第88話 彼シャツ催眠

 パァン


 手を叩く音。意識が覚める。


「…………」

「……」


 沈黙が気まずくなり、2人でほとんど同時に目を逸らした。おかしい、調子がおかしい。後輩の詩音のことが、いつもの何倍かエッチに見える。白い太ももに視線が吸い寄せられる、身体が熱くなる。心臓が速い。トランスに入っている間に、発情系の催眠をかけられたと考えるのが一番順当だろう。


「先輩……」


 だが、詩音の方も様子がおかしかった。なんというか、いつもより妙にしおらしいというか。普段なら『おや〜?先輩、どうしたんですかぁ?』とでも煽ってきてもおかしくないのに、黙り込んだまま俯き加減で目を逸らしている。耳は真っ赤で、心臓の音がこっちにまで聞こえてきそうなくらいだ。つまりは……詩音まで発情している?なぜ?詩音は催眠をかけた側のはずなのに。


「詩音……」


 腑に落ちないところはあったが、思考はそこで限界だった。詩音の熱のこもった視線に晒されて、身体の芯が疼きだす。俺は、正面にあったローテーブルを踏み越えるようにして詩音の両肩に手をかけて、押し倒した。詩音はゆっくりと床に倒されながらも、目を逸らしたままだった。ごくり、とつばを飲みこんで、詩音の太ももに手を這わせる。ワイシャツの裾がめくれあがり、へそより下は全て露わになる。詩音は短く喘ぎ声をあげて身をよじった。拒むというよりは、勿体ぶるように。


「先輩、触り方いやらしいです……」

「嫌?」


 俺がそう訊ねると、詩音は黙り込んだ。俺は、のしかかるように体重をかけながら詩音と唇を重ねる。熱い息を交換する。


「先輩」


 唇が離れると、詩音はとろけた表情で、荒く息をしながら言った。


「もうちょっとだけ、我慢してください。せめて……ベッドまで」


 ——


 パチン


 ドロドロのクタクタになって、ようやく息が落ち着いてきた頃、俺の腕の中の詩音が催眠を解く指パッチンをした。


「……あれ?」


 俺は血の気が引くのを感じて、一度深く息を吸った。


「……何も変わらないんだけど?」


 催眠は解けたはずなのに。今日は、何か強力な発情系の催眠をかけられていたんじゃないのか?俺の言葉に、詩音は少し拗ねたような響きを持つ声で答えた。


「そりゃあ、ふたりとも裸ですから」


 そう言って詩音は、少しだけ身体を起こしてベッドの外を見やった。


「あ」


 詩音の視線の先にあった、『詩音が脱いだ服』を見て、俺は息を飲んだ。


「……服装に違和感を感じなくなる催眠、か」


 俺の解に、詩音は一度大きくうなずいた。『詩音が脱いだ服』は、『俺』のワイシャツだった。


「トランス状態の間に俺のシャツを引っぺがして、裸の上に着込んでいた、と」

「人聞きが悪いですね。ちゃんと丁寧に脱がしましたから」


 不服そうな口ぶりで詩音は言った。なるほど、自分ではわけも分からず興奮していたけれど、目の前にいた詩音が裸ワイシャツ姿だったというなら、発情系催眠なんかじゃなくても納得ができる。詩音の様子がおかしかったのは、半裸の俺を目の前にしながら俺の服を着ていたせいで、想定外に興奮してしまった、といったところだろう。


「はぁ〜」


 謎が解けたことに不思議な安堵感を覚えて、俺は大きなため息をついてこぼした。


「彼シャツだと分かってたらもっと目に焼きつけたのに」

「先輩!?」

「!?!?」


 気が抜けたところで自分の口から飛び出した言葉に、自分で目を丸くする。


「ちがっ——」


 言い訳をしようと寝返りを打って振り返ると、詩音が俺の胸に顔を埋めるようにして抱きついてくる。


「別に、いいですよ。また着てあげても。先輩が————着て、欲しいなら」

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