第16話 「いいんじゃないの? Kちゃんね」

「……ああそう言えば、ベルファ、こないだベースの奴が事故って、亡くなったんだって言ってたな…… お前も事故る…… や、事故られるなよ?」

「何だよそれ」


 客電が消え、僕はふらりとステージに出た。

 それでも、始まるその瞬間までは、緊張が少しは身体に残っている。

 だけどその緊張は、僕に少しばかりの力を与えてくれる。

 オズさんのスティックがカウントを鳴らし、ケンショーのギターが、ナカヤマさんのベースが音を奏でる。僕はその上にふわりと飛び乗って、声を張り上げる。

 網に包まれた腕が、大きく、ライトに包まれた空間を動き回る。別に何か考えている訳じゃあない。音に乗って、身体が動く、それにただ僕は従っているだけ。

 まだ今のところは、前のヴォーカルの子がつけた歌詞の曲だけだけど、そのうちケンショーは僕にも何かつけろと言い出すだろう。

 曲の合間、軽くドリンクを口にしながら、さっきのことを思い出した。

 ふっと後ろのカウンターに視線を飛ばすと、そこには高校生くらいの男子がカウンターに並んで座っていた。一人はカウンターに突っ伏せている。そしてもう一人は、ぼんやりとドリンクを口にしている。時々こっちを見ているが、決して熱心ではない。……少なくとも、僕に対しては。

 僕はほんの少し、意地悪な気持ちになって、じっとそちら方向を見ると、にっこりと笑ってみせた。

 だって。その高校生のガキは、明らかにケンショーのファンだ。少し距離はあっても、視線の方向で、判る。

 だいたい野郎で僕のファンがつくことは滅多にないだろう。そんなことは判ってる。数回ライヴやれば、そんなことはすぐに判る。

 こっちを向けよ、とは思わない。思ってたまるか。

 次の曲が始まる。僕は大きく頭を振って、また声を張り上げる。

 そしてその視界の隅で、そのガキが、僕に向けて、指で銃を作って撃つのが、見えた。 


「良かったわよ、ライヴ」

「ありがとう、……ナナさん」


 言われた通りに、僕は終演後、さっさとメイクを落とすと、客が引いた後の店のカウンターに出向いた。僕がそうしている横でギターを片づけていたケンショーも、ついでとばかりについてきた。


「お久しぶりす、ナナさん」

「ふうん?」


 カウンターに片方の肘をつくと、彼女はケンショーの方を意味ありげに見た。そして首を傾げると、こう納得したようにつぶやく。


「なるほどねえ」

「何か言いたいですかね?」

「ううん、相変わらずだなあ、と思ってさ」

「相変わらず?」


 僕は特別だからね、と言われた「本物の」オレンジジュースを両手で受け取りながら訊ねる。


「……このひとは、人をからかうのが好きなんだよ」


 そう言いながら、ケンショーはポケットから煙草とライターを取り出した。あれ、珍しい。僕の前ではそうそう吸わないのに。


「何照れてんのよぉ」


 あはははは、と彼女は笑った。照れてる? 照れてるのか? この男が。


「毎度毎度、この男、ある程度まで新しいヴォーカルが慣れて来るまでぜーったいにここには連れてこないのよ」

「へえ?」

「……」


 ふうん。オレンジジュースを口にしながら、僕はケンショーを改めて見る。視線を向こう側に飛ばして、煙草をふかしている。ふうん。照れてるのか、これは。


「何で?」


 僕は不意に訊ねた。


「ふふん。決まってるでしょ。ある程度慣れないと、あたしの毒舌に可愛い子がしぼんじゃうものねえ」

「……判ってるなら言うなよ」


 ふーっ、と奴はそう言いながら煙を向こう側に大きく吐き出した。


「ま、でも今度の子がこの子で、結構あたしとしても、あなた達のバンドには期待が持てるんだけど?」

「……何だよ、気味悪いな」


 くいくい、と灰皿に吸い殻をなすりつけてから、奴はこっちを向く。ナナさんはぐい、とカウンターから身を乗り出す。


「あらあ、正直な感想と言って。だってあなた達、腕はいいんだけど、何かいつも華が足りなかったじゃない。この子、ステージ映えするし、声も」


 彼女は一呼吸、そこでおいた。


「……よく伸びるし。えーと、名前……」

「あとりめぐみ」


 すかさずケンショーは言った。


「……でもお前、その名前じゃない方がいいんだろ?」

「え?」

「そんなこと、言ってなかったっけ」


 言った覚えはない。だけどそう思っていることは確かだ。


「だから…… そーだなあ。漢字で書くと、恵、だからK。こんなとこでどーだ?」


 どうやらこれは僕に対する確認のようだった。


「Kちゃん?」


 すかさずナナさんはそう口にする。


「いいんじゃないの? Kちゃんね」


 ふふ、と彼女は何が楽しいのだか、顔いっぱいに笑みを浮かべる。


「……ベルファもしばらくは活動休止だし…… あなた達にもがんばってほしいな。うちの店、結構ベルファ目当てとか多くてさ」

「そういえば、さっき、あの子見たぜ?」

「……ああ、見た? マキノ君」

「名前までは知らないけどさ、あれ、あんたのとこの亡くなったベースのひとにいつも引っ付いてたガキじゃなかったっけ」

「……まあね。でももう、来ないかもしれないわ」


 何の話をしているのだろう。


「結構早くベースも上達したから、誰かバンド組んで、……早く思い出にしてくれればいいんだけど」


 そうだな、とケンショーもぼそっと言った。



「どういう子だったの?」


 帰り道、ゆっくりと歩きながら僕はケンショーに訊ねた。オズさんもナカヤマさんも、二人で呑みに行ってしまった。この男は自分は飲めるのに、僕を送っていく時には絶対に呑まない。


「何が?」

「さっきの話。ベルファってBELL-FIRSTのことだよね?」

「あ? ああ。事故って亡くなったベースの人ってのが、ずいぶん上手い人でさ。その人に今年の春あたりからくっついてたガキが居たの。俺が知ってたのは、それだけ」

「ふうん」


 でも、どうしてその子の連れが、僕にめがけて指で銃を撃つんだろう。

 悪意ではないけれど、何か、その行為そのものに、僕に向けての意志のようなものを感じたのだけど。悪意ではない……だけど、敵意に近い。


「ケンショー」


 僕は不意に立ち止まり、彼の名を呼んだ。何、と答える声が聞こえる。


「僕のこと、好き?」


 何を言ってるんだよ、と彼は笑った。


「いいから、言って」

「好きだよ?」


 これはあっさりと言う。こういうことはあっさりと言うのに、どうしてナナさんの前では照れるんだろう。変な奴だ。


「今日、うち寄ってく?」

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