第39話 注文の多い猫カフェ催眠
「文化祭の出店アイデア?今?」
「この連載、地味に季節感がないですよね。なんなら時系列だって怪しいし」
連載、というのが何のことかは分からないが、ローテーブルで向かい合って座る後輩の春野詩音が、スクールバッグからごそごそとペラ紙一枚の企画書らしきものを取り出して俺に渡した。パステルタッチの絵、猫とコーヒーカップだろうか。その上の方に店名らしきものが書かれている。
「『注文の多い猫カフェ 家猫軒』?」
ツッコミどころが山積みだった。何か、どこかで聞き覚えがある名前だし、注文が多いとはどういう意味だろう?何より、文化祭で猫カフェができるのか?
「これは……何?」
「さすがに教室を再現するわけにもいかないので、催眠を併用してシミュレーションしようと思います」
「なるほど?……それに何の意味が?」
学年からして違うので、詩音のクラスの展示内容に俺は関われないのだけれど。俺の言葉を聞いた詩音は、少し不満げに頬を膨らませた。
「おや?あんまり乗り気ではない様子ですね。せっかく彩芽に衣装も作ってもらったのに」
「あんまり便利キャラみたいに使ってやるなよ」
皐月彩芽は確かに詩音のことが好きなクラスメイトだが、惚れた弱みにつけ込むにも限度がある。
「いいんですよ彩芽だってノリノリだったんだから」
しれっとそう言うと、詩音は急に身を乗り出して俺の耳元でささやいた。
「先輩は私の猫耳メイド姿、見たくないんですかにゃん?」
声と一緒に、熱く湿った息が耳にかかり、ぞくぞくっとした感覚が背筋を走る。鼓動が速く、顔が熱くなるのを感じる。ああ、猫カフェってそういう。
「そんなあからさまな色仕掛けに、俺が屈すると思うのか?」
「どうでしょう?先輩は先輩ですからね。それで、どうしますか?」
「……」
屈した。
「先輩、入ってきても大丈夫ですよ〜」
ドアの向こうから詩音の声が聞こえて、俺は深く息をしながらドアを開けた。
「いらっしゃいませ!お客様」
待ち構えていた詩音が招き猫のような手としなを作ったポーズで迎える。白と黒のコントラストがぱっきりしたメイド服。パニエで膨らんだサイハイ丈のスカートから覗く健康的な白い太もも。ぴょんと跳ねた余韻で揺れるショートヘアの先とお尻から伸びる尻尾に頭を飾る三毛猫柄の猫耳。イタズラっぽい笑顔まで含めて満点だった。可愛い。好きだ。大好きだ。皐月グッジョブと言いたいところだが、俺より先に皐月が見たのはちょっと癪なので隙をついて記憶を奪う催眠をかけないといけないかもしれない。
「それで、ここからどうすればいいの?」
しかしあくまで平静を装って俺は続きを促す。
「先輩、そのにやけ顔で平静を装ったつもりですか?」
「ぶっ!!」
図星を刺されて思わず吹き出す。そんなに顔に出ていたか。
「まあ、嬉しいのが顔に出るのは先輩の長所ですよ。さ、ベッドに座ってください」
そう言って詩音は俺がベッドに座るように先導して、隣り合って座った。
「では、催眠をかけるのでイメージしてくださいね。
——先輩は今、高校の廊下にいます。3階の、2年生の階。長い長い廊下にいます」
詩音が催眠誘導を始めたので、俺は目を閉じて深く息をする。そして、イメージした。記憶の中から廊下の姿を出来るだけ克明に。
「——先輩は、廊下を歩いていきます。とこ、とこ、とこ、とこ。そして、私の教室の前に辿り着きました。引き戸の横には看板があります。『注文の多い猫カフェ 家猫軒』。先輩はそのお店に入ることにしました。私も隣で案内しますから、心配はいりませんよ。では、扉を開けましょう。先輩が扉を開けると、すぐ目の前にもうひとつの扉がありました」
「待って」
思わず俺が言うと、詩音はむっとした声で返事をした。
「なんですか?いま暗示をかけてるところなんで口を挟まないでください」
「いや……扉が連続するのは暗示のため?それとも、実際にそうなるの?」
いくつも扉をくぐるイメージというのは、確かに暗示には有効だけど。
「ああ。これは実際にそうする予定ですね。いいですか?暗示をかけ直しますよ?」
