第6話 ごみ山

 今日の日付は、と記述したいところだが指摘を受けたので控えよう。時系列が複雑になったら再度記述することにする。

「おはよう、トウマ」

「おはよう、アミリ」

 名前をつけてから、アミリは挨拶のたびに「トウマ」と呼ぶようになり、それに呼応して僕も「アミリ」と呼ぶようになった。アパートを出て工場に向かうまで、とくに変わったことはなかった。昨日と同じ歩幅で、周囲の顔ぶれも、乗用車が道路を横切る時刻も同じだった。スケジュールが確実に遂行されている証しだ。

 大変良い傾向ではあるが、実は、同じ描写を繰り返すなと指摘を受けてからというもの僕は困っている。なにか変化を探しても、アミリを含め、労働者はスケジュールが決められているので自由に動くことができない。動いたらルール違反となり腕時計が振動して警告する。やめなければ上級労働者が、それでもだめならさらに上位の人間またはロボットがその人を処罰する。そういう仕組みが出来上がってしまっている。

「おはようございます、工場長」

「おはよう、アミリ。あら、なにかいいことでもあった?」

「え?」

 突然質問され、アミリは足を止めた。工場長は表情を変えないまま、「なんだか嬉しそうな顔だったから」と付け足して、アミリの返答を待った。

「……そういえば」

 少し黙ったあと、アミリは口を開いた。

「昨日、トウマに名前を呼ばれました」

「トウマ?」

 工場長が首をかしげる。

「あなた、一人暮らしよね?」

「はい。トウマは、この腕時計の名前です」

「ニックネームってことか」

「はい」

 頷くと、安心したように肩を落とした。

「びっくりした。結婚にはまだ早いし、誰かと思った」

 アミリは慌てて頭を下げた。

「驚かせてしまって、申し訳ありません」

「いいのよ、私が勘違いしただけだから」

 更衣室にいってもいいと手で示したので、アミリは軽くお辞儀をしてから扉を開けた。なかにはいつもの先輩がいた。

「おはようございます」

「おはよう、今日も元気に頑張ろうね」

「はい」

 先輩がアミリの変化に気づくことはなかった。正直、彼女を管理している僕にもわからなかった。

 作業服のアミリがベルトコンベアーの横に立った。さまざまな角度から彼女を眺めて、身体情報を更新する。いたって正常だった。

 更新をやめて記述すべきことを探し始めた。動きがないまま数十分が経過したとき、この訓練はあまり効果が見込めないだろうという予測結果がはじき出された。

 しかし、僕は記述を続けることにした。スケジュール通りの毎日にも、気づかないだけで些細な変化はあるかもしれないと、先ほどの工場長の言葉をきいて判断したからだ。

「ねえ」

 彼女が僕に声をかけたのは、労働を終え、帰宅途中の労働者にまざっててきぱきと歩いているときだった。

「なんでしょうか」

「ロボット、いる?」

 会話記録をさかのぼって言葉を解釈した。

「いま、このあたりで活動している人間酷似型ロボットはいるか、ということですか?」

 こくりと頷いたので、周辺情報にアクセスした。

「ここから半径五キロ圏内で、六体のロボットが活動しています。ただし、確認できたのはオンライン状態のロボットだけです」

「いま、いる?」

「ここから目視できる位置にいるか、ということですか?」

 再びこくりと頷いたので、すぐに報告した。

「いません。周囲にいるのは全員人間です」

「……そう」

 声のトーンが少し下がった。

「ロボットを見たいのですか?」

「うん」

 アミリは続けた。

「私、ロボットがほしい」

 それをきいて、僕はすぐにたしなめた。

「下級労働者にロボットを所有する権利はありません」

「わかってる」

「ルールを破るとどうなるのか学校で習いましたよね?」

「習った」

 アパートに戻って、部屋に入るまで沈黙が続いた。夕食を終えたあとで、アミリはまたぽつりと言葉を発した。

「……不思議」

「なにが不思議なのですか?」

 腕時計を見下げた顔は無表情に近かった。

「半径五キロって、結構広い、よね? 工場で作られたロボットたちは、どこにいるの?」

「……」

 これまで、彼女がこうした疑問を持つことなどなかった。

 まさに変化だ、と僕は思った。

「それは教えられません」

 ルールに従って、返答した。

「どうして?」

「教えてはいけないという規則があるからです」

「どうして?」

「下級労働者は必要以上に知識をつけてはいけないとされているからです」

 僕には、腕時計を装着している者がルールに反しないように監視し、労働に支障が出ないように管理するという使命がある。だから、彼女の疑問を晴らすことはできない。

「トウマ」

