第42話 筋トレ催眠
「さあ先輩、頑張りましょう!」
後輩の詩音の張り切った様子に俺は眉をひそめる。今日は詩音はいつもの制服ではなくて、スポーツブラにショートパンツのトレーニングウェア姿だ。露出度で言えば下着とか水着とも大差ないように思えるが、いやらしさはなく健康的な魅力がある。どちらかといえばインドア派な詩音なのだけれど、意外なほど似合うのはショートヘアが映えているのだろうか。しかしながらインドア派の詩音、自分が運動するというのならこんなにはりきりはしないはずだ。
「……なんで俺が筋トレしないといけないの?」
なるべく不満がにじみでるような声色で俺は詩音に訊ねる。
「やっぱり男性はある程度筋肉がついてる方が、男らしくて素敵じゃないですか」
さも当然といったように詩音は答える。
「男らしいとか、そういうジェンダーロールに縛られた考え方は近年あまり支持されないぞ」
「むむ、こんな作品にまでそういう小難しい話は持ち込まないでくださいよ」
詩音は少し頬を膨らませながら言って、上目遣いで続ける。
「いいじゃないですか。私が抱きしめられた時に先輩の体がたくましいと嬉しいんです。なんというか、身体をゆだねられる安心感というか、包み込まれるような感覚で、胸がきゅんってするんです。……先輩はいやですか?」
その言葉に俺は目をそらした。こんなねだり方をされて断れるわけがない。俺は観念して小さくため息を吐いて答える。
「分かりましたよ、やればいいんでしょ」
「ふふっ、ちょろい……」
「なんか言ったか?」
「いえ、何も」
傍白めいた言葉を漏らした詩音が顔を上げる。
「さ、そうと決まったら始めましょう。早く服を脱いでください」
急かされるままに裸になって、トレーニングマットの上に立つ。このトレーニングマットは、詩音が今日この日のためだけに買ったらしい。
「今日は、スクワット×20、腕立て×20、腹筋×10、プランク1分を3セットしましょう。オーソドックスな感じのメニューです」
「ん?割と軽め?」
「速攻的な効果より、継続できることの方が大事ですからね。それに運動不足な先輩には、これでもキツイかもしれませんよ?」
詩音が挑戦的な笑みを浮かべる。やってやろうじゃないか。これでも先輩としての意地がある。
「じゃあ、先ずはスクワットから。先輩、腕を両脇に垂らして脚を肩幅に開いてください」
詩音の指示に従って構える。
「では、スタートです」
俺が膝を曲げると同時に、詩音は顔が俺の太ももの高さに来るくらいまでしゃがんだ。
「お尻を突き出さないでください。前傾姿勢にならないで。どこの筋肉を動かすか意識して」
詩音がききかじったようなアドバイスをする。それから俺を中心にして回り込むように移動して後ろから見つめる。全方位からフォームを確認している、ということだろうか?そうこうしているうちに20回になる。
「20!」
俺は膝に手をついて息を整える。少し息が上がっている。正しいフォームを意識すると意外なくらいきついものだ。
「10秒休んだら腕立てです」
詩音の声にせっつかれるように今度はマットに手をつく。
「ふっ!」
短く息をして肘を曲げ、伸ばす。
「大胸筋を意識してください。顎を上げない!」
詩音のアドバイスが頭上から降ってくる。
「だぁっ!」
「次は腹筋ですね」
腕立て20回を終えて突っ伏す俺に詩音が言う。
「もうちょっと、褒めるとかないの?」
「む。分かりました。検討します」
真面目に考えているのだろうかと思いながら、体をひっくり返して仰向けになる。詩音が足の側に移動して曲げた膝に腕を入れる。
「先輩、頑張ってください!1、2……いいペースですね!……8、9、10!」
一応褒めようとする気概は感じられたのだけれど、すぐに終わってしまった。
「腹筋だけ軽いね?」
「次のプランクも腹筋を鍛えるトレーニングなので、バランスを考えた結果こうなりました」
「そういえば、プランクって?」
プランクというのは姿勢を維持するタイプのトレーニングで、体を真っ直ぐに伸ばした状態で両肘と足先で体重を支えるというものだという。姿勢としては腕立てに似ているけれど。
「無理無理無理無理!」
これが思った以上にきつくて、20秒で悲鳴を上げた。
「先輩頑張って!お尻が上がってきてますよ。まっすぐに!先輩ならできます!できちゃいます!いけますよ先輩!いけ!先輩いけっ!」
「このトレーナーセクハラがひどい!!」
もうちょっとまともな言葉選びができなかったのだろうか。
——
「ゼロ!」
詩音による最後の1分間カウントが終わって、俺はマットに倒れた。詩音が言っていた通り、思っていたよりメニューはきつかった。というか、俺が運動不足なんだろうか?
「お疲れ様でした先輩。汗、拭きますね」
バスタオルを両手で持った詩音が言う。
「え?いいよ自分で拭けるから」
「遠慮しないでください。筋トレを頑張った先輩へのご褒美だと思って」
詩音がそういうので、お言葉に甘えることにした。身体を起こすと、詩音が柔らかいバスタオルでぽんぽんと叩くようにして汗を取っていく。滴っている時はむず痒いような不快感をもたらしていた汗も、拭き取られると爽やかに感じる。疲労感と心地いい感触にうっとりと目をつぶっていると、全身を拭き終わった詩音が俺の膝にバスタオルをかけて、耳元で囁いた。
「催眠の方も解きますね?」
直後、指パッチンが爆ぜる。一瞬遅れで状況を理解した俺は、両手でバスタオルを押さえながら真っ赤になって飛びのいた。そんな俺の様子を見て詩音が思い切り笑う。
「あはははははは!!」
「へ、変態!変態変態!」
壁に背中がつくまで後退りしてから批難する俺。
「先輩、ボキャブラリー少ないですね」
「そういう問題じゃないだろこのスケベ!!」
ああ、解けてみればはっきりと分かる。俺はなぜ『筋トレは全裸でするもの』だなんて思い込んでいたんだろう。
「いいじゃないですか。減るもんでもないし、そもそもお互いに見飽きるくらい見てますよね」
「視線の質も量も全然違う!」
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