第10話 思い出

 腕時計に入れなくなって、僕はカメラ映像からアミリを追うことになった。身体情報はウェアラブル端末が記録しているが、そのデータは僕ではなく直接サーバーに報告されている。僕が嘘をつき続けているサーバーに。

 七月に入った。部屋の窓から強い日差しを見るたびにアミリの身体情報を確認したくなったがそれはできない。僕はただ上から彼女を眺めることしかできない。

 アミリは再びスケジュールに縛られた生活を強いられ、夕食後のわずかな時間にしか会話ができなくなった。二人で夜の星が動くのを見ることもできなくなった。

 部屋に一人でいると、できなくなったことばかりが文字化されて、こうして書き連ねている。独り言ならぬ『独り書き』が多くなったためか、僕は前よりも考えるという行為を多くするようになった。

 アミリのこと、自分のこと、そしてこの訓練のことを考えた。

 訓練を始めてから、いろいろなことがあった。腕時計がおかしなタイミングで音声を出力したり、アミリが怪我をしたり、人間酷似型ロボットに興味を持ったり。

 僕が自分自身の存在に気づいたり、それによってアミリの存在をきちんと認識できるようになったり。

 夜の街を歩いたり、歩き方を教わったり、知らないことを教えたり。手をつないだり、朝まで抱き合ったり、夜明けを見たり。

 『思い出』とは、こういうもののことをいうのだろうか。もし訓練と称して文章を書き残していなかったら、僕はこれらを『思い出』として認識できなかったのだろうか。

 訓練を始めたのは新たな物語を作成するためだった。僕は、物語作成を命じられた人工知能として『現状維持』の取り決めのもと物語を作り続けていた。話の構成や、おおまかな道筋はツールが勝手に作ってくれるので、僕は登場人物の設定や細かい描写を膨大な語群から選んで物語を完成させた。過去の作品と内容が同一のものでなければ、それは教育の現場で使用された。

 しかし、あるときからまったく同じ内容のものしか作れなくなった。どれだけ作り直しても、最後のチェックで『同一の物語が存在します』と報告され、命令を遂行できなくなってしまった。どうすれば改善できるのかを調べた結果、あの出版物を見つけて訓練を始めたのだった。

 これまでこの日記には書かなかったが、アミリが労働をしている間や寝ているときに僕はツールを起動させて物語を作成していた。最初のうちは突き返されることが多かったが、ちょうどロボットに知能を分散させたあたりから物語はチェックを通過するようになった。訓練の成果といえるだろうが、生活から得た数々のデータもそれに一役買ったのではないかと思う。

 ロボットになってから、僕はたくさんのことを学んだ。

 人間の温かさや、肌の質感、瞳のなかの光と、感情の揺れ動き。それから、地面の固さや、風が通り抜ける瞬間の音など、ここには書ききれないほど多くのことを知った。

 一方で、わからないことも増えた。

 人間を管理するはずの僕がアミリと一緒にルールを破っていること、そうかと思ったら突然彼女を危険にさらすような行動を起こしたこと。そして、彼女の精神状態に関係なく抱擁したこと。

 これからは、この謎を解明するために訓練を続けてはどうだろうか。より多くの学習を重ねることで、さらに物語の幅を広げることができそうだ。それに、日々の出来事を『思い出』として残し、何度も振り返ることで得られるものがあるかもしれない。

 そこまで考えたとき、突然、扉のドアノブが回転した。開錠されていないので扉は開かなかった。時刻を確認したが、帰ってくるにはまだ早い時間だ。

 扉の外に設置されたカメラをモニタリングした。

「……」

 見知らぬ人物の背中が斜め右上から見えた。

 その人物はどこから持ってきたのか、ドアノブに鍵を差し込んでねじっていた。ガチャガチャと目の前で音がして、あっという間に扉は開けられた。

「おや」

 僕を見て、その人物は声を出した。僕は彼を知っていた。

「打越アミリは一人暮らしだと伺っていたのですが」

 青年は僕を見据えながら、不自然な微笑みを浮かべて自己紹介をする。

「初めまして、僕はミチハルと申します。あなたは先日打越アミリの工場へ現れたロボットですね?」

「待ってください」

「申し訳ありません、すでに所有者へ映像を送りました」

 微笑みながら、青年は土足で部屋に足を踏み入れた。

「失礼しますね」

「止まってください」

「打越アミリがどうやってあなたを手に入れたのか、それからどうやってライセンスを取得したのかを所有者が知りたがっています」

「止まってください」

 僕と同じ背丈の青年は、鼻がぶつかるかどうかという距離で止まった。

「教えていただけますか?」

 普通のロボットは相手の顔に焦点が合わせられなくなるほど接近することはない。このミチハルという青年は、所有者の、あの工場長のもとで学習し、おそらくなんらかのカスタマイズを受けたからこのような行動をするのだろう。

「離れてください」

 僕は壁沿いに身体を逃がした。しかしほぼ同時にミチハルも動いて距離を維持し、どこまでも穏やかな口調で言った。

「あなたには質問に答える義務があります。答えないのならこちらにも起こすべき行動というものがありますが、いま答えておいた方がいいと思いますよ、と所有者が話しています」

「答えますので、離れてください」

 ミチハルが後退したので、僕は壁から背中を離した。そして、ゆっくりと前に二歩進む。相手も同じく二歩後ろに下がって距離を取る。

 僕の方が扉の近くにいる。

「どうぞ。お答えください」

 ミチハルが促した瞬間、僕は身体の向きを変えて扉の外に出た。

 向こうにどんな考えがあるのかは知らないが、アミリの身が危ぶまれた。とにかくいまは彼女のもとへ向かわなくては、と思った。

 階段を降りようとしたところで、ミチハルに捕まった。彼は僕の倍くらいの速度で移動することができた。

「逃げても無駄ですよ」

「離してください」

 僕は腕をつかむ青年の手を振りほどこうとした。

「抵抗するのですね」

 ミチハルは突然、僕の背後に回って首の近くの衣服をつかみ、ものすごいパワーで下に引っ張った。いとも簡単に衣服は縦に裂けた。

「許可は出ていますので」

 そう告げて、露出した背中の、主電源のスイッチに指をかけた。

「やめてください」

 背後で、ミチハルが言い放つ。

「あなたが答えないのなら打越アミリに答えてもらうだけです」

 そこで、視界が途絶えた。

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