第79話 真・お風呂催眠
パァン
「先輩、これは何ですか?」
後輩の詩音は、俺がローテーブルに置いた小瓶を見て首を傾げた。手のひらに収まるくらいの大きさのそれには、紫がかった粘性のある液体が入れられている。俺が小さく口角を上げると、詩音は警戒するように後退りして言った。
「まさか……媚薬ですか?そのお薬を飲んで発情した私を先輩が獣のように——」
「いや?入浴剤」
俺の返答に詩音がカクッと肩を落として、身体をかばっていた腕を下ろした。安堵の中に、若干の落胆が見えるのは気のせいか。
「それで?入浴剤がどうかしたんですか?」
気が抜けたのか、少しばかりめんどくさそうな口ぶりで詩音が訊ねる。俺は、少しドヤ顔になりながら答えた。
「ただの入浴剤じゃない。これは俺特製の入浴剤だ」
その言葉に詩音が目を丸くする。興味を引くことに成功したか。
「なんで入浴剤なんて作ったんですか?」
純粋に疑問というよりは、呆れの混ざったニュアンスで詩音が訊ねる。俺は小瓶を取り上げて、瓶の中で流れる様子を眺める。
「ある作品に出てくるアイテムの再現でね。『お風呂に入りながら催眠状態になる用』の入浴剤なんだよ」
「お手製のファンアイテムということですか。激辛麻婆ラーメンとか、デラックスにんじんハンバーグとか、はずれまんじゅうみたいな」
「たとえがいったいなぜそのチョイスなのかさっぱり分からないけど、まあそういうところだ」
それから俺は、小瓶をテーブルの上に置き直して、詩音を真っ直ぐ見て言った。
「それで、今日これのテストしてみたいんだけど、どう?」
そう、俺の狙いはこれだ。どのみち詩音に催眠をかけられて一緒にお風呂に入ることが避けられないのなら、逆にこちらが催眠をかける側になってしまえばいいのだ。たたみかけるように俺は続ける。
「まあ、催眠は抜きにしても悪いモノじゃないし。基本的にはリラックス効果のある入浴剤。香りはハーブをブレンドしてて、ジャスミン、ラベンダー、あとイランイラン。美肌成分もたっぷり。泡風呂」
「はぁ」
「さすがに『お湯に溶かすとゼリー状になってお湯の中でも呼吸ができるようになる』って仕様はどうやっても再現できなかったけど」
「なんですかそれ。作中ではどんだけワンダーなアイテムなんですか」
ローテンションにツッコミを入れる詩音。
「まあ、今回は俺も一緒に入るから、溺れる心配とかはしなくていいよ」
ダメ押しで俺がそう付け加えると詩音は小さくため息を吐いて言った。
「まあ、先輩がいいならいいですよ。使ってみましょうか、その入浴剤」
「よし!」
詩音の返事にぐっとガッツポーズをする。詩音が笑みをこぼす。
「じゃあ、お風呂場にいきましょうか」
そう言って詩音が立ち上がる。
「話を聞く限り、割と良さそうじゃないですか。リラックス効果があるんですよね?ジャスミン、ラベンダー——」
そこまで言って、詩音はドアノブに手を置いて固まった。
「どうかした?」
「……あ、あの、先輩。……イランイランの効能は、私も身をもって知っているのですが」
「あ」
見ると、詩音の耳は真っ赤になっていた。
「……やめとく?」
「い、いえ!やめませんよ。せっかく先輩が作ったんですから」
うつむいたまま詩音はそう言った。うむ、こういう状況だと、いったいどういう心境になるんだろうな。
と、いうわけで風呂場。ほんのわずか、つま先が濡れる程度に湯が張られたバスタブに2人で入っている。瓶の中身はすでに空けられて、心地良い花の香りが漂っている。
「よし、届くな」
俺は右手にシャワーヘッドを持ちながら、左手をカランに伸ばしながら言った。それから顔を正面に向けると、真っ赤に染まった詩音の耳が目についた。
「ちょっと緊張してるみたいだね」
