第101話 お花見催眠

「花見ってのは……花を見るのは単なる口実で、ほとんど酒を飲んで騒ぐためのものだと思ってたんだけどな」


 俺が斜め上を見ながらそう話すと、隣を歩く詩音が困ったように小さく笑う。


「まあ、そういうところもありますよね。でも、気心知れた仲間で集まれば、お酒が飲めなくても楽しいんじゃないですか?なんにせよ、桜が綺麗なのは本当ですし」

「……ああ、そうだな。綺麗だ」

「ししょー!」


 少し離れたところから、弟子である秋山の声がした。いつ見てもガタイのいい、見るからに体育会系の1年男子だ。ビニールシートの上で、クーラーボックスの隣に腰を下ろしている。桜が満開になった公園の一角。


「秋山。悪かったな、場所取りなんてさせて」


 風呂敷に包んだ重箱を中央に置きながら俺は秋山に言う。


「いえいえ。誘ってくれてありがとうございます」


 秋山は人好きする笑みを浮かべながら答えた。その時、視界のはずれから足音が聞こえた。


「詩音、おはよう。その他の方々も」


 横から入ってきたのは、詩音の親友の皐月彩芽だった。


「その他って!一応先輩だぞ!」

「彩芽、その袋は?」


 噛み付く俺をスルーして、詩音は皐月が両手で下げた袋について訊ねる。


「甘いものとか、お菓子を持ってきたよ」

「いいですね!」


 俺を除く3人が、わっと盛り上がる。俺はため息を吐きながらビニールシートに腰を下ろした。


「じゃあ、揃いましたし始めましょうか」

「ああ、そうだな」


 4人で向かい合って座って、花見が始まるところでふと気がついた。


「——俺らってそんなに気心が知れた仲だったか……?」


 ——


「はい、詩音あーん」

「あーん」


 俺の正面に座った皐月が、一口大のチョコレートをつまんで隣の詩音に食べさせる。


「師匠!このお弁当彼女さんが作ったんですよね?」

「ん、ああ」


 秋山に呼びかけられて、生返事をしながら向き直る。


「すごく美味しいですね!いいなぁ、俺もいつかひまわりちゃんの——」


 半ば妄想の世界に突入する弟子に、俺は苦笑い混じりの笑みを向ける。


「そうだ!先輩、何か飲みますか?」


 はっとしたように秋山はそう言うと、ビニールシートの中央に置かれたペットボトルを指し示した。


「ん。ああ、じゃあ、その炭酸を」

「はいはい」


 秋山がニコニコと笑いながらペットボトルを持ち上げて、キャップをひねる。直後、キャップとボトルの隙間から大量の泡が勢いよく噴き出した。


「「おわっ!?」」

「ああ、先輩。気をつけてください。それ、さっき私がよく振っておいたので、うかつに開けると噴き出しますよ」


 詩音から目を離さないまま、皐月がつまらなそうな口ぶりで言った。


「なんで振った!?」

「せんぱーい」


 急いでペーパータオルを秋山に渡す俺に、詩音がもたれかかるようにして頭をことんとぶつける。


「どうした?」

「先輩、何か催眠術かけてくれませんかぁ?」

「なぁ!?いまここでか!?」


 思わず大声を出してから口元を押さえる。


「いいじゃないですか。どうせここにいる4人全員、先輩の催眠については知ってるんですから」


 興味もなさそうに皐月が言う。


「俺も久しぶりに師匠のガチ催眠が見たいっす!」


 シートを拭いていた秋山が顔を上げて言う。


「せんぱい」

「あは、ははは……」


 四面楚歌というのはこういう状況を言うのだろう。観念した俺は、詩音と向かい合って座り直す。


「じゃあ、どんな催眠がいいかなぁ」

「ここは花見らしく、『酔っ払ったようになる催眠』なんてどうでしょう」

「面白そうですねぇ!それ!」


 皐月の提案に秋山が同調し、詩音もぶんぶんと首を縦にふる。


「……なんか、嫌な予感しかしないんだけど」


 俺は弱弱しくそう呟いて、一度大きく息を吸い込んだ。


「じゃあ詩音、目をつぶって——」


——


 パァン


「……どう?」


 手を叩く音でトランス状態から覚醒した詩音の目は、据わっていた。暗示はうまくかかっているみたいだけれど、酔っ払った詩音がどんな行動をするのかは分からない。と、その時。


