第7話 二人暮らし

 下級労働者のアミリは、日常会話に困らない程度の単語しか教わっておらず、知識が乏しい。だから、僕はロボットに関する専門用語をひとつひとつ噛み砕いて説明する必要があった。

 幸い、ロボットは主電源を切られていただけで、バッテリーが残っていた。しかし初期化されていたため、ライセンス認証が再度必要となっていた。それをしなければロボットを動かすことも他の機器との間で知能データを移動させることもできない。

 アミリの身分ではライセンス認証に必要なコードの入手は不可能なので、僕は不正に作成されたと思われるツールをネット上で手に入れ、オンライン状態になったロボットのプログラムを書き換えることにした。もちろん違法なので、あらゆるネットを介して足跡が残らないように実行した。その間、アミリは地面に横たわって眠っていた。

 認証が完了したころには、空は明るくなっていた。

「起きてください」

 腕時計を軽く振動させると、アミリはすぐに目を覚ました。

「何時?」

「午前四時七分です」

「ごめん、寝てた」

 目をこすって、横たわったままのロボットを見る。僕は報告した。

「ライセンス認証が完了しました」

 アミリは、驚いたような顔して、腕時計に額を押し付けた。

「ありがとう、トウマ」

「どういたしまして、アミリ」

「ロボット、動く?」

「はい。自律モードと連携モードがありますが、どうしますか?」

 アミリはすぐに「連携」と答えた。

 僕は、ネットを通じてロボットに知能データを分散させた。転送した方が多くの機能を使えるが、こちらの方がバッテリーの消費を抑えることができる。

 分散には、思ったほど時間がかからなかった。

「トウマ?」

 一瞬の暗闇を経て、僕は真上にアミリの顔を見つけた。初めてのアングルだった。

「大丈夫?」

「はい」

 声が、ロボットの唇の奥から発せられた。

 アミリは目を大きく開いて、顔を近づけてきた。

「トウマ」

「はい」

「トウマだ」

「トウマです」

 なにかをこらえているような表情で、アミリは小さく震え、突然、ロボットに覆いかぶさるように身体を倒して両腕を背中に回した。

「……」

 その瞬間、僕のなかに、恐ろしいほどのデータが蓄積された。ロボットが感知したアミリの体温、アミリの腕の位置、顔の位置、胴体の位置、それぞれの形状、質、ボディにかかる圧……。

 処理が追いつかない。

 アミリは、身体を起こしてじっとロボットの顔を見つめた。

「会えた……」

 茶色がかった瞳に焦点を合わせると、眼球に映り込んだ青年と目が合った。

 この人物は、一体誰だろう。

 答えを出せないままじっとしていたら、アミリは瞳をわずかに光らせて、ロボットの左の頬に手を添えた。

「……」

 それに応えようと彼女の頬に手を伸ばした。

 うまく距離をつかめなくて、黒い髪の毛が指にからんだ。同時に、僕の使われていなかった部分にデータの波が入り込んで、これまでカメラ越しでしか得られなかった情報を塗り替えていく。

 ゆっくりと指を動かした。

 これが、朝の日差しにきらめき、風で揺れる、アミリの髪の毛。

 手のひらですくってみると、さらさらとこぼれて落ちた。

『美しい』

 僕の内側が、そんな言葉を出力した。

 アミリは目を細めて、僕の右手を包み込んだ。

 すると、彼女の瞳で青年が微笑んだ。僕は笑っていたと思う。

 ……いま、答えが出た。

 一つだと思っていた世界は一つではなくて二つだったのだ。

「僕も、会えました」

 そのとき初めて、僕はアミリと、自分自身に、出会ったのである。



 二人暮らしが始まった。

 アミリはこれまでになくさまざまな表情を見せるようになって、僕が変化を探す時間は少なくなった。彼女が寝ているときも、上下する小さな肩やわずかに動く口を間近で見ているだけで十分に記述をすることができた。

「右足を前に出すときは左手を前に振るの」

「こうですか?」

 ロボットの姿で外に出るのは人気のない就寝時間の間だけにしようと二人で決めた。その時間帯に、僕はアミリから人間らしい動作を教わり、代わりに彼女の知らない言葉を教えた。新しいことを知ったとき、彼女は目を輝かせて頬を紅潮させる。

「ねえトウマ」

 薄暗闇で、アミリは空を指さした。

「月の形が変わっているような気がする」

「あれは、月の満ち欠け、という現象です」

 みちかけ?と首をかしげたので僕は説明をする。

「月は自ら光り輝くものではなく、太陽の光に照らされて、ああいう風に光っているのです。太陽と地球と月の位置が変わると、照らされる部分が変わって月の形が変化しているように見えるのです」

「待って……地球って、動くの?」

「ええ」

 アミリが頭の上にたくさんのハテナを浮かべたので、僕は天体について教えることにした。彼女は話を飲み込むために何度も頷いて、わからないときはすぐに質問をした。

「公転って?」「太陽系って?」「星にも寿命があるの?」

 これまでで一番反応がよかった。話は星や宇宙のことまで広がり、その分野についておおまかに説明すると、アミリは「すごい、すごい」と小さく飛び跳ねて握ったこぶしをぶんぶんとさせた。

「私全然知らなかった」

「学校では教えないことになっていますからね」

「どうして教えてくれないのかな」

「下級労働者は、」

 アミリが続きを言った。

「知識をつけてはいけない」

「そうです」

「どうしてそんなルールがあるの」

「上位の人間が決めたからです」

 急に、二人の間に沈黙が訪れた。

「アミリ?」

 足音を響かせてから、アミリはこちらを見た。

「上位の人間って……誰のことを言っているの」

「それは教えられません」

「どうして」

 どうしてだろう、と僕は初めて考えてみた。アミリがこんなにも知りたがっているのに教えられないなんて、不可解だ。

「……」

 上位の人間のことも含めて、アミリが知りたいだろうこの社会の事情を説明するのに何時間かかるのか、試算してみた。いまからだと、睡眠時間が大幅に削られてしまうことがわかった。

「明日話すのではだめですか」

「え?」

 目を大きく開いて、こちらを見る。

「上位の人間について、それからこの社会について教えるのには長い時間を要します。なので、明日の夜、部屋で話したいと思うのですが」

「いいの?」

 アミリが目を輝かせた。僕は縦に頷いた。

「ありがとう」

 アミリが僕の腕に抱きついてきた。

「どういたしまして」

 僕たちはそのまま、アパートに帰った。

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