作るの大変そうだなぁと思いながら、俺はもう一度暗示を受け入れる態勢に入った。
「——扉を開けると、目の前には扉がありました。先輩、リラックスできるように、手をマッサージしますね。指の付け根を、親指で、ぐいっぐいっと。順番に、小指まで。手から余計な力が抜けて、先輩の手は、ふくふくの肉球になりました。
——扉を開けると、目の前にはまた扉がありました。ここでは、ファーアクセサリー付きのカッコいいベルトをつけましょう。私がつけてあげますから、動かないでくださいね」
そう言って詩音が腰に腕を回した。
「——はい。似合ってますよ。カッコいいですね。嬉しいですね。次の扉が待ち切れないですね。
——扉を開けると、目の前にはまた扉がありました。ここで、先輩は鈴をつけます。良いですね、鈴。あると何かと便利ですし。鈴をつけるのは……首、ですよね」
促されて、少し上を向く。ちりんと小さな音を立てながら詩音が俺の首に首輪を巻いた。それから、からかうような手つきで顎の下を指先でくすぐる。嬉しいような、もどかしいような感覚が広がっていく。
「——はい、いい子、いい子ですね。では、扉を開けましょう。
——また目の前に扉があります。これがほんとに最後の扉です。ここに入るために、先輩は猫耳をつけないといけません。先輩のために特別に用意した、黒くて艶やかなカッコいい猫耳です。素敵ですね。これをつけると、先輩は猫になってしまいます。でも、いいですよね。だって、もうほとんど猫ですもんね。猫に、なりたいですよね?」
頭がうまく動かなくて、促されるままに俺はうなずいた。詩音が俺の頭に猫耳をつける。
「——さあ、これで注文は全部おしまいです。家猫軒へ、ようこそ!」
パァンッ!詩音が手を叩く音が響いて、俺は目を開けた。詩音が満足げに笑っている。
「さあ、先輩。猫になった気分はどうですか?」
そう言いながら詩音が俺の背中を撫でるので、俺は返事をした。
「なあぁん」
「真面目に国語の授業を受けないからこんなことになるんですよ。『注文の多い料理店』がお客様を食べてしまう店なら、『注文の多い猫カフェ』は、お客様が猫になって店員を癒す店に決まっているんですから。」
「んなぁ」
「ほら、先輩。」
そう言いながら詩音は体を捻って、お尻から伸びる尻尾を猫じゃらしのように振って見せた。先端を本能的に目で追ってしまい、思わず飛びかかる。
「ふふふ、満喫いただけているようで何よりです」
そう言って詩音はベッドから降りて、ローテーブルの上のコップを俺の前に置いた。
「先輩どうぞ。特製のマタタビドリンクです」
そう言いながら俺の前に座る。マタタビドリンクって。猫としてはすごく素敵だけど人が飲んでもいいものなのか。というか、猫がコップで飲み物を飲むか?恐る恐る両前足で支えながら舌先で舐める。すると、意外にもどこか馴染みのある甘酸っぱくて爽やかな味がした。微炭酸でしゅわしゅわして、率直に言えばとても美味しい。顔を突っ込むようにして、こくこくこくと飲み干す。身体が熱くて、ふわふわして、しあわせな感じになる。
「なあおん。なあ」
ごろんごろんと転がりながら詩音のふとももに顔を擦りつけて甘える。身体に額を擦り付けて匂いつけする。抱きついて首筋を、顔を舐める。
「先輩、くすぐったいですよ」
詩音は笑いを堪えながらそう言って、俺の耳元で指パッチンした。
パチン
「と、いった感じのイメージなんですが、どう思いますか?先輩、なかなかエンジョイされてましたけど」
「却下だと思います!」
突然人間に戻された俺は真っ赤になりながら言った。
「なんでですか!?」
「いやむしろなんでできると思ったよ!」
こんな催眠ありきの羞恥プレイ企画を文化祭で。詩音は頬を膨らませる。
「むう。じゃあせめてマタタビドリンク代だけでも払ってください。500円です」
「……地味に高くない?」
「仕方ないじゃないですか。あれ一杯で結構な数のキウイを使ったんですよ?」
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