第20話 この男の感覚は時々判らなくなる。

 翌々日、学校へ出向くと、既にアハネは最初の授業の教室に居た。よ、と手を挙げて、奴はこっちへ来いよ、と僕に合図する。


「写真、できたの?」

「まあね。なかなかの出来だと思うけど?」


 広い、クリーム色のデスクの上に、奴は写真を広げる。


「わ、たくさんあるなあ」

「そらまあ。いいと思った表情がいつ出るか判らないからさあ、シャッターは数多く押さなくちゃ」

「へえ」


 しかしこうやって見ると、確かに場所と時間を変えただけで、ずいぶんと違った写真ができてくるものだ。

 「夜の場面」では、陰影が、そこにあった照明のものなので、何かやはり不思議な雰囲気になっている。無論、そこにある光だけでは足りないので、アハネは小型の機材を学校から拝借してきたらしいが。


「うっわー」


 僕はその中の一枚をつまみあげる。ふふん、とアハネは笑みを浮かべる。僕の写真。今回は皆、ステージで着る様な衣装で決めてみた図だったので、僕もあの網あみの格好となっている。

 けど、こんな顔してるのか。今更ながら、僕は見てるうちに自分の頬が熱くなるのを覚えた。


「何赤くなってるんだよ」


 目を丸くしてアハネは訊ねる。


「……だってさ、これって」

「だってお前、そういう顔してるじゃない」

「……そ…… うかな」

「すげえ色っぽいの。化粧で女は変わるっていうけど、男も変わるんだよなあ」


 まあそれはそうだけど。実際、僕のメイクも衣装もヨロイのようなものだから、そこで変わらなくては意味が無いのだけど。


「まあ後は、お前の仕事だろ? インデックスのレイアウトは」

「う…… ん」

「お前は俺と違って、CGも結構いけるからさ、高解像度でスキャンして加工してみるってのもありじゃない? ここの機材があるっていうのに、使わないのは損だぜ?」

「うーん…… そうかも」


 確かにそうだろう、と思う。ここの生徒だからこそ、できることもあるのだ。カラーのレーザープリンターなんて、自前ではまず持てない。


「……でも何か、自分の写った写真を加工するって恥ずかしいなあ」

「あんだけ人前でがんがん歌ってて何言ってるの」

「まあそうだけどさ」


 僕は肩をすくめ、写真を元に戻す。お前が持ってろよ、とアハネは戻しかけたそれを僕に押し戻す。うん、と僕はそれを改めてかき集め、まとめてバッグに入れた。


「けどさ、お前何だかんだ言っても、結構向いてるよな。こういうの」

「……そうかなあ」

「そうじゃなくて、お前のよーな奴がどうして続くのさ」

「僕のような?」


 ふとひっかかって、僕は眉を寄せた。


「……ってどういう意味?」

「正直言って、続くと思ってなかった」


 率直な答え。


「お前、正気じゃ歌わないだろ?」

「人をビョーキのように……」

「でも実際そうじゃないか? だから、それができるならいいかな、と思ったけど……」


 まだ何か言いたそうだ。


「何かアハネ、僕に言いたいこと、あるんじゃないの?」

「別に、無いよ」

「嘘つけ」


 こいつはまっすぐ言葉を放つから、嘘をつけば、すぐに判るんだ。ほらまたそうやって、目をそらす。


「言いたいことあるなら、言ってよ」

「聞きたいことなら、ある」

「うん」

「お前、あのケンショーって人と、どういう関係なんだ?」


 え、と僕は思わず喉からそう音を出していた。


「……って」

「だから、そういう関係なのか、って聞いてるの」

「そういう関係って……」


 アハネは目をそらす。ちょっと待て、よ。


「それが、気に掛かってた?」


 つい語調が厳しくなる。


「それが、悪いの?」

「そう言ってるんじゃないよ」

「そう聞こえる!」


 ばん、と僕はデスクを両手で叩いて立ち上がった。


「落ち着けよ、アトリ」

「落ち着かせないのはお前だろ! それとも、変だ妙だって言うの?」

「俺はまだ何も言ってないだろ!」


 ああ駄目だ。何を言われても、今の僕には、それが言い訳の用に聞こえる。


「話を聞けよ、アトリ」

「今は、聞けない」  

 僕はそのまま、荷物と写真を持って、教室を出てしまった。