「せんぱい!」


 詩音が飛びかかるようにして抱きついてきた。咄嗟のことに身動きが取れず、詩音の胸に顔を埋めるような形で抱きしめられる。


「うー。せんぱい、すきすき〜」

「おまっ!馬鹿こんな人前で!!」


 腕をばたつかせながらもがいて、どうにか詩音の腕から逃れようとする。


「んっ」


 何かに擦れたのか、詩音が艶っぽい声を漏らす。


「うわっ。先輩なんて公序良俗違反でカクヨムからBANされてしまえばいいのに」

「この催眠お前の発案なんだが!?」


 凍てつくような視線を浴びせる皐月に俺が叫び返していると、詩音の腕の力が緩んだ。


「……詩音?」

「秋山くん!!」


 そう叫びながら詩音は、今度は秋山に抱きついた。


「はああぁあぁあぁあぁぁ!?!?」


 突然の展開に俺は最大級の絶叫をあげる。


「よしよし。あきやまくんはかわいいねぇ」

「おいお前秋山ふざけんなよ!!」

「なんで俺なんすか!?ちょ、彼女さん困りますって!!」


 真っ赤になりながら秋山が言う。


「かわいいかわいい弟弟子。かわいいかわいいバカワイイ」


 叫び散らす俺たちを気に留めた様子もなく、詩音が秋山の頭を撫でる。


「ディスられてます!!完全にディスられてます!!」

「もう催眠を解くぞ!!」


 俺は一声そう叫ぶと、右手をまっすぐに突き出して指パッチンした。


 パチン


 詩音がゆっくりと秋山を離して、こちらに向き直る。


「せんぱい、どうしたんですかぁ?ひょっとして、やきもちですかぁ?」


 その目は、依然として据わっていた。


「え、なんで。確かに催眠は——」


 2回、3回と指パッチンをする。詩音は、舌なめずりをするような目でこちらに向かってくる。あとずさりする。嫌な予感がピークに達する。


「はぁ、仕方ないですね、先輩は」


 横からそんな声が聞こえた。振り向くと、皐月が詩音に向けて両腕を広げて微笑んでいた。


「詩音、おいで」


 その言葉に、詩音の動きが一瞬止まる。そして


「彩芽〜〜!!」


 詩音は皐月の腕の中に飛び込んだ。


「おい皐月どういうつもりだ!!」

「こんな公衆の面前で、異性同士で抱き合わせるわけにはいかないですからね。私となら女同士なので、これくらい普通です」


 詩音の頭を撫でながら皐月が言う。


「だからって、俺の前でそんな——」

「元はといえば、自分で解けないような催眠をかける先輩が悪いんです。落ち着くまでこうしていましょう」

「ぐっ……」


 俺が言葉に詰まると、皐月は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「っ〜〜〜!!」


 俺は両手を膝に置いて、詩音の方を向いて座り直した。


「詩音」

「せんぱい?」


 振り返って小首を傾げる詩音に、俺は口を大きく開けて言った。


「あーん」


 詩音が嬉しさを堪えきれないような表情になる。それから詩音はいそいそと箸を持って、重箱から卵焼きを一切れつまみ上げた。


「はい、せんぱい。あーん」


 ニコニコと笑いながら詩音が俺の口に卵焼きを運ぶ。俺が口を閉じると、詩音は箸を置いてまた皐月に抱きつき直した。できるだけ早く口の中の卵焼きを飲み込んで、また口を開ける。


「あーん」

「……お、俺は、何を見せられてるんすか?」


 そんな3人を見ながら、秋山はひどく困惑してつぶやいた。


——


 しばらくして、詩音が膝の上で微睡みだした頃、皐月は誰にも聞こえないくらいの声でつぶやいた。


「それにしても、ウィスキーボンボンひとつでこんなになるなんて。これは、成人しても飲みとかで失敗しないように見張らないといけないな」

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