第9話 抱擁

「いこう」

「はい」

 部屋の鍵を閉めて、アミリはアパートを出た。

 外には彼女と同じくらいの少年少女と、大人の男女が一定の速さで歩いている。彼らにまざって工場へ向かう。

「おはようございます、工場長」

「おはよう、アミリ。今日もいい笑顔だわ」

「ありがとうございます」

 とくに問題なく、今日の労働が始まった。

 実を言うと、僕は危惧していた。事実を語り終わって、胴体にしがみつくアミリを見つめながら、今後彼女がルールに従って生きるのをやめてしまう可能性を見出していたのだ。そうなると、僕はいよいよ彼女を守り切れなくなるが、心配は余計だったようだ。

「いただきます」

 最低限の栄養が詰め込まれた食料を口に運ぶ。

「ご飯、おいしかったね」

「うん、おいしかったね」

「午後も笑顔で頑張ろうね」

「うん、頑張ろう」

 労働は笑顔で、食事は静かに、互いを高めて、ルールを厳守する。ここにいる少女や女性たちは、物語を通してこういった大国の教えをすり込まれ、少しの疑問も持つことなく滅びた国のためにロボットを作り続けている。支配されたこの国ではアミリだけがその事実を知っている。

 それがどれほどの精神的負担となるのかを予測するのは難しいが、僕にはもっと、予測すべきことがあったはずだった。

 アミリはまもなく、作業中に倒れた。

 直前に血圧の低下が見られたことから、貧血だと思われる。

 僕の予測はここで途絶えた。なぜなら、アミリが卒倒したことで腕時計が床に当たり、その衝撃で破損してしまったからだ。

 一瞬の暗闇を経て、僕はアパートの部屋で目覚めた。自動的にロボットの方へ僕の知能が分散されたようだ。カメラ映像を取得すると、倒れたアミリを同僚が休憩室へ運び出しているところだった。当然のことだが、映像だけでは身体情報が入ってこない。

 僕はすぐに立ち上がって内側から鍵を開け、部屋を出た。アパートを出るまで誰とも会わなかった。

 閑散とした屋外で、再び工場のカメラ映像をモニタリングした。アミリは工場長が見守るなか、休憩室に並べられた椅子の上でぐったりしていた。

 僕は、初めて走った。そして、なんの躊躇いもなく彼女のいる工場の入り口をくぐって作業場へと続く階段を降りた。いつもカメラを通して見ていた場所に、自らの足を踏み入れた。

「なんですか、あなた」

 工場の地下に現れた僕を見て、工場長は驚きの声を出した。

「……」

 すぐそばで、アミリが横たわっている。駆けつけたものの、僕はどう取り繕うかなにも考えていなかった。どうしてこんな無謀なことを、と今更のように疑問に思った。

 言葉を発する前に、工場長は僕の両手を見て言った。

「あなた、ロボット?」

「はい」

 僕は応じる。相手の表情は変わらない。

「どなたのロボットですか? うちの工場になんの用で?」

「……」

「通報しますよ?」

 そのとき、アミリの身体が、びく、と動いた。

「……工場、長?」

 薄目を開けて、身体を起こす。

「アミリ、まだ寝てていいのよ」

 工場長が慌てて彼女を寝かせようとしたが、アミリは勢いよくそれを押しのけて僕を見た。

「ト……」

 言いかけて、口を手で覆う。

「ト?」

 すかさず工場長が言い、アミリに目を向けた。

「知り合い?」

「あ、いや……」

 言いよどむアミリと目を合わせながら、工場長の背で僕は小さく首を振った。それに気づいて、アミリはすぐに返事をした。

「し、知りません」

「じゃあ通報するわね」

「えっ……」

「『えっ』?」

 工場長は一度腕時計に下げた視線をアミリに向けた。その目は、鋭かった。

「やっぱり知り合いなのね?」

「違います」

「あなたいま『ト』って言ったわよね?」

「言ってません」

 工場長の目が急激に吊り上がった。

「私はあなたの上司よ、わかってる? 自分より身分が上の人に嘘をつくことはいけないことだって、学校で習ったでしょ?」

「習い、ました」

 明らかにアミリはひるんでいた。同じ口調のまま工場長は続ける。

「いまのは、特別に許してあげます。二回目は許さないからね。さあ、答えて。あなたとこのロボットは知り合いなの? 違うの?」

「……」

 顔をこわばらせたアミリと目が合った。僕に判断を仰いでいるのだろう。どうするべきか、僕の知能は全速力で試算をした。

「……あの」

 僕は、適切な口調を選択し、組み立てた文章を一気に放出した。

「すみません、申し遅れました。僕は、ごみ捨て場にごみを運ぶ作業用ロボットです。ある労働免除者の下で働いています。今日は、運び出してほしいものがあるとの依頼を受け、依頼主の方のもとに向かっていたつもりでしたが、どうやらGPSに不具合があったようです。

