第15話 ケンショーも嫉妬はする時にはするのかもしれない。

「あらあ」


 休み明け、食堂で久しぶりに会ったノゾエさんは見事に日焼けしていた。今日のA定食のスパゲッティのサーモンクリームソースセットを手にした彼女はすとん、と僕の前に陣取った。


「元気だった? アトリ君。……あれ? 何か、君、顔、変わった?」

「え? 何か変ですか?」


 僕は問い返した。


「や、何か、前よりかわ…… いや、綺麗になったんじゃないの?」

「綺麗ってノゾエさん、何ですかそれ」


 僕は慌てて手を振る。詰まった言葉も予想はつく。

 だけど、そういう彼女の方が僕にとってはよっぽど綺麗に見えるのだけど。きっとまた、いつもの様に、あちこちを回ってきたのだろう。


「休み中、何処か行ってました? また」

「うん。今度は九州」

「へえ」


 九州。そういえば、アハネの故郷はさらに向こうだ。


「そうだね、だいたい二十日間くらい、九州の中をうろうろしていたよ。一泊三千円くらいの安宿とって」

「へえ…… よく焼けてますよ」

「うん。時間のある限り回ってやろう、って思ったからね。今回は」

「今回は?」

「ま、今度はちゃんと進級しなくちゃまずいでしょ。さすがに」

「進級」

「アトリ君はそういう心配はないだろうけど」

「心配…… うーん……」


 僕は少しばかり言葉を濁す。正直言って、実は心配だった。

 バンド活動に身が入るにつれて、僕の学校の方の課題に向ける熱意が減っていたのは確かだった。


「何だあ? すごーく情けなさそうに!」

「ちょっと…… 危ない」

「はあ!」


 僕はそう言いながら、スプーンでカレーライスをかき回した。


「何でまた。君ずいぶんまじめそうだったのに」

「まじめとまじめそう、は違うんですよ~」


 そしてぱく、と口に運ぶ。


「何でまた」

「バンドが」


 間髪入れない問いは、つい僕の口から言葉を引きだした。


「バンド…… ちょっと待ってよ、アトリ君、もしかして、まだ、続けてるの?」


 ぐい、と彼女は身を乗り出してくる。


「まだ、って何ですか」

「試しで入る、って聞いた時だって信じられなかったわよ? だって、あの男のバンドでしょ?」

「そういう言い方、よしてくださいよ」


 僕は少しばかりむっとして、彼女に言い返した。


「音楽には、まじめなんですよ?」

「それはそうなのかもしれないけど」


 彼女は眉間にしわを寄せながらも引いて、スパゲティのサーモンクリームソースをからげ出す。そして器用にくるくるとフォークだけで細いスパゲティを巻いて口に運ぶ。


「……最近、そのバンド、……何って言ったっけ?」

「RINGER」

「そうRINGER。どうなの?」

「最初の頃よりは、慣れてきたから…… 今度、見に来ます?」


 そういえば、そうだった。慣れてきていた。

 と言うか、ステージでの格好を変えたあの時から、僕は変わった。

 ケンショーの言うところの鎧だ。別に僕の中身がどう変わるという訳ではないけれど、派手な格好をすることによって、むやみやたらな緊張から、僕が解放されたのは確かだ。

 それに。


「行ってもいいなら。……ああ、でも君、あの友達も行ったことあるの?」

「友達? アハネ?」

「そう、そのアハネ君」

「ああ、そういえばまだあいつ、故郷のほうから戻って来ないんですけど…… そろそろ戻ってくるかな?」

「だったら彼も一緒にしてよ。あたしだけ誘うと、それはそれで、何か良くないと思うけど」


 そうかなあ、と僕は首を傾げた。



 服を着替えて、鏡に向かって、髪とメイクを整える。それは僕にとって、ライヴの前の儀式のようなものだった。

 それが、楽屋とも言えない、ライヴハウスの奥の、狭っ苦しい空間だったとしても、だ。

 もっとも、今日のライヴハウスは、その空間がいつもより広かった。ACID-JAMというそこは、僕は初めてだった。出演するのだけではない。入るのも初めてだった。

 爆発した様な髪の、綺麗な女性が時々出入りしている。どうやらこの店のスタッフらしい。Tシャツにくるまれた大きな胸の上に、この店の名前が白抜きで入っている。


「上手ね」


 その女性が、ふと、声をかけた。鏡に彼女が入ってきた時に、はっと僕は顔を上げた。


「でも、口紅はも少しラインをくっきりさせた方がいいんじゃない?」


 そう言うと、彼女は僕の手から口紅を取り、袋の中のメイク道具をがさごそと探ると、専用の筆を取り出した。


「じっとして」


 その筆が、すっ、と僕の唇の上を動く。ほら、と彼女は鏡を僕に手渡した。確かに、何となく印象が変わる。


「うんやっぱり、その方がいいわ」

「あ、ありがと…… えーと」

「初めて? あたしはナナよ。覚えておくと便利よ」

「ナナさん?」

「演奏が終わったら、飲み物は何がいい? 後ろのカウンターへ取りに来ればいいわ」


 そう言うと、彼女はさっと立ち上がってその部屋を出て行った。僕はあっけに取られてその後ろ姿を見ていた。色んな人がいるものだ。僕は、と言えば、そのテンポには相変わらずついて行けてない。


「支度できたか?」


 ケンショーが入れ替わりの様に入ってくる。


「あれ、ちょっと顔変わった?」


 奴は目を細めてみる。


「あんたの目でも。そう思うの?」

「何となく」


 だとしたら、あのひとは上手いんだ、本当に。


「ケンショー、ナナさんって知ってる?」

「ナナさん? ああ、ここのスタッフの? まあな。あ、でもお前、あのひとは駄目だぞ」

「え?」

「あのひとは、BELL-FIRSTのノセさんの彼女だし」


 何を言ってるんだろ。この男は。

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