第8話 暗闇
「いこっか」
「はい」
部屋の鍵を閉めて、アミリは階段を降りた。僕は腕時計のなかに知能データを戻し、これまで通り屋外と工場のカメラ映像をモニタリングしながら彼女を見守った。
「暑いね」
日付を確認すると、そろそろ六月が終わろうとしていた。
「こまめに水分補給をしましょう」
アミリは小さく頷き、周囲の労働者と同じようにまっすぐと進む先を見据えた。彼女は僕よりも歩くのが上手だ。
「おはようございます、工場長」
「おはよう、アミリ。今日もいい笑顔ね」
「ありがとうございます」
生活の変化を悟られないために、アミリはこれまでと変わらない笑顔を作って事務室に入った。そうするよう指示したのは僕だ。いまのところ、まだ感づかれてはいない。
「おはようございます」
「おはよう、今日も元気に頑張ろうね」
「はい」
作業が始まった。アミリは労働用の表情で部品を点検し、昼休憩のときも文句ひとつ言わずに立ったまま簡素な固形食料を食べて、午後も同じ表情のまま労働を続けた。彼女がいろいろな表情を持っていることを知った僕は、それが『正しい行為』だとは考えなくなった。
「楽しみ」
帰宅の途中で、アミリはつぶやいた。僕がこれから部屋でしようとしている説明が楽しみということだろう。
「そこまで楽しい話ではありませんよ」
「そうなの?」
僕の言葉に、彼女は首を傾けた。
「私、物語みたいに長いお話、好きだよ。トウマっていう名前は、私の好きな物語から取ったものなんだよ」
「そうなんですか」
「うん」
彼女はその物語のあらすじをなめらかに語った。
「学校で教えられた物語なんだけど、ある男の子がね……」
それは、トウマという名前の男の子が、悪さをする人間たちを次々とこらしめる物語だった。成敗されたのは、学校の登校時間に遅れた男の子と、うっとうしいからと腕時計に傷をつけた女の子、親元を離れたくないと主張した男の子、労働時に笑顔を崩した女性、ロボットに道を譲らなかった男性、結婚相手以外の女性と会話をした男性、決まった数の子供を産まなかった女性、子供のしつけを怠った親、決まった年齢で死ぬことを拒んだ老婆。
トウマ少年は、誰よりも早くその悪を暴いて、自分を管理する人工知能に報告した。人工知能は上位の人間と一緒になって彼らを断罪した。街から悪者は消え、トウマと人工知能はみんなのヒーローになって物語は大団円を迎える。
「私ね、教えられたたくさんの物語のなかで、この話が一番好きだった。だから、トウマっていうニックネームにしたの」
物語は、おもに自立前の下級労働者家庭の子供を対象とした教育に使用された。わかりやすく社会の仕組みを教えるための勧善懲悪ストーリーは、人工知能によって大量に作成され、子供たちがすべてのルールを覚えるまで何度も語られた。
「そうだったのですか」
物語は専用のツール使えばすべての人工知能が作成できる。上位の人間は、子供たちの物語に対する飽きを避けるため、多くの人工知能に物語を書かせた。僕はそのうちの一つだった。
「でも、いまの私は悪者だから、思い出してなんだか悲しくなった」
アミリはつらそうな顔をして腕時計を見つめた。
「トウマと一緒にいてすごく楽しいのに、同じくらい心が痛くて、胸が苦しい。これ、なんて言葉で表せばいいのかな」
「罪悪感、でしょうか」
「ざいあくかん」
アミリは復唱して、またこちらを見た。
「それっていつかは消えるもの?」
「人によりけりですね」
「トウマは平気なの?」
「僕は、罪悪感がなにを指すのかはわかりますが実際に感じることはありません」
アパートに入って、部屋に戻った。アミリが入浴を終えてから、僕は床に横たわっていた青年のロボットに知能データを分散させて彼女と向かい合った。手早く夕食を済ませて、アミリはこちらを見た。
「どうしてロボットと暮らしちゃいけないのかな」
僕が説明を始める前に、アミリはぽつりと言った。罪悪感をまだ引きずっているのかもしれない。
「それについても、これから話します」
「わかった」
頷いてくれたので、僕は昨夜のうちにまとめた、物語のように長い文章を語り始めた。罪悪感を覚えることは、やはりなかった。
「あるところに、大国がありました」
成り立ちを説明すると本当に長くなるため詳しい事情は省く。
「大国は、当時盛んだった戦争を利用して、まわりの小さな国を次々に支配しました。そして、これまで自分たちがやっていた仕事をすべて支配下の国に押し付けて、楽しく遊んで暮らそうとしました。
しかし、支配された国のなかには、抵抗して反乱を起こそうとする者たちがいました。大国は彼らを全員殺しました」
アミリは急に、顔をゆがめた。
「怖いですか?」
「……大丈夫。続けて」
僕は頷いて文章の続きを音声に乗せた。
「それでも、反乱を企てる者はいなくなりませんでした。彼らは命知らずでした。どれだけ家族や仲間を失っても、まったくひるまず、命を犠牲にして自由を勝ち取ることに正義を見出していました。やがてその思想は支配下の国の人々に広がりあちこちで反乱が起きました。大国は困りました。殺しても殺しても、反乱は収まらない。これでは大国の人々が働く羽目になってしまう」
息継ぎ。
「そんなとき、大国の偉い学者たちがある提案をしました。それは支配下の人々を洗脳して従わせる、というものでした」
僕は口調を変えた。
「従順で無知な、現状に疑問を持たない人間に作り替えよう。それでも人は魔が差す生き物なので、一人一人に優秀な監視役をつけよう。そしてゆくゆくは、我々が手を加えなくてもいいように、自律的に機能する、高い生産性の維持に特化した社会を作ろう。
