第95話 こたつ催眠

 パァン


「えう」


 立ったままトランス状態になっていた詩音が、微妙な声と共に目を覚ます。


「どうかした?詩音」

「へ?先輩?」

「せっかくのこたつなんでしょ?入らないの?」


 今日の詩音の部屋の様子は、いつもと少し違っていた。寒くなってきたからといって、いつものローテーブルがある部屋の中央には、同じくらいのサイズの小さなこたつが置かれている。


「?まあ、そうですね——」


 詩音はまだ何か腑に落ちない様子だったが、ひとまずというふうにうなずいて、それから俺を上目遣いで睨んで言った。


「先輩、向こう向いててください」

「分かってる分かってる」


 俺はそう答えて、ハンズアップしながら詩音に背中を向けた。しばし待つ。かすかに布が擦れる音がする。


「はい、もう大丈夫です。先輩も入ってください」


 その言葉に振り返ると、詩音はもうこたつ布団を腰までかけてこたつに収まっていた。温かさのせいか、すでに表情が少し緩んでいる。


「じゃ、失礼して……」


 そういいつつ、俺は詩音の正面に腰を下ろして、あぐらに組んだ脚をこたつの中に入れた。


「「……はぁ〜〜」」


 どちらからともなく、2人で同時にため息をつく。


「いいですよね〜こたつ」


 詩音がだらけきった体勢になりながらいう。


「ああ、布団がふわふわなのもいいな」


 そういいながら、俺はこたつ布団のはしを右手で揉む。


「あ、そうだ先輩。こたつといえば、みかんって感じがしません?」


 ちょっと顔をあげて上目遣いになりながら詩音がいう。


「まあ、そうだな。定番の組み合わせだ」

「ちょうどリビングのダンボールにみかんがあったはずなんで、いくらか持ってきてくれませんか?」


 詩音のその言葉に、俺は眉間に皺を寄せて嫌な顔をした。


「え〜……。なんで俺が」

「私はこたつから出たくないので。女の子がこたつから出るのは大変なんですよ」

「せめてこたつに入る前に気づけよ……」

「いやあ、実際に入ってみないと思い出さないものですね。持って来てくれたら先輩も食べていいですから」


 なお渋る俺に詩音がいう。


「それに先輩、少し顔が赤くなってます。一度こたつから出てクールダウンした方がいいんじゃないですか?」

「なんだそりゃ。ま、いいか」


 俺は重い腰を上げて、1回のリビングに向かった。それっぽいざるにみかんを山盛りにして、詩音の部屋に戻る。


「すっかりだらけきってるな」

「先輩、待ってました」


 ほっぺをこたつの天板につけたまま詩音がいう。俺は呆れを隠さずにため息をつくと、こたつの中央にみかんを置いて、ついでに1つ掴みながらこたつに入り直す。詩音も身体を起こしてみかんに手を伸ばす。爪をみかんの皮に食い込ませると、柑橘類特有の甘酸っぱい匂いが鼻に届く。しばし黙ってみかんの皮を剥く。皮をヒトデのような形に向き終わると、俺はみかんを右手の平の上にのせて口に放り込んだ。


「ひ、ひとくちで?」

「もむ、もむ」


 正面でみかんを剥く詩音が、軽く引いているのが分かる。このくらいのサイズのみかんなら、割と普通にやる食べ方だと思うんだけどな。詩音がむき終わったみかんを見つめる。それからみかんを1房分けて、親指と人差し指で摘みながらこちらに差し出した。


「はい、先輩。あーん」

「むぐっ!んっ」


 口の中に入っていたみかんを飲み込んで、目を丸くして詩音を見る。詩音はいたずらっぽい笑みを浮かべていた。


「みかんを持ってきてくれたご褒美です。あーん」


 揶揄われていることが分かって、俺は口を尖らせる。それからはっと思いついた俺は、口を出来る限り大きく開いて、みかんに口を近づける。


「あーーん」


 ぱくっ


「!?!?」


 今度は指ごと咥えられた詩音が目を丸くする。すごい勢いで詩音が右手を引き抜く。俺は、何もなかったような顔で身体を起こして、口の中のみかんを味わう。


「これはこれで美味しい」

「……先輩のエッチ」


 顔を赤くしながら恨めしげな視線を送る詩音に、俺は小さく鼻を鳴らした。


「俺をからかおうなんて3年早い」


 頬を膨らませた詩音が、はっと何かに気づいたような顔になる。


「先輩」

「何?」

「今週、こたつでだらだらしてるだけで終わっちゃいそうなんですけど大丈夫ですか?エッチな催眠は?」


 俺はちょっと考えながら、こたつの上のみかんの皮を脇によける。


「いや?もうかけてるよ。常識改変の類いだけど」

「はい?」


 パチン


 指パッチンで催眠が解ける。


「先輩?」


 詩音が漠然とした違和感を感じている顔になる。頬杖をついて明後日の方向を向きながら俺は言った。


「『こたつに入る時、女性は下を脱がなければならない』」


 横目でちらっと詩音の様子を見る。詩音は、脇に置かれた自分で脱いだスカートとパンツを見て、自分の手でお尻を撫でて、ようやく自分が今までかかっていた催眠を理解したようだった。


「……先輩が赤くなっていたのは、こたつでのぼせていたわけじゃなくて、コレで興奮していたと……?」


 詩音が真っ赤になりながら、小さく震えて言う。


「そんなに赤くなってた?自分じゃ分からないな」

「高度な変態!!!!」

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