第8話 「あんた滅茶苦茶だね」

「何?」


 ケンショーは黒いジーンズのポケットに手をつっこみ、くわえ煙草のままこちらを向いた。僕は、と言えばスーパーで買ったネーブルオレンジが安かったので、袋をがさがさ言わせてる。


「前のヴォーカルって、どんな子だったんだよ」

「前の…… ああ。いい子だったなあ」

「そういう意味じゃなくて、ヴォーカリストとして」


 どうだったかなあ、と奴は煙草を空に向ける。


「あとりめぐみは、どう思った?」


 奴は相変わらず、僕をこんな風に呼ぶ。何か考えるところがあるのか、何も考えていないのか、僕にはよく判らない。


「どうって?」

「テープの中の」

「ああ…… うん、何か、耳に残るね。最初は別にどうってことなかったけど」

「そ。無茶苦茶歌、って奴が上手い子じゃなかったけどさ」

「上手くはなかったの?」

「俺、そうeう部分が欲しい訳じゃなかったからさ」


 おや。何か少し真面目な顔になっている。そういう顔をしている時には、この男は、結構顔の中身のバランスはいいので、いい感じなのだけど。


「のよりは――― ああ、前のヴォーカルだけど、その前のヴォーカルの奴の友達だった」


 うわ。それは修羅場を見そうな。


「時々練習を見に来て、差し入れとかしてくれたんだけど… そんな時に、一緒に皆で打ち上げで、カラオケ行ってしまったんだよな。それで歌ってしまったのが悪かった」

「カラオケばっかじゃん」

「や、その前のハコザキって奴は、他のバンドから引き抜いた」

「あんた滅茶苦茶だね」

「滅茶苦茶結構。俺は、欲しいものは欲しいって言いたいからね。恨まれようが何だろうが、一度ああいう中でやってこうと思ったら、欲しいものは欲しいって言わないと、絶対手には入らないからさ」

「そういうもの?」

「あとりめぐみは、そういうものって、無いかね?」


 彼は苦笑する。


「これが無かったら、自分はおかしくなるだろうってもの」

「ケンショーは、あるの?」

「ある。あるから、こんな髪なんだろ」


 そうだろうな、と思う。

 いくら今の時代、髪の色抜いたり染めたりするのが当たり前になっても、ロン毛という奴が市民権を得ても、この頭でサラリーマンはできないだろう。

 ついでに言うなら、この目の前の男がサラリーマンをやってる図など、僕には想像ができない。


「だからさ、俺は俺の中を、引っかき回す様な声だったら、それを見つけたら、絶対に、手に入れたいと思うよ。そうすることで、俺のバンドの音が、今まで以上に良くなるなら」

「でも、そののよりって子、上手くは無かったんだろ?」

「上手いのどうのが欲しいだけだったら、ライヴハウスにメンボ出して、それで結構見つかるよ。ウチ結構長くやってるから、中には一緒にやりてえって言ってくる奴もいるし」


 そうなのだ。なのに何で僕なのだろう。そういう疑問もあるのだ。


「でも、そういうのじゃないんだ」

「だったらどういうのなんだよ」

「判らん」


 僕は思いきり眉を寄せた。


「俺だって、何だってそういう声に惚れてしまうのか、よく判らん。だけど、俺の耳に、確実に届く声、ってのがあって、俺は、問答無用で、その声に惚れてしまうんだ。そういうのって、俺の頭でどうこう言えることじゃないだろ」

「ちょっと待て、惚れる、って」

「ん? 言葉のまんま」


 思わず立ち止まる。袋が手から落ちた。何やってるんだよ、と奴は言いながらそれを拾って僕に手渡す。


「声に、だよね?」

「まあ、そうだけど」


 奴は手渡しながらそこで一度区切る。


「けど、俺声が良ければ中身にも惚れるけど」


 ちょっと待て。


「何それ、あんた、って」


 奴は煙草を足元に落とすと、かかとでぐい、と踏みつぶす。

 そして、決定的な一言を突きつけた。


「言葉のまんまだけど」


 僕がもう一度袋を取り落としたのは言うまでも無い。    


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