第5話 趣味のよろしくないインデックスのテープ

 あれ。でも何かあっさりと引き下がってる。


「ま、いいさ。そんな、最初からあっさりやるなんて言われたら、その方が不気味だもんなー」

「いきなり抱きつくあんたの方がよっぽど不気味だとは思わないの? ストーカーじゃないんだから!」


 ノゾエさんは悪意を込めて訊ねた。


「別に」


 男はあっさりと言う。僕はため息をついた。


「そこで、だ。あとりめぐみ、これをあげよう」


 男は上着のポケットから何かを取り出した。


「テープ?」


 しかも、何かいまいち趣味のよろしくないインデックスが入っている。黒地はいいけど、この飾り罫、装飾字体はよせ、って感じだ。ちょっと引きたくなる。


「これ、あんたのバンドの?」

「そ。俺のバンド。あとりめぐみ、ちょっと聞いてみてくんない? そのくらいはしてみてくれないかなあ?」

「わざわざ作ったの? 物好き……」

「や、これは配布テープって奴。客に配った奴の一つが、俺のウチにもあったから。結構いい感じで録れた奴だからさ、ね、一度聞いてみてくれね?」


 僕は黙って、そのテープのケースを表に返し裏に返す。タイトルが書かれ、その下に、……バンド名かな、これが。


「……り……? 何って読むの? ……RINGER」

「カタカナ的に読むと、リンガー。鐘鳴らし」   

「鐘鳴らし?」


 思わず眉を寄せた僕の頭の中に、「世界名作劇場」の中に出てくるのどかな教会のある農村の風景が浮かんだ。


「んじゃ、考えておいてくれよ!」


 そしてまた、金髪男はさっと手を出すと、僕を一度ぎゅっ、と抱きしめて、……今度はノゾエさんがどうこう言う前に、玄関から走り出て行った。

 さすがに今度は腰を抜かすようなことは無かったけれど…… 硬直していたのは、言うまでもない。


「……災難だね…… アトリ君」


 全くだ、と僕は思った。



 ぱちん、と部屋の灯りをつける。

 小さな部屋。四畳半とまではいかないけれど、六畳一間の部屋の隅に台所がついた、1Kアパートという奴。

 地方から出てきた一人暮らしの学生としてはまあ上等。決して建物は新しくはないけど、台所も、小さいながらも風呂もついてはいるし。

 でもまだ、がらんとした部屋だ。何があるという訳でもない。引っ越してきた時のそう多くもない荷物が、部屋の隅の段ボールの中に大半入っている。服も、画材も。

 電化製品も、まだほとんどない。部屋の真ん中にある蛍光灯の照明も、二口コンロのガスレンジも、置き忘れられた様にここにはあったから、わざわざ買う必要はなかった。

 でも冷蔵庫はいずれ欲しいな、と思う。

 仕送りはたくさんは期待できないから、無駄づかいはできないのだ。

 バイトはするつもりだけど、結構な費用が課題の制作費とかに消えるだろうし。

 外食はあまりできないから、自炊したほうがいいだろうし。だったら冷蔵庫くらいは欲しい。小さくていいんだ。でも2ドアがいい。氷が作れるといい。

 親が出してくれたのは、学費と、部屋代くらいなもの。後は自分で稼がなくてはならない。食費すら。

 部屋代って言ったって、僕の地元の倍くらいするのだから、それは仕方ない。この部屋を今借りる分で、地元だったらあと一つ部屋が増やせて、おまけにキッチンが別になるって聞いた。

 東京に出ていくというなら、それしかしてやれない、と僕は言われた。

 それで充分だ。充分すぎると思う。だからバイトなんかも、すぐにでも捜さなくてはならないのだけど。

 はじめは、反対された。でも押し切った。こんなのは、生まれて初めてだった。

 でも何でそこまで強情張ったのかは、僕にも判らない。

 だって、一応僕の育った県にもデザイン系の学校はある。家から通える距離に、結構な数の学校がある。


 絶対に、家に居た方が楽だ、ということは判ってる。

 食事も洗濯も、黙ってやってくれる母親。風呂だってそれでもここよりは大きいし、ちょっと古いけど、持ち家で、隣の家とは音楽を鳴らしても構わないだけの距離はある。

 地元の自動車産業の工場で働いている兄貴は、やっぱり車が大好きで、僕が何処か行きたいと言えば、嫌な顔することもなく、送ってくれたりした。

 日曜日にはよく出かけてく。つきあってる人もいるらしい。きっと結婚も早いだろう。

 親父とお袋も、すごく、という訳じゃないけど、それなりに仲が良く、やっぱり休みになると、何処かにドライブに出かけることがよくある。僕らが住んでたあたりは住宅地だったけど、ちょっと足わ伸ばせば、ちょっとした観光ができる山とかもあの県にはあった。

 無茶苦茶裕福、ではない。けどひどく穏やかで、明るい生活。

 地元では、当たり前な、そんな生活。

 僕にしたところで、成績がいい方ではなかったから、兄貴同様、高校を卒業したらすぐに就職すると親は考えていたらしい。それも一応考えはしたのだけど。

 だけど。

 何か、違うと思ってしまった。

 何が、とはっきり言葉に出して言えるわけじゃない。でも「違う」ということだけは判った。

 だから親に問いつめられた時、すごく困った。理由らしい理由がない。説明できるほど「何か」は固まってない。

 だけど、ここに居るのは、それは、それだけは違う、と思った。

 母親は困った顔をした。兄貴も困った顔をした。

 不思議と平然としていたのは、普段おっとりとして無口な親父だった。

 彼はこう言った。


「どんな理由か俺にはよくわからんし、お前もよく判らないんだろうが、お前がそこまで言うのを初めて聞くから、―――まあそう時間はやれんが、やってみろ」


 僕はどちらかというと、親父似だと言われていたので、ちょっとばかり、彼のその言葉は嬉しかった。

 違う、と思うなら、その理由だけでも見つけないことには親父に顔向けができない、と思った。

 そうやってやっと始まった一人暮らしだった。


 殺風景な部屋。狭いのは狭いんだけど、一人だと、何かがらんとしている。

 人の居る家につきものの、始終ざわついている、あの音が無いのだ。夜になれば、遠くの電車の音や、車の排気音、隣のうちのテレビの音がぼんやりと聞こえてくるくらい。それは僕に関係のないものばかり。

 不思議と安心する。

 でも、これだけは新しく買った、CDラジカセ。

 音楽が好き。音が無いと寂しい。それは昔から。

 実家のコンポを独り占めできる、と苦笑した兄貴は、入学祝いに小さなそれをプレゼントしてくれた。

 どうせこんな小さな部屋では、大きな音は出せない。このくらいがちょうどいいんだ。大きな音で聞きたい時のために、ヘッドフォンもちゃんとついている。

 上着を脱いでハンガーに掛けると、その拍子に、ポケットからさっきもらったカセットテープが畳の上に転がった。

 やっぱり何かデザイン的にはいまいちだと思う。少なくとも僕はこんなデザインのカセットをもらっても嬉しくはない。

 でも一応聞かなくちゃまずいだろうな、と思った。だったらコーヒーでも呑みながら、気楽に聞こう、と。

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