麗だと思う。

 そして綺麗なものは、僕は好きだ。……何で、判ってしまうんだろう。僕はぎゅっ、と花束を抱え込む。


「おい、そんなぎゅっと抱きしめたらつぶれるぞ。何処か水……おいめぐみ、お前、泣いてるの?」

「え?」


 僕は右手で頬に触れる。外した指が、濡れていた。


「あれ?」

「あれ、じゃないだろ」


 あれ、だよ。何で僕は泣いてるんだろう。泣きたくないのに、何か、目が熱い。喉が詰まる。思わず、花の中に顔を伏せる。


「おいばらがあるんだから、花に埋もれるのはよせってば」


 ケンショーはそう言って、ケーキの箱をテーブルに置くと、僕の顔を少し強引に上げさせた。ああくちゃくちゃ、と言いながら奴は花粉まみれの僕の顔を指でぬぐう。乾いた、暖かい感触。


「何で泣いてるのかよく判らんけど…… せっかく買ってきたんだし、開けようぜ?」


 僕は花束を流しへと持って行き、ついでにそこにあったタオルで顔をふいた。本当に、どうして僕は泣いてしまったんだろう?

 ついでに、と皿とフォークを取り出して、僕はテーブルに置いた。


「僕こっち用意したから、あんたはお茶沸かしてよ」

「俺かい」

「いいじゃない。僕の誕生日なんだろ?」


 仕方ないですねえ、と言いながら、それでも奴は嫌がらずに一度降ろした腰を上げた。100円ショップでその時々に適当に好みを買ってるから、この部屋の食器は一つとして同じものがない。

 ふたを開けると、そこには15センチホールの、果物がどっさりと乗ったケーキが現れた。わあ、と僕は声を立てる。そうそうお目にかかれるものではない。


「ケンショー、あんた甘党だっけ? 自分で選んだの?」

「いんや。美咲の見立て。あいつはさすがに詳しいよ」


 だろうね、と僕はうなづいた。ケンショーが自分でこれが美味そうだ、と選んで来る図は想像ができない。ちゃんとケーキ、であるだけでも上等だし、そうゆうのに詳しい美咲さんを使うあたり、周到だ。


「……あ、おいし」

「だろ? あまり甘すぎると食えないんだけどさ、俺でもいけるわ」


 うんうん、とうなづきながら、僕は南国の果物の香りと、生クリームのとろける感触と、カスタードクリームのとろりとした懐かしい甘さを同時に味わう。


「そう言えば、こないだ、のよりさんに会ったよ」

「のよりに? お前知ってたっけ」

「あんたが最初に言ったじゃない」


 何気なく、僕はできるだけ何気なく言おうとしていた。すると奴は言った。


「言ったかなあ」

「言ったよ。前のヴォーカルが、逃げた、って」

「そう言われれば、言ったような気もするなあ。そうか……元気だったか?」

「元気だったよ。何か結婚式のしたく、忙しいらしくって、そんなに時間長く取れなかったんだけど」

「元気なら、いいんだ」

「元気だったよ」


 僕は繰り返す。あまりにもあっさりした奴の反応に、少しだけ気が抜ける。


「だけど、昔はつきあってたんでしょ?」

「ああ。でも今はお前が居るし」


 僕はフォークを動かす手を止めた。


「そういうもの?」

「俺は、そういうものだと思うけど」


 迷いの無い、言葉。きっとそれは、嘘ではない。


「……あ、ちょっとそこの、口の端にクリームがついてる」

「あ? どこだ?」


 ぺろ、と僕は身体を動かし、そこに舌を這わせた。


「……ちょっとヒゲが伸びてる」


 うるさいよ、と奴は言って、僕のおでこを軽くはじいた。

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