第63話 お着替え催眠

 パァン


「何してるんですか先輩」


 呆れたような響きを含む声音で後輩の詩音が訊ねた。傍らに何かをぽふっと置く。


「え、あぁ……何って?」


 俺がそう聞くと詩音はむっとしたように眉を寄せた。それから急かすように横に置いたものをポンポンと叩く。


「何をぼーっとしてるんですかと聞いているんです。先輩が着替えさせてくれないと、いちゃいちゃできないじゃないですか。恋人同士なんですから、当たり前ですよね?」

「あ、ああ。そうだな」


 歯切れ悪くそう応じて俺は目を逸らした。なるほど、アレはルームウェアか。着替えさせるということは、『脱がせる』ということで……。いつまで経っても裸姿には恥ずかしさがあるのだけれど。俺が躊躇っていると、詩音が焦れたように立ち上がって腕をこちらに広げた。


「先輩、さぁ!」

「お、おう」


 ええい、ままよ。促されるままに立ち上がって、制服のブレザーのボタンに手をかける。ボタンを外し、詩音の肩からブレザーをすっと下ろす。軽く畳んで床に置く。それから首の後ろに腕を回して、ホックで止められているリボンを外す。ごくっと唾を飲む。次は……ブラウスだろう。裾をスカートから引っ張り出して、首元のボタンからプチンプチンと外していく。ボタンがひとつ外れるたびに、襟が広がって見える肌が増えてくる。胸の谷間とブラが露わになる。


「先輩のエッチ」


 ほとんど無意識に本能的に引き寄せられた視線をめざとく捕らえた詩音がからかうように言って、俺は赤面した。それでも一番下までボタンを外して、両手首のボタンも外す。詩音が両腕を斜め後ろに伸ばす。ワイシャツが脱げて、詩音の白い肩が見える。腰のファスナーを下ろしてスカートを膝下まで引き下ろすと、詩音が膝を右、左と曲げて一歩下り、詩音は下着姿になった。爽やかな水色のブラとパンツ。俺は既にマラソンを走り終えたように荒く息をしていた。次は着せる番か。そう思って床に置かれているルームウェアに手を伸ばして、その上に紐のような何かが置かれていることに気づいた。


「先輩。まだ私は脱ぎ終えていませんよ?」


 その言葉に、俺は目を見開きながら振り返る。心臓が早鐘を打つ。


「……下着まで脱がせと?」

「ほら先輩。もたもたしない」


 急かす詩音に俺は意を決し、背中に腕を回して抱きつくような体勢でブラのホックを外す。詩音の形の良い白い胸が露わになり、詩音は一番大事なところを申し訳ばかりに腕で隠した。無意識のうちに息を止めたままパンツの両側をつまむように手をかけ、ゆっくりと引き下ろす。視線がすらっと伸びた脚を舐める。足首まで下ろすと詩音はスカートを脱がせた時と同じように脚を抜いた。俺が立ち上がると、詩音はわずかに恥ずかしそうに身体をよじった。俺は今にも何もかもかなぐり捨てて襲い掛からんとする身体をぐっと押さえつけた。そんな俺の様子をみて、詩音が小首を傾げる。


「どうしたんですか先輩?パンツなんて握りしめて固まって。……使いたいのであれば貸しますが?」

「使わないからな!?」


 大慌てで答える俺に詩音が笑う。


「ですよね。いくら先輩とはいえ、女装の趣味はないでしょうし」

「え、使うってそっち?」


 思わず漏れたその言葉に、詩音がさっきより大きく首を傾げる。


「そっちって、女性用下着の使い道に履く以外――」


 そこまで言って詩音ははっと何かに気づいたような顔をして、それからジト目で俺を見た。


「さては先輩、欲望のはけ口として使うことを想定、いや妄想してましたね?先輩の変態」

「なあああ!!」


 意味をなさない叫び声をあげる俺に、詩音はやれやれとばかりに首を振る。


「先輩。早く服を着せてください。このままでは私が危険です」


 それを言うのか。自分が裸であることを自覚の上での言動だったのか。追及したい思いはあるのだけれど、それ以上にもう理性が限界ギリギリなので、俺は一度深く息をして折り畳まれたルームウェアの上のそれをつまみ上げたのだけれど。


「……紐?」


 それが率直な感想だった。黒いそれは今脱がせたパンツの1/4程度の布面積しかなく、後ろ側は完全に紐だった。その言葉を聞いた詩音が慌てたように言う。


「べ!別に私の趣味じゃないですよ!これはその、先輩はエッチだからこういうの好きかな〜って思って。サービス精神です。先輩の変態」

「理不尽じゃない!?」


 ともあれこれ以上墓穴を深掘りしても意味もないので、ぷいっと顔を背けた詩音の足元にその紐の穴を広げる。詩音がつま先を立てるようにして脚を入れる。在らん限りの意思の力を使って目を背けながらパンツを引き上げる。太ももに手が擦れてくすぐったそうに震える。頭が沸騰しそうになる。それでもどうにか腰骨まで持ってきた時には、俺は全身の力が抜けてぐったりと座りこんでしまった。だが、まだ終わりじゃない。自らを奮い立たせ、同じく黒の布面積が小さいブラを取り上げて立ち上がる。前ならえのように肩紐に腕を通してもらって、後ろに立ってホックを止める。


(……外す時も後ろからで良かったのでは?)


 まあいいや。そこまで頭が回らなかったのだから仕方がない。ここまで来たらもう少しだ。もう一度ひざまずいてふわふわなホットパンツを履かせる。こう何度も脚が目の前を往復していると、この柔らかい太ももに顔から突っ込んでしまいたい衝動に駆られるが必死に耐える。そして、パーカーの両袖を通してファスナーを一番上まであげる。終わった。とうとう俺はやり遂げた。達成感と極度の疲労感に襲われていると、詩音が少しうつむいてフードを被った。


「詩音?」


 その行動の意味が分からず、半ば無意識に詩音に呼びかけると、詩音は顔をあげて、手を伸ばして俺の頭を撫でた。


「先輩、よくできました。いいこ、いい子です。正直、途中で何度か襲われるかもと思ったんですが、よく我慢しましたね」


 満身創痍のところに甘いものが注ぎ込まれて、頭の中が真っ白な『嬉しい』でいっぱいになる。身体が痺れる。惚けたような顔になる俺に詩音は笑いを含んだ声で言った。


「さ、ベッドに行きましょうか。そしたらもっといいこいいこしてあげますから」


 そうして、ベッドの上、布団の中。詩音が俺の頭を胸に抱いている。その時


 パチン


 指パッチンの音が布団の中で響いた。見上げると、詩音の顔が急激に赤くなっている。詩音にかかっていた催眠が解けたのだ。いくら恋人だからといって、相手を着替えさせるのが当たり前なはずがない。


「……先輩の、えっち」


 その言葉に俺は少し目を丸くした。いつも通りの言葉なのに、いつもとは違う意味が感じられたからだ。からかうでもなく、怒るでもなく、切ないため息のような響き。詩音は真っ赤になった顔を背けながら、咎めるように言った。


「先輩は、私を甘やかしすぎです。こんなお姫様みたいな扱いをされたら……私は……だめになってしまいそうです――」


 いい終わると詩音は襲いかかるように俺にキスをして、ぎゅうっと強く俺を抱きしめた。

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