第150話 手をつなぐ催眠
パァン
「先輩、これはその……少し恥ずかしいです……」
「……はい?」
後輩の詩音の言葉に耳を疑って、俺は隣を歩く詩音の方を見る。詩音は頬を赤くしながら俯いていた。いや、これまでどんな催眠をやってきたと思ってるんだ。これは——
「ただの『手をつなぐ催眠』だぞ?」
「手を繋いで外を歩くのと、家の中で手を繋ぐのとでは全然話が違うんですよ!」
気色ばんだ詩音が噛み付くように言う。
「先輩、やっぱり催眠解いてください。こんなところ誰かに見られたら——」
「別に見られて困る相手なんて——」
「詩音?」
正面から聞こえた声に固まって、言葉が途切れる。
「あ、彩芽、違うのこれは先輩が——」
詩音が両手をぶんぶんと振りながら、声の主、皐月彩芽に言い訳をする。手を繋いだままなので、ついでに俺の手も振られている。俺は内心冷や汗をかいていた。詩音のこの過保護な親友は、催眠を使って街中で羞恥プレイをしている時に出くわすには最悪な相手だ。皐月は不審そうなジト目で近づいてきて、目を泳がせている詩音のすぐ目の前で立ち止まる。そして、素早い動きで詩音の空いている手を掴んだ。
「あ、彩芽?」
戸惑いの声を上げる詩音に、皐月はにっこりと笑うと、俺に向かって剣呑な視線を送った。表情には感情が複雑に入り混じっていて、ひとことでは言い表せない。怒り、嫉妬、挑発、嘲笑——
「『催眠術を使わないと詩音に手も繋いでもらえないなんて、先輩は可哀想ですね』か?」
「まあすごい。催眠術を使える人って心を読むのも上手なんですか?」
「私を挟んで通じ合うのやめてもらえませんか!?」
詩音が叫んで、俺は頭を抱えた。どうやら皐月は手を離すつもりはないらしい。とはいえ俺から離すのも負けを認めたみたいで癪だ。コイツには負けたくない。
「あ、師匠!何やってるんですか?」
膠着状態を破る声に、俺は更なる事態の悪化を確信した。
「あ、秋山……」
「言わないでください。分かりますから」
うんうんと頷きながら秋山が歩いてくる。半ば無理矢理俺の弟子になった彼は、素直だが馬鹿である。絶対何も分かってない。
「そういうタイプの催眠の修行ですね!分かるっす!」
そう言って秋山は俺の空いている手を掴んだ。
「やっぱり全然分かってねえ!?」
くそ、運動部の握力強い。
「秋山くん?」
「ひまわりちゃん!?」
不思議そうに声をかけてきたのは、確か秋山の想い人だ。秋山は彼女に催眠をかけたくて俺に弟子入りしてきたはず。——秋山、なぜ手を離さない。ひまわりさんは秋山が俺と繋いでいる手を見ると、息を呑んだ。それから肩を怒らせながら歩いてきて、秋山の手を握った。そして俺を『負けないぞ』とばかりに睨む。
「……ひまわり、さん?前から君は何か大きな勘違いをしてるみたいだから、こんどゆっくり話がしたいかな」
「「先輩、なんで名前呼びなんですか?」」
両手にかかる握力が一気に強くなる。
「名字を知らないからだね!!」
「あれ?柊木くん、何してるの?」
その声に、一瞬現状を完全に忘れた。今日一番の動悸を抑えながら、恐る恐る顔をあげて声の主をみると、詩音より4サイズくらい大きい胸と、ふんわりとウェーブのかかったロングヘア、それから、優しそうだけれど何かを企んでいそうな笑顔が見えた。
「古川先輩!?!?」
((((誰?))))
大量に飛び交う疑問符を気に留めた様子もなく、にこにこと笑いながら古川先輩が歩いてくる。そこで我に返った詩音がはっとしたように言った。
「あっ!本編とは全く関係ない世界線の番外編に名前だけ出てきたレアキャラが、なんでこんなところにいるんですか!」
「ふむふむ、なるほど。そういうことね——」
古川先輩は詩音に構わずに、少し前屈みになりながら俺と、俺と詩音が繋いでいる手をまじまじと見つめた。それから
「えい」
そう言って、胸の高さで手を叩く。全員が一瞬目をつぶった後、気がつくと古川先輩は俺と秋山の間で手を繋いでいた。
「先輩!?何してるんですか!?」
俺が叫ぶと、古川先輩はいたずらっぽく笑って言った。
「だって、あんなに可愛かった後輩が、こんな可愛い彼女を作ってるなんて。さすがの先輩でも、ちょっと嫉妬しちゃうでしょ?」
「何してるんですか先輩!そんな人の手なんて、早く離してください!」
ヒートアップした声で詩音が言う。俺は沈痛な面持ちでうつむきながら言った。
「詩音……ごめん……」
「なにを謝ってるんですか?何を謝ってるんですか!?」
そう言われても、俺ではどうにもできないのだ。詩音は頭を抱えて叫んだ。
「ああもう!なんなんですかこれは!どう考えてもおかしいじゃないですか!」
「ああ、ほんとうに、おかしな話だ」
——
次回 最終話
『醒めるにはあまりに惜しい夢でした』
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