第146話 寝かしつけ処催眠

 パァン


「……『寝かしつけ処』?」


 不信感を込めた視線を後輩の詩音に向けながら、俺は聞き返す。


「可愛い女の人が男の人を癒して心地良い眠りを提供してくれるお店ですね。まあ、フィクションですが」

「毎度毎度そういうネタをどこから仕入れてくるんだか……」


 額を押さえながらため息を吐く俺に、詩音はキョトンとした顔で訊ねる。


「先輩?『そういうネタ』ってどういう意味ですか?寝かしつけ処はあくまで『寝かしつけ』のお店で、いかがわしいことなんて何ひとつないですよ?」

「どうだかな」


 俺が眉間に皺を寄せていると、詩音は前屈みになって俺の顔を覗き込むようにして言った。


「先輩。先輩のそれって、いかがわしいことを警戒してるんですか?それとも——いかがわしいことを期待してるんですか?」

「前者だ前者!!」


 噛み付くように俺が言うと、詩音が小さく噴き出す。


「はいはい、分かりましたよ。先輩のえっち」

「何を分かったんだ!?」

「えっちなことばっかり考えてないで、早くこっちに来てください。せっかく可愛い後輩が癒してあげようというんですから、ありがたく受け止めるものですよ」


 まだ納得はいかないけれど、話が進みそうにないから俺は頬を膨らませたまま立ち上がって、詩音と一緒にベッドに座る。


「じゃあ、まずはハンドマッサージからやっていきますね。先輩、手を出してください」


 俺は詩音に言われるがまま右手を差し出す。詩音はその手を手のひらを上にするように取ると、両手の親指を使って丁寧にほぐし始める。


「手にはいろんなツボがあったりしますからね」


 そう言いながら、真剣な面持ちで揉みほぐす。手のひら、指、手首から上腕まで。


「はい、先輩。同じように左手もやっていきますね」


 そう言って詩音は俺の右手を太ももに置いて、左手を取った。細い指先から心地良い圧迫感を感じながら、静かな時間がゆっくりと流れる。


「はい、これで左手も終わりです。先輩、だいぶほぐれてきましたね」

「そんなことも分かるのか」


 俺が少し驚いて言うと、詩音は笑顔で答えた。


「はい。だって、先輩の眉間の皺もずいぶん薄くなってますから」

「判断基準そこかよ……」

「ああもう。せっかくいい感じに緩んできたのに、また皺作らないでくださいよ」


 咎めるようにそう言った後、詩音は軽く咳払いをして、気を取り直してといった雰囲気で言った。


「じゃあ、次は肩とか背中のマッサージをしますから、先輩はうつ伏せになっていてください」



 そう言われて俺は、枕に顔を埋めるようにしてうつ伏せになった。それから俺の上に詩音が体重を乗せる。


「お尻の感触を味わおうと集中したりしちゃだめですよ?何よりもまず先輩がリラックスしてくれないと」

「そういうこと言わなきゃもっとリラックスできるんだが!?」

「ほーら。興奮しないでください。深呼吸でもして落ち着いてください」


 嗜めるようにそう言って、詩音は肩を揉み始める。まだちょっと納得がいかないところがあるのだけれど、肩のコリを解されて、自然と目を細めてしまう。


「ハンドマッサージもそうですけど、オイルとかあればもっと本格的に出来るんですかね」


 世間話をするような口調で詩音が言う。


「そうかもな」

「せっかくなんだから、マッサージオイルでも用意してれば良かったですね〜。あと、耳かきとか」

「別に、また今度やる時に準備すればいいんじゃないか?」

「まあ、それもそうですね」


 そんなことを言いながら、詩音の手のひらが俺の肩甲骨の周りを押しほぐす。


「さて、ほぐすのはこのあたりにして、おやすみの時間にしましょうか」


 そう言って詩音は俺の身体から降りる。それから足元にあった毛布と掛け布団を肩の高さまで引っ張りあげて、俺と一緒に布団に入る。


「先輩、こっちを向いてください」


 詩音にそう言われて、うつ伏せから寝返りを打って横向きの体勢になる。


「ぎゅーーー」


 詩音はそう言いながら俺の頭を抱えるように抱いて、俺の顔を胸に押し付けた。


「!?」

「心臓の音を聞いてると、リラックス出来るっていいますよね。先輩が眠るまでずっとこうしててあげますから、先輩は安心して眠っていいですよ」


 そう言って詩音は抱きしめた俺の頭を撫でて、背中をさする。そんなことをされながら、俺は心の中でほくそ笑んでいた。


(かかったな)


 さっきは『ネタをどこから仕込んできたんだか』と言ったけれど、この『寝かしつけ処』については、俺が催眠状態の詩音に刷り込んだものだ。そして刷り込んだ内容の中には『寝かしつけ処では寝かしつけた相手が眠っている間はどんなエッチなことをしても構わない』というものもある。つまりこのまま寝たふりをすれば、ノーブレーキで好きなだけエッチなことをする詩音の姿が見られるということだ。


「先輩、お布団があったかくて気持ちいいですね。ふわふわ、ふわふわ、気持ちいい。先輩の体温が布団を温める。体温と一緒に、意識がふわ〜っと広がっていく——」


 ぎゅっと抱きしめながら詩音が耳元で囁く。俺は目を閉じて、寝息のような息を立てる。このまま寝たふりをしていれば。寝たフリ。寝た——

——


(〜〜っ!やっちまった〜!)


 俺は布団の中で奥歯を噛み締めた。いつのまにか意識を失っていて、気がついたら部屋にはもう朝日が差し込んでいた。本格的な睡眠導入を使われるのは計算外だったのだ。


「あ、先輩起きました?ぐっすり寝てましたね〜」


 そんな俺の顔を覗き込んで詩音が少し嬉しそうな声色で言う。俺は少し上目遣いになりながら、詩音に訊ねた。


「俺が寝てる間に、何かエッチなことでもした?」


 その問いかけに詩音は、キョトンとした顔で答えた。


「いえ?だから、『寝かしつけ処』は健全なお店だって言ってるじゃないですか」

「じゃあなんで寝る前に俺が着てたパジャマを詩音が着てて俺が裸になってるのかな!?」


 これでエッチなことはしてないだなんて無理があるだろう。くそ、見逃した。俺の問いかけに詩音は、両手を上にあげて棒読みで言った。


「うわー。なんでこんなことになっているのでしょう。もしかして、先輩何かしましたか?」

「なんでだよ!?俺が先に寝ただろ!」

「実は、寝たフリをしてたとか?」

「寝たフリしようとして失敗したんだよ!」


 俺がそう言うと、詩音は笑いながら言った。


「先輩、なんで、寝たふりなんてしようとしたんですか?」

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