わずかに笑いを含んだ声でそう言うと、詩音は答えずに少しだけ縮こまった。まあ、こんな状況で緊張しない方がおかしいだろう。狭い浴槽に、2人。生まれたままの姿で、後ろから抱きしめられるような体勢で。足元には、媚薬作用のある入浴剤。
「リラックスできるように、深呼吸でもしようか。吸って——吐いて——」
詩音が俺の誘導に合わせてゆっくりと息をする。背中越しに預けられる体重が増えて、身体か力が抜けたのが分かる。
「お湯張っていくよ」
そう声をかけて、シャワーヘッドを足元に向ける。水流の勢いで泡を作りながら、浴槽の水位が上がっていく。
「足先から、温かさが上がってくる。ぽかぽか、ぽかぽか、気持ちいい」
耳元で囁いて暗示をかける。催眠誘導と実際の感覚が強くリンクしているせいか、詩音はするりとトランス状態に堕ちた。へそより少し上くらいまでお湯が溜まったところで、カランをひねって湯を止める。それから水面に浮いているきめ細かな泡を両手ですくい、詩音の身体の敏感なところに乗せるように付ける。ほっぺた、首筋、脇の下、胸、お腹。……この状態だと下半身には泡はつけられないな?まあいいか。
「催眠で敏感になった身体に、泡が弾けて、気持ちいいね。しゅわしゅわ、ぱちぱち、気持ちいいね」
詩音がわずかに身体をよじる。俺は少し笑みを漏らしながら耳元で囁く。
「泡が一気に弾けたら、どうなっちゃうのかな?」
催眠状態にありながらも、詩音が小さく息を飲む。俺は続ける。
「3つ数えて、ゼロで泡が一気に弾けるよ。3……2……1……」
一瞬の静寂。
「ゼロ!」
風呂桶でざばっ!と泡を流す。
「っ〜〜〜!!」
詩音の身体が腰を突き上げるように一度大きく跳ねて、ぐったりと脱力する。
「ふふ。気持ちよかった?もう一回したい?」
詩音の頬に残った泡を人差し指でぬぐいながら俺は詩音に訊ねる。詩音は脱力したまま荒く息をしている。
「のぼせてもアレだし、今日はこのくらいにしておこうか。じゃあ、10数えたら催眠が解けて、すっきりと目が覚めるよ。10……」
詩音の胴に腕を回して、カウントダウンを続ける。
「1……ゼロ!」
パチン
指パッチンの音で詩音が目を覚ました。
「気持ちよさそうだったね。苦労して作った甲斐があったな」
そう言っていると、俺の腕の中で詩音が身体を回して向かい合うような体勢になった。それから甘えるようにぎゅうっと抱きついてくる。
「なんか、変な感じです。お腹の底までぽかぽかするみたいな」
それから、詩音が身体をこすりつけるようにする。
「先輩。先輩の入浴剤の効果で、肌がすべすべになってます。なでなでしてもいいんですよ?」
促されて、俺は詩音の背中に触れていた手を滑らせる。太ももの裏側まで。確かにすべすべだけれど、そういうのって風呂に入ってる間にも分かるものだろうか?
「先輩。ぎゅうってしてください」
甘えるようにそう言われて、俺は腕に力を込めた。そして
パチン
指パッチンの音が耳元で響いた。
「っ〜〜〜〜!?」
なんで俺は、『詩音と風呂に入ることは避けられない』なんて思い込んでいたんだ。
「——っはぁ、はぁ」
悲鳴を噛み殺して荒く息をする。詩音は、いたずらな笑みを浮かべながら俺を見上げていた。風呂と無関係に顔が熱くなるのを感じながら俺は言う。
「そう何度も何度も同じ手を食らうと思ったら大間違いだ!これくらいなんてことないんだからな!」
「ほほう、ようやくお風呂に免疫がつきましたか。よかったです。これで催眠無しでも一緒にお風呂に入ってくれるというわけですね」
「!?!?」
ニマニマと笑う詩音の言葉に俺は固まった。どうやら、初めから手のひらの上だったらしい。
「……せめて、水着を着てくれ。心臓に悪いから。ちゃんと女物の」
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