第117話 ランジェリー催眠

「すみません、付き合わせちゃって。男性にとっては少し居づらいですよね」


 後輩の詩音が申し訳なさそうに小さく頭を下げる。確かに詩音の言う通りだったが、俺は少し口を曲げて顔を背けながら答えた。


「まあ、恋人が下着を選びたいって言うんなら、付き合うのくらい当たり前だろう」


 その言葉を聞いて詩音は、眉を下げたまま小さく笑った。


「ありがとうございます。できるだけ早く決めてしまいますね」


 そう言って詩音は、周囲のラックに目をやる。俺は明後日の方を向きながら、一度深く呼吸をした。周囲には、女性ものの下着が所狭しと並べられている。ランジェリーショップというのは、どうしてこうも気まずいのだろうか。別に下着姿なのは生身の女性ではなくトルソーなのに、心拍数が上がるのが不思議だ。


「先輩。これとこれならどっちがいいと思いますか?」


 詩音に声をかけられて、彷徨っていた思考が帰ってくる。


「どれ」


 小さく咳払いをしてから、詩音が両手に持った下着を見比べるために視線を落と——


「!?」


 心臓が宙返りして、俺は詩音の肩を強引に引き寄せる。


「ひゃぁん!先輩、こんなところでダメですよう」


 俺の腕の中で、詩音がわざとらしく女の子ぶった声を出す。


(バカ!そういうことじゃなくて、これはその——)


 詩音の耳元で囁いていた言葉を切って、改めて詩音が持つ下着を見る。耳まで燃え上がるのを感じる。俺は息を大きく吸い込んで、詩音の耳元で囁いた。


(どっちもダメに決まってるだろう!!!!)


「先輩、囁き声でびっくりマーク4個もつけるなんて、器用なことしますね」


(メタいツッコみなんてしてる場合じゃないからな!!)


 詩音が持ってきた下着は——

 1つはメイド服を模した白黒の下着なのだけれど、ブラは眼帯のような小さい四角い布を2つ繋げたような形で非常に心許ない。ショーツもいわゆる普通のパンツの1/3くらいの高さしかない、超ローライズだ。

 もうひとつはブラこそ三角形が2つ繋がったような、かろうじて常識的な形状をしているけれど、下は……腰の周りを巻くレースのリボンに、中央を横切る細い紐。Tバックという下着もあるが、これは後ろから見ても前から見てもT。大事なところに当たるであろう部分には、真珠のような丸い装飾が連なってついている。いったい何を隠せたらパンツとしての要件を満たすのか問いただしたくなるような代物だった。


 慌てて周囲を見回すと、飾られている商品はどれもそれらに負けず劣らず際どい下着ばかりだった。心拍数も上がるはずだ。いつのまにこんな魔窟に連れ込まれていたんだ。


(悪いことは言わないから、別の店にした方がいい)


 俺が詩音に耳打ちすると、詩音は遅ればせながら顔を赤くする。


「わ、わかってますよ!本気でこんな……ぇっちなのなんて買うわけないじゃないですか!先輩をからかっただけです!」


 なんだそれは。からかうためだけにどれだけ身を切るつもりだ。


(それなら、早く出よう)


 そう言って俺が急かすと、詩音がためらったようなそぶりを見せていう。


「そうですけど……ひやかしっていうのも悪いですし、何か買った方が良くないですか?」

「何を買うつもりだ!?」


 結局、なんか爆発しそうな名前の香水をひとつ買ってその店からは出た。


 それから、馴染みのショッピングモール。普通の下着店だけれど、居心地が悪いこと自体は変わりがない。


「先輩。どっちがいいと思いますか?」


 詩音が両手にハンガーを持って、左手に持った方を体にあてがいながら俺に訊ねる。俺は口元を手で覆いながら目を逸らしていう。


「その……体にあてがうのはよしといた方がいい」

「え?なんでです?」

「それはその……想像しちゃうから」


 俺がちらりと横目で詩音の様子を伺うと、詩音は眉が左右非対称に傾くような、非常に微妙な表情をしていた。それから、少し呆れたようにため息を吐くと詩音は言った。


「別に……いいですよ?想像してくれても。試着しているところを見せるわけにもいきませんし」

「想像……」


 そう言って俺が少し上の方を見ると、詩音は真っ赤になって急き込んだように言う。


「そっちじゃないですからね!?さっきのお店のはダメです!先輩のへんたい!!」


 ……なぜバレた。お互いにごまかすように同時に咳払いをしてから、気を取り直して詩音が訊ねる。


「それで先輩、どっちですか?」


 俺はしばらく考えてから、詩音が左手に持っている方を指差して言った。


「……こっち」


 その答えに、詩音は小さく首を傾げるとまた新しい下着を持ってきて訊ねる。


「これとこれなら?」

「……こっち」

「……これとこれだと?」

「……」


 俺が黙って指差すと、詩音は眉間に皺を寄せて俺に詰め寄る。


「先輩……『エッチじゃない方』ばっかり選んでないですか?」

「ソ、ソンナコトナイヨ〜……」

「カタカナ!!」


 目を泳がせる俺に詩音はため息をついて呟く。


「……こんなことなら、素直になる催眠もかけておくんだった」

「……え?」

「いえ、なんでもありません。——仕方がないですね、先輩はもう黙っててください。私が先輩の反応を見て判断しますから」


 そう言って、詩音はまた新しく下着を持ってくる。詩音をあてがう詩音を見る俺を、詩音が真剣に見つめる。見透かされているようでどこか恥ずかしくなる。


「——よし!これにします!」


 そう言って詩音が決めたのは、花をかたどったレースで装飾された、ピンク色のフェミニンな下着だった。無意識に止めていた息を大きく吐き出すと、それを見た詩音が小さく笑う。


「お疲れ様でした。——ありがとうございます、先輩。会計を済ませてくるので、先輩は先に出ていてください」


 そう言われて俺はほっとしながらランジェリーショップに背を向けた。


 ——


 会計を済ませて下着を受け取る時、女性の店員さんが私に耳打ちした。


「素敵な彼氏さんですね。あんなに真剣に下着選びに付き合ってくれるなんて」


 見られていたかと恥ずかしくなるけれど、私は小さく笑って囁きかえす。


「内心はバクバクだと思いますけどね。とっても優しくて頼りになる人です」


 ——


「さあ、先輩。さっそくお披露目といきましょうか!着替えるから、見ないでくださいね」


 そう言って詩音は、自分の部屋の奥の壁際まで俺の背中を押しやる。衣擦れの音が聞こえる。それからひたひたという足音。耳にかかる息。


「先輩……いま私裸なので、こっち見ちゃダメですよ?」


 その言葉に心拍数が高まる。ぎゅっと目をつぶる。


「えい」


 パチン。指パッチン。催眠が解ける。


「あ゛あ゛゛ああああ!!!!」


 俺は叫んだ。


『恋人が下着を選びたいって言うんなら、付き合うのくらい当たり前』じゃないんだわ。

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