第17話 夜中に、悪夢で目が覚めた。

 相変わらず殺風景な僕の部屋には、相変わらずものが増えない。

 ただ、気が入らないなりにも作った課題は、ここに持ち込まれていたりするから、四月当時のがらん、とした感じではないけれど。

 ケンショーは途中のコンビニで買ったビールを袋から取り出すと、残りを畳の上に投げ出し、自分自身も投げ出した。壁に背を付けると、ぷし、と缶を開け、勝手にやっている。

 僕は、と言えば、とりあえず汗をかいたシャツを脱ぐと洗濯かごに放り込んだ。網あみのものは、いっそ風呂場で手で洗ったほうがいいのだ。シャツも、手袋も、靴下も。


「風呂入る? 先にシャワー使ってもいいよ?」


 僕はそう奴に声を掛けた。


「めぐみはどうすんの?」

「僕はまだ後でもいいけど」


 すると奴は、缶の中身を一気に空けた。ぽん、と畳の上に、アルミの缶が軽く音を立てる。


「面倒だから、一緒に入るか?」

「へ?」

「待ってるの、面倒じゃねえ?」


 まあそれはそうだけど。


「でも、狭いよ」


 こんな狭い部屋の風呂なんだから、さらに狭い。新しくはないから、トイレが別なのが救いってところなのだ。


「それでも俺のとこより広いさ」


 がらりと戸を開けて、奴は言う。既に服を脱ぎはじめている。

 しかし汗をかいたシャツをまた着るのだろうか。こりゃ後で僕のTシャツか何かを貸してやらないととんでもないことになりそうだった。


「ケンショーあんた、どんなとこに住んでるのさ」

「俺のとこ? 広さは大して変わらないけどさ、何でか知らないけど、ユニットバスなんだわ」

「へえ」

「おかげで冬場でもシャワーが習慣になっちまった」

「実家では、違ったの?」

「実家では、そりゃあちゃんと洗い場つきの、広い風呂場って奴があったからな。ちゃーんと俺の個室だってあったし…… 今の部屋より広いんだせ? 妹も持ってたけど、あいつの方が一回り小さかったかな」

「美咲さんの部屋が?」

「何を親が期待してたんだか知らないけど、俺の方が部屋は広かったね」


 ケンショーは、時々こうやって、ぽろぽろと美咲ちゃんに対する負い目のようなものを見せる。

 そして言葉にはしないけれど、「それでも」音楽をせずにはいられなかった自分、という奴をも、僕に見せつけるのだ。僕にはない、そんな部分。

 うらやましくて、どこか悔しい、そんな部分。


「入らないの?」


 奴は振り向きざまに、そう問いかけた。僕は苦笑しながら、狭い空間へと入って行った。



 夜中に、悪夢で目が覚めた。

 目を開けたら、視界に月が入ってきた。投げ出した、奴の腕が当たる。少しその腕が冷たく感じられた。

 窓は閉めてしまうと暑いけれど、開けっ放しにしておくと、ここのところ、秋の涼しい風が入ってくる。ほんの少しのすきまを残して、僕は窓を閉めた。

 だけど見てしまった夢が、あまりにも嫌な感じだったので、なかなかそのまま寝付く気分にはなれなかった。

 高校の時に、可愛いな、と思った女の子が出てきた。どうしてなのか、僕にも判らない。だって、可愛いな、と思ったことは覚えていても、その子の名前も覚えていない。

 だけどその子が出てきた。夏だ。夏だと思う。あんなに草いきれむんむんな空き地があるのは、夏しかない。

 そんな空き地の、ブロック塀に囲われた様なところで、何故かその子は、手に旅行でもする時の様な荷物を持って、僕に言うのだ。


「もういいわよ」


 どうしてそんなことを言われるのか、僕にもさっぱり判らない。だけど彼女は繰り返す。泣きそうな声で繰り返す。


「もういいんだってば!」


 そして止めようとする僕の手を振りきって、そのまま背中を向けた。

 僕は何を言っていいのか判らないまま、ただ立ちすくんでいた。無性に、向こう側に見える青空と入道雲が目に焼き付いていた。追えば良いのだろうか、と思っても、足が動かなかった。

 ふう、と思わずため息をつく。

 何でそんな夢を見たのか、僕自身さっぱり判らない。だけど、ひどく後味の悪い夢だったことは事実だ。できれば見たくない類の夢だ。

 と、ふと手を捕まれる。そのまま僕は奴の腕の中に取り込まれる。


「起きちゃった?」

「そんなもぞもぞやってりゃ、目ぐらい覚める」

「ごめん」


 奴の体温が伝わってくる。暖かい。少し前だったら、暑いばかりの、その温もりが、妙に心地よい。


「悪い夢を、見た」


 僕は短く言う。悪い夢? と奴は問い返す。月の光から隠れる様に、僕は目を伏せる。


「名前も忘れた子に、『もういいよ』って言われたんだ」

「ふうん?」


 ケンショーが言った意味を理解しているかどうかは僕にはどうでも良かった。ただ、この夢を自分の中に溜めておきたくはなかった。


「それが悪い夢?」

「そ」


 それ以上は説明しなかった。言わない代わりに、僕は奴の背中に手を回し、ぎゅっと力を込めた。

 綺麗な光景だった、と思う。だけど、その光景は、僕の中で、ひどく重かった。ひどく痛かった。僕が一体何をしたって言うんだ、と、呆然とする頭の中で、その反面叫びだしたいような、そんな、嫌な感じ。

 僕が悪いのだろうか。少なくとも夢の中で、僕は僕自身悪いことをした記憶はなかった。では何が彼女にそんな風に言わせたのか。良くも悪くも、それが僕のせいだということだけを彼女は突きつけて、そのまま逃げてしまった。

 逃げて。それって、卑怯だ。


「お前変だよ。そんなに嫌な夢だった?」

「嫌な夢だった」


 よしよし、と奴はギタリストのでかい手で、僕の伸びかけた髪を撫でた。気持ちいい。寝付く前にしていたこととは違った心地よさがそこにはあった。

 でも。僕は思う。もしかしたら、こうしてもらっていることのほうが、僕は嬉しいのかもしれない。眠るに妙な体勢で、このままだと起きたら筋肉痛は間違いない。

 だけど。

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