 追及をやめて、アミリは僕の名前を呼んだ。

「なんでしょうか、アミリ」

 彼女は、懇願するような顔で腕時計を見た。

「私、あなたに会いたい」

 就寝時間が迫っているという警告が、僕のなかに出現した。僕は、腕時計を振動させなければいけなかった。

「どういうことですか?」

 しかし、腕時計は振動しなかった。僕は警告をせき止めていた。

 アミリは続けた。

「身体のあるトウマに会いたい」

「ロボットに知能データを転送または分散させた状態の腕時計型情報端末に対面したいということですか?」

 小さく首を振って言葉を繰り返した。

「トウマに会いたい」

「……」

 理解が追いつかない。

 アミリの言わんとしていることもわからないし、僕が彼女に警告をしないこともわからない。前にもこんなことがあったが、あのとき、とくに異常はないとされた。

 ……わからない。

「下級労働者にロボットを所有する権利はありません」

 もう一度たしなめたが、彼女は引き下がらなかった。

「私、いってくる」

 急に立ち上がると、部屋を飛び出して、階段を駆け下りた。すでに消灯したアパート内は真っ暗だったが、壁を触りながら進んだ。出口に鍵はかかっていなかった。

 静まり返った夜の道を、アミリはどこかに向かって走った。古びた街灯の光は弱く、あまり意味をなしていないが、迷うことなく彼女は走り続けた。就寝時間に屋外へ出るという立派なルール違反を犯しているというのに、僕は黙ってカメラの映像を切り替えながら彼女を追った。

 ある地点で、アミリは足を止めた。大きく肩を揺らして、背中を丸める。少しの間だけそうして、息が完全に整う前に、顔を上げた。

 目線の先には、ごみの山があった。

「アミリ」

 呼び止めようとしたが、遅かった。アミリはずかずかと仕切りのないごみ捨て場に立ち入って、ごみ山を登り始めた。

「危険です、戻ってください」

 腕時計から注意しても、止まることはなかった。プラスチックや金属の破片に足を取られそうになりながらも、どんどん上へ登っていった。

「アミリ、戻りなさい」

 口調を強めたが、応答はない。黙々と登り続け、数分後にやっと、山の中腹辺りで彼女は足を止めた。今度はそこから頭を動かして、なにかを探すかのように周りを見渡した。そして、ある一点で視線を固定して再び動き出した。

 ゆく先には、白い腕があった。

「よいしょ」

 アミリは、他のごみに挟まっているそれを、両手で引っ張り、引きずり出そうとした。しかし、周りのごみがぱらぱらと崩れるだけですぐには取り出せなかった。

「よいしょっ」

 何度目かの掛け声で、腕に続く胴体の部分が見えた。と、思ったらそれにのしかかっていた木材が大きく崩れ、アミリはバランスを失いずるずると山を滑り落ちていった。

「アミリ」

「……大丈夫」

 彼女はごみ捨て場の地面で身体を起こし、黒く汚れた服を手で払った。そして、右の方へ、顔を向けた。

「こっちも、大丈夫」

 彼女の横には、一緒に山を滑り落ちた、人間酷似型ロボットが横たわっていた。衣類を身にまとっていないため身体の形がよく見えた。身体も顔も、明らかに男性型のもので、表面を見る限りとくに損傷はなかった。

 アミリは再びごみ山に近づいて、衣類をいくつか拝借し、ロボットに着せた。

「よし」

 それが完了すると、立ち上がり、ロボットを見降ろした。アミリとロボットは、しばらく固まっていた。

「……あれ?」

 数秒後、アミリは声を出して、ロボットを触った。

「動かない」

「バッテリーが切れている可能性があります」

「ばってりー?」

「ロボットを動かすためのエネルギーです」

「どうしたらいいの?」

 僕は、計算をした。

「あと三四年働けば、交換用のバッテリーを購入できます」

「三四年?」

 アミリはぽかんと口を開けた。

「他に方法はないの?」

「ここから二キロ離れたところに修理センターがありますが、下級労働者は利用できません」

「自分で修理しちゃだめなの?」

 いつかのように、懇願するような顔でアミリは言う。

「トウマが教えてくれればできると思う」

「……」

 考えつかなかった提案に、僕は適切な返答を選ぼうとした。

「教えて」

 彼女は、腕時計の表面に額を押し付けて、膝を落とした。

「お願いします」

 僕はどうすべきなのか。

「教えてください」

 声がわずかに震えている。

「……アミリ」

 僕は、彼女の名前を呼んだ。そして、

「……まず、ロボットの型式番号を確認してください」

 人間酷似型ロボットの起動方法を検索した。

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