第三話 人は目的があってこそ前に進める

兄の元へ行く前にやることが一つあった。


「あの、和雪さん。言いづらいんですが、あそこの床に落ちた排泄物の処理をお願いしてもいいですか?」


「はあ? 何で俺が!? お前があんなタイミングに連れてきたのがいけないんだろ。自分のやったことなんだから、自分で責任を取りなさい。そうしたら、今までのことは全部水に流すから。うんこだけに」


「いや、全然うまくないんですけど! …………わ、わかりました」


 忘れている人がいると思うが和雪の排泄物が、いまだ処分されずに残っていたのだ。彼もあまりの出来事に遭っていたので、漏らしたことなど頭になかった。

 そもそも30歳にもなってお漏らし、挙句の果てには排泄シーンを少女に晒されることなど屈辱以外の何物でもない。


 彼女は顔を引きつりながら、排泄物の処理に取り掛かる。汚物を見るような目で。彼女もまさか男の人の排泄物を片付けさせられるとは、夢にも思わなかったのだろう。

 とはいえでも、あっさり請け負ったのは彼女が自分の過ちを受け入れ、少しでも罪を償おうとする意識があったのかもしれない。

 


「うぅ……」


「ちょっと。そんな嫌々にやらないでもらえる? なんかこっちが無理やり、変態プレイをやらせているみたいに見えるからさ! 俺だってめっちゃ恥ずかしいんだよ!」


 ───こんなところを婚約者に見られたら、変態の烙印を押されてしまうな……。いや最悪の場合、結婚はなかったことにさせられるかもしれない。早く婚約者に会いたい……


 こんな未知の世界に連れてこられて、平静を保っていられる人は少ないだろう。現実逃避や自暴自棄になるのは、自分の身にひどい仕打ちを受けたことなど受け入れたくはないからだ。

 しかし、彼がここまで冷静に考えて判断できるのも、婚約者の存在が大きかったからだ。


 彼がこの世界に来る前は、至って平穏な社会人生活だった。大学を出た後は技術系公務員に就き、毎日代わり映えのない生活を送っていた。当時は妻子はおらず、結婚願望すらなかった。だからといって現状の生活に不満があったわけではない。そんな生活が続き、気が付いたら30歳になっていた。

 

 ある日、彼の上司から縁談の話が持ち上がった。最初は断ったのだが、何度も申し入れるので断り切れなかった。お相手は上司の親戚らしい。名前は天木京香あまききょうか24歳。聞くところによると、とある有名な老舗旅館の跡継ぎだそうだ。今は立派な女将になるため、見習いとして懸命に働いているとのことだ。彼にとってこれはいわゆる玉の輿になる。


 嬉しい反面、申し訳なさを感じた。酒々井家は貧乏ではないが所得は低く、さらには一介の公務員と見合いなどと。

 彼は見合いのときに直接断ることにした。相手側も半ば強引に縁談を持ち込まれたに違いないから。


 見合い当日、場所は彼女の旅館。入口に到着するまでの石畳の道を辿ると、周りの庭木たちがまるで訪問者を歓迎しているように感じる。

 すると彼の目に浮かんだものは、古風を持ちながらその端麗なる外観は神秘的な存在に思え、訪問者を傾慕させる建物だった。ひとたびこれを目にすれば、誰でも釘付けになること間違いない。

 見合いが始まり、相手側の登場した瞬間、先ほど旅館に圧倒されていた彼だったが、その事実が無かったことになるほど仰天した。

 彼はお相手の天木京香の美しさに目を奪われたのだ。もちろん見合い前に写真を拝見したが、それを軽く凌駕する美貌だった。水のような透明感と朝顔のような清涼感に凛とした姿をしていた。和雪は完全に一目ぼれした。

 仲人が我々の紹介をし終わり、和雪は彼女と二人っきりになった。緊張はしていたが彼女と話しているうちに、緊張していたことなど忘れてしまう。

 彼女の言動は旅館の娘だけあって、とても礼儀正しく気品がある女性である。和雪が24歳の時でもここまで大人びていなかった。

 話を聞いていると、彼女も半ば強引にお見合いさせられたそうだ。

 しかし、和雪は一目ぼれしていたので、引き下がることにはいかなかった。もし、ここで断られてしまったらこの女性とはもう会えなくなってしまうから。


「天木さんがもしこの縁談にご不満がある場合、僕に不満があったなどで断っても構いません。しかし僕は貴方に一目ぼれしました。こんな一介の公務員の僕ですが、貴方さえよければ僕と結婚してください。必ずや幸せにしてみます」



「熱い告白嬉しく思います。たしかに最初は断らせていただこうと思っていましたが、私も酒々井様の誠実な面持ちに惹かれました。ですが、お互いの理解はまだ不十分だと思います。なのでお互いのことを知り合うためにも何度かデートさせていただいて、それから決めさせていただけないでしょうか?」


「はい! もちろんです‼」


 俺はその提案に快く了承した。彼女の言葉に心の中では完全に舞い上がってしまった。あとで自分の両親にもこの旨を伝えたところ、意外にも驚いていた。どうやらお見合い相手から突き放されると思っていたらしい。まったくなんてひどい親だ。見合いの話を聞いたときには喜んでいたというのに。


 それから何度か彼女とデートを重ねた。彼女と過ごすと幸せとはこういうものだと実感する。彼女のことを知っていくとますます好きになってしまった。そして、プロポーズの計画を立てていく中で楽しみと緊張が混在した気持ちが現れる。彼女に失望させないため、喜ばせるため念入りに計画を立てた。ついにその人生でが訪れる。しかし、そのに悲劇が起きたのだ。

 そう、俺が別の世界に飛ばされた日でもある。しかし、決して諦めない婚約者が待っているのだ。



 早く……。一刻も早く……。彼女いや、京香さんにプロポーズするために俺は戻らなくてはいけないんだ……。










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