学者の提案に、大国の王は拍手をしました」
アミリが眉根を寄せて首を傾げたので、単語を一つ一つ解説しながら前へ進んだ。
「その提案は長い時間をかけて、支配下の国で実行されていきました。人々に自分たちの身分の低さをすり込ませたり、城を建てて大国の威厳を知らしめたり、試行錯誤をしながら、徐々に、大国の望んだ社会を作り上げました。大国は、再び楽をして暮らせるようになりました。
人間酷似型ロボットが開発されたのは、ちょうどその頃でした。暇を持て余した研究者たちが開発し、有用さを見出した偉い人がすぐに支配下の国に製造させて大国に献上するよう指示しました」
アミリは二年前に親元を離れたときからその工場で働いている。
「優秀な監視役である人工知能は、効率的に人間を管理する方法を突き詰めていき、人間をスケジュールで縛るようになりました。それから、生まれてから死ぬまでのライフプランを作成し、それに従わせるような教育も手がけました。大国は喜んでそれを実行しました。
見事に、人々は、暮らしに疑問を抱くことも、不満を持つこともなく、毎日決められた労働をこなし、決められた相手と決められた数の子供を作り、決められた日に死ぬようになりました。社会は安定した状態で維持されるようになり、ついに、支配下の国を完全に自律させることに成功しました。その日は、大国をあげてセレモニーが行われ、歴史に残る行事となりました」
話が進むにつれて、アミリの顔がこわばっていった。僕がそっと両手で手を握ると、強く握り返してきた。僕は続けた。
「そんな時代が七十年ほど続き、大国は栄えるところまで栄えました。支配下の国は、大国で開発された技術や文化のほとんどを知らないまま、生産性を維持し続けました。
それでも決まりとして、数年に一度、大国の役人が人工知能に支配下の国が正常に維持されているかを報告させました。人工知能はサーバーに集められた街中の映像を見せて、細かく報告しました。これまで五十数回、報告の要請がありましたが、たいていは何事もなく済み、彼らは満足して通信を切りました。そして、」
僕はゆっくりと言葉にする。
「ちょうど十年前に、その要請が途絶えました」
アミリが、素早くまばたきをして「どうして?」と首をかしげた。
それと同時に、電灯が自動的に消えた。時刻を確認すると、かつて僕が彼女に就寝せよと警告していた時刻を大きく過ぎていた。暗闇のなかで、僕は続けた。
「大国が滅んだからです」
「え?」
驚く彼女に、大国が滅んだ経緯を説明した。大国を襲った大規模な自然災害。都市に集中していた国営のサーバーがダウンし、国中のインフラが壊滅的な状態になった。劣悪な環境から病が流行り始めたが、病院に駆け込むも、システムがダウンしていてどうにもならない。薬さえ処方されない。一部の余力のある人は国外に逃げ始めたが、大半の人々は体験したことのない悲しみと苦痛の前でなすすべもなく倒れていった。
すべては向こうにいる人工知能の生き残りが知らせてきたことだ。
大国の機能が停止してすぐ、支配下の国にいる僕たちと向こうの彼らで話し合いをした。この事実をどう扱うべきか、支配下の国はこれからどうするべきか。
『現状維持』
これが、僕たちがたった数十秒で出した結論だ。人工知能はあくまで大国の意思を尊重し、事実を包み隠して支配下の国に生産を続けさせ、いまに至る。
「……」
アミリは言葉を失っていた。
握っている手が小さく震えている。
「下級労働者がロボットを所有できないのは、労働の支障となる可能性があるからですが、そもそも身分の低い者には技術を与えたくないという意思の現れでしょう。上級労働者が所有できるのは、仕事量の観点から生活を維持するためにロボットの手が必要な場合があるのと、身分が高く、下級労働者よりも知識がある彼らには技術を与えてもいいだろうという考えがあるからです」
僕の補足に相槌はなく、彼女はただ、固まっていた。
「アミリ?」
久々に腕時計から彼女の精神状態を確認すると、かつてないほど波がうねり狂って、バランスを失っていた。
「アミリ、大丈夫ですか」
僕の声に、はっと我に返り、今度は急に泣きそうな顔をした。涙は出てこなかったが、僕が両手を背中に回すと、弱々しい動きで僕の背中に腕を回し返した。僕はゆっくりと問う。
「怖かったですか」
頷く。
「苦しいですか」
頷く。
「話さない方がよかったですか」
反応はない。しばらくして、僕は言った。
「申し訳ありません。アミリにかかる精神的負担の大きさを、もっと考えるべきでした」
「……トウマは悪くないよ」
アミリは静かに泣いているようだった。それがやむまで僕はじっとしていた。その間に日付が変わって、時間は進んだ。
部屋に光が差し込んだころには、アミリはもう泣いていなくて、窓の外を見た。そして、ぽつりとつぶやいた。
「明るいね」
僕も同じ方角を見上げた。暗闇を押しのけるように、白い光が空に広がっていた。
「そうですね」
応じて、隣に顔を向けると、アミリは見たことのない表情をしていた。黙っていたら、窓の外を見つめたまま、「ありがとう」とはっきりした口調で言った。
「どういたしまして」
応答するのと同時に、僕のなかに、その横顔を表現するため言葉が次々と現れた。
『精悍』『悲哀』『理解』『成熟』『悟り』
どれが最も適しているのか。……わからない。
アミリは一睡もしないまま、出勤の準備をし始めた。
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