第二話 人生は非情だが、時には受け入れるべし

 ひとまず紙でケツについたミソを拭いて、自分に何が起きたか今一度整理した。


 ────夢だと仮定してはみるが、こんな匂いや温度や湿度を感じる生々しい夢があるのか? そもそも自分はトイレで寝ることはないし、寝ていないことは断言できる。それになんの兆候もなく書斎のような部屋の風景に切り替わったのだ。テレビのチャンネルを変えたみたいに。

 もっとも瞬時に肉体を別の場所に移動することがあるのか? 本当かどうかは知らないが、各国で瞬間移動、つまりテレポーテーションの事例がいくつか上がっているのを聞いたことがある。それが自分の身にも起きたのか? それにあの赤い髪の彼女は何者だ? この現象は彼女が起こしたのだろうか?


 和雪は理系だったので非科学的現象は基本信じない。しかし、このような現象を体験したとなると受け入れない訳にはいかない。あらゆる考察を挙げてみたが、テレポーテーションの立証方法など思い浮かばないので彼は考えるのをやめた。


 ジャーとトイレを流すと同時にため息をつく。扉を開けると目の前には彼女が待ち構えていた。和雪は先ほど荒っぽく質問したのを反省し、優しく彼女に問いかけた。


「あの、まず君の名前とここは何処で、何でこんなことをしたのか、落ち着いて説明してくれる?」


「はい。名前はアリナで、ここは私の家です。私今まで友達ができたことがなくて、そこで召喚儀式を使って別の世界の住人と友達になろうと思って……。ちなみにここは貴方の知る世界とはまったく別の世界です」


「ここが俺が知る世界とは別の世界ってのは信じがたいけど、その召喚儀式ってのをもう少し説明して? 何で俺がここに来たの? 他の人でもよかったんじゃない?」


 召喚儀式というフレーズは初めて聞いた。彼女がジョークでも言っているようには見えない。話の流れから、その儀式が原因でテレポーテーションが起こったのだろう。


「えーと、召喚儀式というのは色々あるんですが、私が行ったのは人間を呼び出す儀式なんです。魔法陣を描いて花を置くとその条件に見合った人間をこの世界に呼ぶことができます。それとこの儀式、特定の人物を呼ぶことはできません。条件の中から無作為に連れてきます。」


 ────なるほど、召喚儀式というのは複数タイプがあるのか。どんな条件なのか知らないけど、その条件にたまたま俺が指定されたわけだ。運がいいのか悪いんだか。


 なぜ自分がこんなことされなければならないのか疑問を通り越して怒りを覚えるが、なぜか非日常を体験できて胸をドキドキさせている自分がいる。幼少期はこのような現実離れした現象に憧れていたからかもしれない。


 ────こんな仕打ちを受けてるのに呑気だな俺。これから人生で一番重要って言っていいほどの一大イベントがあるってのに


 とりあえず、何をされるか分からないので刺激しないよう優しく要望してみる。


「悪いけど、君とは友達にはなれない。これから行かなくちゃいけない所があるんだ。俺が元いた場所に帰してくれない?」


 和雪は彼女の話を全て信じているわけではない。断片的には信じている部分はあるが、嘘かもしれないので話を合わしているのである。



「……え?」

「え?って。だから俺が元いた場所に……。まさかだけど、帰す方法を知らないのか?」


「……」

「……」


 お互い数秒ほど沈黙が続き、和雪の怒りがやかんのように沸騰した。


「おまえ、なんで断られることも想定して帰す方法を知っておかないんだよ! ふざけんなよ。 俺これから婚約者とデートをして、プロポーズする予定だったんだぞ。だいたい召喚儀式で呼び出される身にもなれよ。 こんな誘拐まがいな事されて友達になってくれるわけねぇだろ。そんな犯罪者と楽しく友情築けるか!」


「すみません。すみません。すみません。」


 いままで溜めに溜めた怒りが我慢できず解放された。自分もこれほどまでに怒ったことは過去一度もないだろう。まさかここまで身勝手で頭の悪い奴が存在するとは。しかも、儀式という大がかりな事をしてまで友達作りしていると思うと絶句する。


 土下座をしながら謝罪を言葉を繰り返す彼女を見ると、正気に戻る。少し冷静になると、怒ったところで状況は何も変わらないことに気づく。


「はあ、もういいよ。言いたいことは全部言えたから。君を責め続けたところで元の場所に帰れるわけじゃないし。いいから顔をあげて」


「は、はい……」


 彼女の涙と鼻水で汚れた顔が見えてくると、少しだけ罪悪感が芽生えてくる。


 ────彼女に非があるとはいえ、いい歳したおっさんが高校生か大学生くらいの女の子を泣かせてしまった。親とかに知られたらバッシング間違いなしだな。


 とりあえず和雪は彼女の気持ちが落ち着けるまで待ってあげた。


「落ち着いてきた?」

「はい、本当にすみませんでした」


 気持ちが収まってもなお、彼女の目と鼻は赤く腫れていた。この様子から見れば自分が如何に愚かな事をしたと自覚したようだ。和雪でも反省した子を責めるほど非道ではない。

 

 それゆえ、彼女は和雪という寛容な男と出会ったのは運がよかったのかもしれない。なぜなら、儀式で呼んだ相手が激昂すれば、暴行されたり、最悪の場合殺されていたかもしれないからだ。


「アリナさんだっけ? 本当に元いた世界に帰す方法を知らないの? 何か心当たりがあることはない?」


 和雪は一刻も早く婚約者に会いに行かないといけないので、彼女の頭の中を探る。


「えーと。あ、兄なら知っているかもしれません。 兄はこの儀式の第一人者なんです」


「そうなの!? というか、お兄さんから帰す方法を教えてもらえなかったの?」


「実は儀式のことは一切教えてはくれなくて。でも、どうしても知りたくて、兄の研究レポートを盗み見て試したんです。」


 ────おいおい。追究欲求は分かるけど、勝手に見ちゃダメだろ。


 つくづく彼女の数々の行動にドン引きする。


「兄は家にいると思います。いつも研究ばかりしてますので」

「じゃあ、すぐにでもお兄さんの家に行こう」

「はい!」


「自己紹介遅れたけど、俺は酒々井和雪よろしくね。苗字は堅苦しいから、和雪でいいよ」

「じゃあ、和雪さんで……。よろしくお願いします」


 先ほどまで落ち込んでいた彼女に笑顔が戻ってきた。二人は照れ臭そうに挨拶をした後、握手を交わした。


「あの、恐縮ですがトイレ行った後、手は洗いましたか?」

「……あっ」



 こんな状態だが和雪は少しだけ希望が見えてきた。もう帰れないかと思ったが、彼女の兄に聞き出せば帰れるはずだと。













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