第6話 「取って食われてたまるか」
がさがさ、と帰り道のスーパーで買ってきた袋を開き、水を入れた鍋をコンロにかけると、流しの下から、カップを取り出した。
食器も、今のところ家で使っていたものを少し分けてもらっている。マグカップなんてずっと使ってたものだ。
アハネから聞いた話では、100円ショップとかにも最近はいい感じの皿やコップが出てるらしい。今度見に行ってみようと思う。
ああでも、座卓の一つもあった方がいいな。インスタントコーヒーを入れたカップに湯を注ぎながら、僕は思う。
畳のそのままに置くのはやっぱりよくない。トレイはあるけれど、それだけでごはんを食べるのは何か味気ないし、だいたい課題をするのに、必要な時もあるだろうし。
そんなことを思いながら、僕はコーヒーを入れたトレイを畳みの上に置くと、学校の売店で買った雑誌を取り出した。
さすがにああいうところの売店には、アート系の雑誌が当たり前の様に並んでる。地元の、そのへんの本屋では見つからずに、わざわざ私鉄で幾つか駅を越えて、大きな本屋が無いと買えないような。
何か、こういう雑誌を手にしてるというだけで、自分がそういう世界に足を踏み入れた様な気になってしまうというのは、僕も単純かもしれない。
そうこうしているうちに、カセットのことをまたすっかり忘れていたことに気付いた。
クリープと砂糖を二杯づつ入れたコーヒーをすすりながら、僕はCDラジカセにテープを放り込む。
実家に居た時にはあまり手を加えなかったコーヒーだけど、こっちに来てから、水があまりにもまずいから、つい入れてしまう。水を売ってるのが当然な理由がよく判る。ペットボトルは欲しいから、一度は買ってもいいけど、でもいつも、なんてもったいない様な気がする。
ボタンを押すと、しばらくしてノイズが聞こえてきた。何処かの部屋で、真ん中にラジカセを置いて録ると、こんな音がしたっけ。
カチカチカチカチ、とステイックを鳴らす音が聞こえ、じゃん、と音が始まった。
*
「よお」
僕は口をへの字に曲げた。
翌日、学校から帰ろうとしたら、また玄関にあの金髪男が居た。目を細めて、何かを確かめる様に僕を見てから、彼は手を振った。
「……また居たの」
それでも引き返す訳にはいかないから、僕は仏頂面で金髪男に返す。
精一杯、言葉には気持ちに力を入れる。いつもの様にテンポが遅れないように、気を付ける。
アハネやノゾエさんと居る時の様に、向こうのテンポに引きずられて、それでも安心できる時の様な気持ちでは、何か起きた時に、逃げ場が無いような気がした。つまりは緊張、なんだろうか。
逃げ場、というと何か妙なんだけど、昨日の今日なのだからしょうがない。だいたい初対面の男に抱きつく男が一体どこに居るって言うんだ。
「そりゃあまた、でも何でも。昨日のテープ、聞いてくれた?」
「聞いた。けど、ちゃんとヴォーカル居るんじゃない。何で僕をいちいち誘うんだよ」
なるべく彼と視線を合わせないように、僕はカルトンの入ったバッグを肩に掛けて玄関を出た。彼はそのまま横に並んでついてくる。
「へー、これ学校の教材?」
帆布のバッグをつついて、彼は訊ねる。別に持ってくる必要は無かったのだけど、何となく、持ち出してしまった。
昨日の今日だ。彼が来る可能性があったから、つい、防護壁にもなりそうなそれを。買い物とかするには荷物になるというのに。
「そうだよ。あんまり僕は優等生じゃないから、家まで持っていってやらなくちゃならないの」
「ふうん。じゃあ向いてないんだ」
「……何っ」
僕は思わず彼の方を向いていた。細められた目が、楽しげに笑っている。しまった。引っかかった。
「やっとこっちを向いた」
「あんたが怒らせるようなことを言うからだ」
そしてまた僕は、ぷいと彼から目をそらした。
「何もあとりめぐみ、俺、あんたを取って食おうってんじゃないんだぜ?」
「取って食われてたまるか」
実際、昨日の今日だ。別にどうってことないのかもしれないけど、驚いたのは事実だし、何か得体の知れない怖さを、僕は彼に感じていた。
「それにあんたは、まだ僕の質問に答えてないよ。あのテープ、ヴォーカル、居るんじゃない」
「……ああ、あの時のヴォーカル、もう居ないから」
あっさりと彼は答える。
「こないだのライヴが最後。逃げられたんだ。いい子だったのになあ」
「しかも、女じゃないか。僕は女じゃない」
「そんなの、見れば判るって。だいたいこんな胸のない女はいないし。それに、俺別に女でも男でもどうだっていいから。いい声であれば」
「そういうもの?」
僕はかなり嫌そうな目つきで彼を見上げた。
嫌そう、なのは、この身長差にもあるかもしれない。僕だって無茶苦茶小柄、ということはないと思う。決して大きくはないけど、例えば全国の同じ歳の男子を集めて平均取れば、その平均くらいだと思う。
けどこの男が横に居ると、自分が小さいってことを考えさせられてしまう。そのまま横を向くと、僕の目線には、彼の肩があった。
「そういうもの。それに、俺はあんたじゃなく、ケンショーって言うんだぜ」
「知ってる」
「お? 知ってる?」
「あんたが勝手によこしたテープに、メンバーの名前があったよ。ギタリストと言っただろ?」
「覚えててくれたんだ」
「……」
僕は押し黙る。別に覚えたくて覚えていた訳じゃない。
「変な名前、と思っただけだよ」
「あんたの名前は可愛いけどね。あとりめぐみ」
「可愛いなんてっ!」
……また乗せられてしまった。くっくっくっ、と彼は肩をすくめて笑う。
「いいじゃん。可愛いって言われるの、嫌い?」
「嫌いだよ」
「どれどれ?」
そしてぐっ、と彼は顔を近づけてきた。な。
「……ああ本当、確かに可愛いや。ふうん。へえ」
僕は慌てて飛び退いた。どういう反応だ。あ、もしかして。
「ケンショーあんた、もしかして、目、悪い?」
「ああ、悪い。ど近眼」
へ、と呆れるのは今度は僕の番だった。そう言えば最初から、目つきが悪かった。見えていなかったのか。
「だったら眼鏡くらいかけろよ。コンタクトが必要じゃないの?」
「やなこった。俺昔っから、そうゆうの嫌いでさ」
「何で。物ははっきり見えた方がいいじゃないの」
「さあてどうかなあ」
ごまかすようにひらっと言うと、彼はポケットに手を突っ込んだ。
「それで、やっぱり駄目?」
「え?」
「ヴォーカルやって欲しいんだけど」
「やだ」
「こんなに頼んでも?」
「僕はそんな経験ないし、だいたい人前で歌うなんて恥ずかしいのはできないよ」
「あの時はあんなに楽しそうだったのに」
「あの時は!」
酔ってたのだ。記憶に無い。そんな時のことを引き合いに出されても困る。
「楽しそうだったからさ、きっと歌うの好きだと思ったんだけど。気持ちよさそうでさ。聞いてて気持ちよかったんだけど」
「気持ちよかった?」
そう、なんだろうか。僕は立ち止まった。
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