第124話 催眠失敗

 タンッ!


「あ」


 先輩が机を叩く音で私はゆっくりと目を開いた。ローテーブルを挟んで向かい側では、先輩が口を開けて目を丸くしていた。


「先輩……」


 私はローテーブルを踏み越えるようにして、四つん這いで先輩に近寄る。身体に力が入らなくて、ゆっくりとした動きになる。まるで夢の中を泳ぐような感覚。ようやくローテーブルを乗り越えて、私は呆気に取られたように固まる先輩に身体を預けた。身体がぽかぽかしていて、先輩の体温がいつもよりはっきり伝わってきている気がする。


「えへへ、先輩……」


 私はふやけたような笑顔になりながら、先輩に頬擦りして、それからほっぺに甘噛みするようなキスをする。それから、おでこを先輩の胸に擦り付ける。我ながら、なんか猫みたいな甘え方だ。先輩はそんな私の背中に腕を回して、私の頭をなでる。幸せすぎて目を細めてしまう。


「先輩……好き……」


 身体をぴったりと先輩に押し付けながら、私は先輩の耳に唇で触れながら囁く。胸の奥から溢れてきて、言葉にせずにいられない。


「好き……好き……」


 耳たぶを吸いながら、私は繰り返す。先輩にぎゅっと抱きつきながら、ねだるように腰をぐっぐっと押し付ける。


 パチン


 耳元で指パッチンが鳴って、私は大きく目を見開いた。


「っ〜〜〜!!!」

「よかった、ちゃんと解けるんだ」


 そう言った先輩は、気まずそうに思い切り横を向いて目をそらした。耳は真っ赤になっている。恥ずかしいのはこっちなのに、なんで先輩までそんな反応してるんだ。


「ううっ——」


 私は先輩の背中に回した手で先輩に爪を立てる。これが『甘えたくなる催眠』とかであれば問題はなかったのだけれど——今日のこれは……なんの暗示もかかっていない。と、言うよりは、暗示をかけるために私をトランス状態にしたところで、先輩がうっかり催眠を少し解いてしまった、ということだろう。半覚醒になった私は、意識と理性のブレーキが働かない状態で——つまり、こちらの方が私の『素』ということだ。


「そ、そうです!私が本心では先輩にいっぱい甘えていちゃいちゃしたいと思っているなんて、先輩いまさら知ったんですか?」


 私は開き直って、勢いで押し通すことにした。……いや、自分でも何を言ってるのか分からない。顔がものすごく熱い。


「…………」


 先輩はそんな私を、からかうでもツッコむでもなくただぎゅっと抱きしめる力を強くした。それは『愛しい』と言われているようで、胸が苦しくなる。私は先輩を黙って抱きしめ返した。

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