   *


 それから、学校に行かない日が数日続いた。

 行かないと言ったところで、バイトにいそしんでいた訳でもない。バンドに熱心だった訳でもない。

 だがさすがにその様子は、バンドの連中には判ってしまうようで、ケンショーもナカヤマさんも、気の入らない僕に、今日は帰れ、と言った。

 そうなってしまうと、僕には行く場所が無い。

 何か、足下が、ひどくふわふわとして頼りない。何処へ行っていいものか、僕にはさっぱり判らないのだ。

 仕方がないから、街中をふらふらして、雑誌の新しいものや、新しいCDをふらふら見て歩いたりする。

 そしてつい、ACID-JAMに足を向けていた。

 別に何をどう、という訳じゃない。ただ、家に一人で居るのは嫌だったし、かと言って、誰かと一緒に居たい、という気分でもなかった。

 ただそれでも、自分に関わりのある場所に居たい、という気持ちはあったらしい。

 開店前の店は、掲示板とかがある場所までは自由に出入りすることができた。僕はポケットに手を突っ込みながら、そこに張られているもの一つ一つを目を追う。

 色んなバンドがある。照らないものが大半だ。

 そんなバンドのライヴ案内と一緒に、メンバー募集の紙も、ところ狭しと張られている。そこにも色んな個性がある。名前にしろ、誘い文句にしろ。

 「**のコピーを中心に。高校生の四人組です。ヴォーカル求む」とか「プロになる気のある奴はいないか」という感じのものまで。

 けどバンドの名前というのは、難しいものだよな、と僕は思った。うちのバンドは、まだましな方じゃないか、と思う。結構言葉としては簡単。「りんがー」。それでいて、意味あい的には、ただの鐘鳴らし、ではなく、その鐘が「警鐘」だったりする、という。

 バンドの名前は、短いのが僕は好きだ。長ったらしいのだったら、いっそ略すのが楽な奴がいい。

 と、そんな短い名前のバンドが僕の目にとまった。


「SS?」


 確かに短い。何かそういえば、別の意味もあったような気もするけど、思い出せない。ただ、ちょっと物騒なイメージはあったと思う。

 メンバー募集のところだ。高校生の二人組。ヴォーカルとベースは居るから、ギターとドラムが欲しい、と書いてある。字が綺麗だな、と思う。いや、綺麗、というか読みやすい字だ。代表は――― カナイフミオ、って読むのかな?


「おい」


 背中から不意に声を掛けられたので、僕はひゃっ、と声を上げた。振り向くと、ケンショーが居た。


「何であんたここに居るんだよ!」

「それは俺の台詞だよ。次のライヴのことで、打ち合わせに」

「あ」


 そういえば、そうだ。一応こいつはリーダーだった。


「何見てたんだ?」


 しかしそう言いながら腕を回してくるというのは。


「ん。何かたくさんメンバー募集とかあるな、と思って。結構あるよね。募集してるとこも、入れて、って言ってる奴も」

「ああそうだな」

「ホントに、たくさん……」

「……お前さあ」


 え、と気づくと、何か回されてる手が、抱きしめモードになっている。ちょっと待て。


「ケンショー、こんなとこで」

「別に。じゃれてる分だ、って言えばいいだけだろが。だいたい皆知ってるだろーに」

「あんたは良くても、僕は恥ずかしいんだよ」

「そこんとこが俺には判らないね」

「何で」


 そうなのだ。この男の感覚は時々判らなくなる。だいたいそもそもが、男に惚れてしまうことに、何の迷いも持たなかったんだろうか。


「だってさ、好きは好き、でいいじゃないかよ。何でそれが恥ずかしい訳?」

「心からそう言ってる?」

「嘘ついてどうすんの」


 ふう、と僕は奴の腕を握りながらため息をつく。


「アハネがさ、僕らの関係気づいてたみたい」

「そらそーだろ」

「僕的には、結構ショックだったんだよ? 判る?」


 いーや、とケンショーは首が横に振るのが判る。そうなんだよな。あんたはそういう人だ。


「少なくとも、俺がお前のこと好きなのは、ばりばりに判るだろ」


 そうかなあ、と僕は思ったが、口には出さなかった。

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