 その少女と僕の関係性ですが、彼女とはいつも出勤時にすれ違うのでお互いに顔を覚えていたのです。『ト』という発言はよくわかりませんが」

 工場長がなにかを言う前に、僕は言葉を続けた。

「それでは、本当の依頼主のところへいかなくてはならないので、僕はこれで失礼します。勝手に工場へ立ち入ってしまい、申し訳ありませんでした」

 ここで、深々と一礼。

「では、失礼します」

 固まっているアミリと一瞬だけ視線を合わせ、僕は背を向けて、休憩室から出ようとした。工場長はなにも言ってこなかったし、追ってくることもなかった。無事、屋外に出ることができた。

 すぐに工場内をモニタリングした。『なんだったのかしら』と工場長は首を傾げ『もう平気?』とアミリに顔を向けた。アミリは『はい』とすぐに立ち上がって作業場に戻っていった。

「……」

 僕は人間らしく歩行しながら、再び自分を疑った。

 なぜ、こんな危ないまねをしたのか。

 間一髪で乗り切れたからよかったものの、もし嘘が通用しなかったら、どうなっていたかわからない。

 アパートの部屋に戻った。コンクリートのひんやりとした壁に背中を預けて膝を抱える。考えるべきことがたくさんあった。

 昨日、僕はアミリにこの国の真実を教えるというルール違反をした。これまで、僕はたくさんのルールを破った。就寝時刻の延長を理由もなく許可したのを皮切りに、ごみ捨て場に立ち入ったアミリの違反行為を黙認し、ロボットを不正に改竄してアミリと暮らし、アミリの行動記録をサーバーに報告するときは監視カメラの記録を書き換えた。これらはアミリのために行ったものだ。

 先ほどの行為はどうだろう。

 来てほしいなどとは一言も言われなかった。

 僕は僕のために、この部屋を出てアミリのもとへ駆けつけたのではないか。彼女の身体情報を得るために、危険を顧みずに工場へ侵入したのではないか。

 なぜ?

「理解できない」

 初めて僕は、独り言というものをつぶやいた。

 アミリが帰ってくる時間になっても答えは導けなかった。

 夜になり、軋むような鈍い音を立てながら扉が開いた。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 彼女の姿を捉えるなり、僕はそばに近づいた。

「体調は大丈夫ですか」

「うん。ちょっと、くらっとしただけ」

 言いながらアミリはこちらを見た。

「それよりも、どうして工場に来たの」

 困惑しているような声色だった。僕はすぐに謝った。

「申し訳ありません」

「私はいいんだけど、工場長があなたのことを気にしていた」

「問い詰められましたか?」

 アミリは横に首を振った。

「そういうことはなかった。一人で考えているみたいだった」

「そうですか」

「それと、腕時計を修理に出すから外すわねって言われた」

 アミリは左手首を持ち上げてこちらに見せた。そこに腕時計はなく、黒くて細いウェアラブル端末が巻かれていた。

「これ、代用品だって。自動的に身体情報を読み取って、基本的なスケジュールを管理するみたい。人工知能が入ってないからカメラ映像での監視はできないけど、あなたを信用しているから渡すのよって言われた」

 ということは、当分アミリはスケジュールに縛られることになる。僕は、頭を下げて彼女に謝った。

「申し訳ありません。僕が正確に予測をしていれば、アミリが倒れることも、腕時計が壊れることも、工場へ押しかけて工場長に疑念を抱かせることもありませんでした」

「トウマは悪くないよ」

 アミリは前にもきいた言葉を言い、僕の手を握った。

「私、びっくりしたけど、嬉しかったんだよ」

「なにが嬉しかったのですか?」

「トウマが来てくれて嬉しかった」

「でも、僕が来たことで……」

「部品を見つめていたらね、」

 うつむきながらアミリは続けた。

「急に視界が暗くなって、脚に力が入らなくなって、気づいたら床に倒れてて、あまり痛くはなかったけど、だんだん意識が遠くなっていったの。わけがわからなくて、死んじゃうのかなって思った」

 顔を上げて、僕と目を合わせる。

「そのとき、トウマの顔が浮かんだの」

「僕の顔が?」

「うん。たぶん、死ぬかもしれないときに、トウマに会いたかったんだと思う」

 アミリは僕の目を見ながら、笑った。

「私、そのとき、トウマのこと大好きなんだって思った」

 その言葉に、僕は、即座に膝を落として、真正面からアミリを包み込んだ。

「トウマ?」

 どうしてだろう。

 アミリの不安を和らげるためでも、悲しみを癒すためでもない。僕は僕のために彼女を抱きしめていた。

 背中にアミリの腕が回って、僕にはない体温が伝わってくる。

 その直後に、二人の時間を終わらせるようにウェアラブル端末が振動した。

「お風呂いってくるね」

 身体を離して、アミリが急いで部屋を出ていった。

 腕時計が直るまでの間、夜の散歩ができないことを再確認して、僕はまた膝を抱えた。

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